今日は朝からあちこちかけずり回って、龍馬伝を見る気力も残っておりませんーー;。
ええと、だいたい、誰かさんがドキドキ、ソワソワ、ワクワクしている気配がするので、時計を見ると11:30頃だったりするのですが。お手紙の中に、「最愛」とか「はつ恋」とか、「当てつけがましい曲だと思った」って書いておきましたら、「ああいう呪いの曲は、標的を絶望させたり、気を弱らせたりして、確実にしとめるために作るんだよ」と教えて頂きまして。そうなんだ、「当てつけがましい」の一言で済ませちゃってましたねえ?? ということで(苦笑)。なんというか、ちゃんと「力」が使える人はいろいろな芸があっていいなー、とかむしろそう思わないでもないわけですがーー;。
まあ、でも、「当てつけがましい」の一言で切り返して、それ以上に呪いの効果を踏み込ませないことが、私の「言霊」の力ということで、それで済ませられるのであれば、それでもいいでしょう、とおっしゃって下さる方はいるわけですが。でも、まあ、この2つの曲があるから、「福山君は確実に私のことを知っている」という確信の原動力になるわけで、私って呪いの歌を、呪い以外の点で勝手に利用する才には長けている気がしないわけでもないわけですが。おかげさまで、誰もが「あらゆる呪いに引っかからないで、免罪符を発行する力」というもののことを考えて下さっているように思うわけですが。でも、兄さんも頑張ってますよね? と思うわけで。こちらもお片付けをしながら、テレビの世界での武者修行を、しばらく頑張りたいと思うのです。
そして、要するに味方が書く「思わせぶりな文章」というのは、敵の圧力とかそういうものがあって、物事をストレートに書けないから、意図を気が付いて欲しくてそう書くものなのであって、私みたいになんでもずけずけとストレートに「書ける」人は、それだけでそれがその人の「力」の証明となることのようです。なるほどねー。