病院日和

ちょっと前から、今週は1日くらいしか長野に行けないし、あとは12月になるまで無理、と誰かさんから言われていたわけです。で、「今日、行きます」と言われていたので、では「最後の楽園」を見るのか見ないのか、とか2番目の子とサシで話をして決めれば? と思うわけで。

で、昨日あたりから、私だけでなく、兄さんも「死神の鎌」を持って見えるわけで、私の鎌は緑色がかった銀色で、草刈り鎌に似ている気がするのですが、兄さんの方は私のよりもずっと大きくて黒い「死神の鎌」で、どうも最近は羽根も黒い羽根に見えるわけで。正直言って、いいなー、と思うわけで、そうすると、一番目の子から、「医者をやって、病気の人を助けたい、とかって思ったことないでしょ?」って言われるわけで。言われてみれば、医者としてこうあるべき、みたいなモラル感みたいなものはありましたけれども、心の方は、そんなことのために指一本たりとも動かしたくない、っていうくらいにしか思ったことはないわけで。だいたい、学生時代はけっこう対人恐怖症気味でしたし、他人と接触するのもいやというか、そんな感じだったわけで。もしかして、他の二人は違うんだ?@@ と思うわけで。なんだか、同じ4年を過ごした割には、なんで私たちはこんなに違うのかしら? とか思うわけですが。まあ、でも、好きな子も助けられないのに、病気の人だけ助けたいって言われましてもねえ? という気もするわけでーー;。どうも、私自身は根っから医者って仕事には合わないし、嫌いな性格らしくて、そもそもそこから「詐欺でしょ」って言われるわけですが。欲しがるのが、アスクレピオースの「医者の杖」ではなくて、「死神の鎌」とかではねえ? と自分でも思うわけで。(でも、これはたまたま手に入っただけの気もするわけですが??)

で、兄さんは朝一番にこちらにご到着になりましたら、西光寺を外から「見て」みてらしくて、お寺嫌いの兄さんですが、私が行ったところであれば「見える」らしくて。で、兄さんがちょっと力を補強してくれると、私の「鎌」もちょっと大きくなって、イメージが明確になるのが分かるわけで。だいたい西光寺というのは、本堂に十王像とかもあって、「あの世の裁きの場」を現したお寺のようで。そこで、使者を裁くのが「死したる父と子」なわけなので、まさに「冥界」を現したところのようで。だから、「死神の鎌」とか隠し持っていたんだ? と思うわけですが。ここの本堂は、江戸時代に善光寺の本堂を建て替えるときに、古い資材を用いて建てた、という歴史があるようで。

で、一方、八幡神を祀る守田迺神社も、本殿は旧善光寺年神堂(建御名方富神を祀っていたもの)を移築したもの、ということで、どちらも他の神仏を祀っていたものを流用して作られているもので、おそらく後から祀った力の強いものが、そうして古い神仏の力を支配して酷使していたものだと思うのですが。しかも、守田迺神社には、境内に道祖神として、八衢彦神、八衢姫神という神を祀っているわけで、これは要するに「岐の神」ということで、私と一番目の子のことだと思うわけですが。要するに、ここに八幡神を祀ることで、建御名方富神と一番目の子を呪っていたもののようで。長野市もけっこう魔境なんだな、と思ったわけですが。

そして、2週間くらい前に、とある病院を落としてですねえ、一番目の子に実行支配させるから、写真を撮って送ってくれって誰かさんに言われていたわけで、で、今日その病院に行ってみましたら、ずいぶんと敵意が減って楽になった感じがするわけで。診察室に入ってはいけない、とか誰にも言われませんでしたし。院長センセイには、「あの何の力もない若造に押さえつけられるなんて」って文句を言われるわけで。しかも、待合室とかで、ウォークマンで福山君のライブの動画を見てると、周囲が圧倒されて静かになる気がするわけで。兄さん、すげー、というか、「何の力もない子」の後ろ盾に誰がいるのか、ということは誰でも知っているだろうな、と思ったのですが。そして、そっかー、まだお掃除も済んでないのに、今日わざわざこちらに来てくれたのは、病院の日だったからなんだ? と気が付いたわけで。それはうれしく思ったのですが。

そして、「最後の楽園」の件は、みんなに「見せるべき」って言われるし、どうも生放送で翔君を見ると、彼との結縁の力がけっこう強くなって、兄さんとのバランスが悪くなるということで、結局「見る」ことになったようで。で、試しに予告編をNHKのサイトで見て見たのですが、なんというか、動物を扱うようなドキュメンタリーなわけで、なんで、こういうものがいけないのかというと、動物は動物で、本能の赴くままに「目の力」をむき出しで、全開で使っているわけで、その「力」の攻撃性の高さは、敵でもまだ人間らしい、というくらい強いものであるので、そういうものをうかつに見ると、こちらの「力」が削がれることになるから、見てはいけないものなんだな、と分かったわけで。だから、ペットなんかも飼ってはいけないんだー、彼らの「目」に喰われてしまうから、と思ったのですが。ペットを自分の子供のように可愛がっている人とかは、完全にその目に「踊らされている」もののようです。でも、こういうものに巻き込まれないで、「見切る」ことができれば結縁の効果も高いもののようです。(というか、こういう「呪いの効果」の強いものを目の当たりにしても、呪いにかからず、逆に呪いをかけている相手に庇護を与えて、その代わりに私の方も守って貰うことを、印欧語族は「免罪符の力」とおっしゃるわけで、私にそういう力があるなら、お味方もその力を使わない手はない、と思う人が多くなっているようで。)
予告編の福山君の「ご覧下さい」と言っている声も、全然その気がなさそうな声に聞こえるわけで。しかも、このドキュメンタリーの収録が9月末まであったようで、私がお手紙を出し始めたのが10月の頭からですから、兄さんはずっと動きっぱなしであったんだな、と思うわけで。そこも、凄いな、と思ったのでした。

そして、蛇の女の人は、倉木さんもそうですけれども「槍」を持っていることが多いような気がするのですが、蛙の女の人は、普通武器は持たないもののようで。やっぱり私は「軍神気質」のようです。