21年5月27日

 今日は天気予報が雨だったので、外作業はお休みにして新町の家の片付けに行って来ました。朝6時ちょっと過ぎくらいに家を出て、丁度雨が降り始めたところでした。私の部屋のゴミはほとんど捨てて、引っ越す荷物を纏めて、部屋の掃除もやって貰って。車に積める荷物も少しつけて帰って来ました。帰りに「道の駅」へ寄って、「買って食べるように」と言われた気がするおやきを買って食べて。どうも、とあるメーカーのおやきを食べると「頭を食べたな」とか「何を食べてるのか分かってるんだろうな?」とか、ちょっと「ん?」と思うようなことを言われる気がして-;。おやきは元々仏様に供えるものなので、「死者の食べ物」だし、元はといえば人の頭を模したもの、と言われる気がするわけですが。他のメーカーのものは割と普通においしくいただいて、「こっちはもう一つの方に比べれば、普通の食べ物に近い」と言われる気がするわけで-;。

 で、新町病院の方は、カルテの残りをコピーするだけにしては連絡が遅いなー、と思って。そして、今日は平日なのに国道もかなり混んでいたし、道の駅とかコンビニの駐車場に入って、出ようとすると妙に周囲の車が邪魔するように動いたりしていて。「何かあるのかなー」と思っていたら、夕方新町病院から電話があって。古いカルテも見つかったのでコピーしますか? と聞かれたので、コピーして貰うことにしました。チェックは新しいものからしていきますが、裁判も終わったことですし、この際なので徹底してチェックしていきたいと思います。まだ、色んなことが変だから。放射線性直腸炎であることが明らかなのに上部及び下部内視鏡検査ってどういうこと? という辺りが突っ込みどころでしょうか。バイアスピリンも自己判断で中止したわけではなく、医者が強引に止めたわけですが。この辺りから「よくよく変」なんじゃないの? と思う。今もけっこう変ですけれども-;。ともかく、色んな人から「もう医者には騙されないでしょ」と言われる気がします。

 で、車を運転していると、ときどきキリスト教の標語?みたいなことが書いてある看板が目について。「キリストは再び来る」とかって書いてあるのを見て、・・・・なんだろう? いろんな受難をしながらいろんな神サマの名前をかき集めて、裁判に負けて再臨するの? と思う-;。人の人生は人形劇なの?? と思うわけですが-;。遺憾に思うことはないわけではないですが、「責任者を出せ」と言うとひいじいさんが出て来る気がするので、これ以上はあれこれ申しませんが-;。

 で、「ハラミちゃん」について。親が子供にピアノをせっせとやらせることが良いことなのか悪いことなのかは分からない。というか、なんだかんだ言って、ご当人が本当にやりたくないことであるなら、才能があろうがなかろうが、大人になればいずれかの時点で止めてしまうでしょ、と思う。でも、子供には「やりたいこと」をやらせてあげることも大事だけれども、「やるべきこと」をやることの大切さも教えることが大事なのだと思う。「やるべきこと」とは生きるためにお金を稼ぐことだけれども、別に子どもを働かせなければいけない、とか苦労させなきゃいけない、とかそういうことではなくて、世の中にはアイデア一つで苦労せずにお金を稼いでいる人だっているわけだから、「やるべきこと」とは、「どうやって自分にできることを見付けて実行する能力とか強さを身につけさせるか」ということだと思う。挫折しても、自分で切り替えて乗り越えていける強さである。人生はどこで挫折するのかなんて誰も分からないので、どんなに優秀で有能な人でも、挫折を乗り越える強さがなければそこで潰れるだけだと思う。

 最近のメディアでは家にいることを「引きこもり」と言って、働かないことをさも悪いことであるかのように、画一的に言っていて、それが恣意的でよろしくないと思う。昔でも働かないで遊んでいるボンボンはいくらでもいたと思うし、特に女の子は実家に余裕があれば「花嫁修業」と称して家にいる人はいくらでもいた気がするのに、いったいいつからこんな世の中になっちゃったんだろう? と思う。男女雇用機会均等法とか、働きたい人は男女平等に働ける、という精神は尊いことだと思う。でも、自分が働いているからといって、家にいる人を妬んで「遊んでる」って非難するのは違うよね? それが「いかにも社会不適応者だ」みたいに言うのも違うよね? と思う。家に引きこもっていて問題になるのは原則としては「こうなったのは親のせい」って言って家族に暴力を振るうような人だけだと思う。そういう人は家庭環境に問題があってケアが必要であればケアしなければならないし、発達障害とかご当人に問題があって暴力性があるのであれば、それもケアせねばならない、と思う。あとは、挫折してご当人が精神的にダメージを受けているのであれば、そういうケアもあって良いと思う。