20年10月16日

 今日は、姉をかかりつけ医に連れて行ったり、裁判用の書類が届いたり、盛りだくさんな日でした。

 「お医者サマ」の方は、「医者としては」ほぼ満点の対応でした。薬の説明もちゃんとあったし、定期的なモニタリングの話しも出ましたし、低容量から始めて慎重に経過観察の説明をしたことも、副作用が出た場合の対応法をしっかり教えてくれたのも良かったと思います。ただ、「横紋筋融解症」とか、一生懸命説明してくれて、ミオグロビン尿症のことも説明してくれて、「腎臓のフィルターがミオグロビンで詰まる」ということを説明してくれたのも良かったと思うけれども、「こいつは果たして知ってるだろうか?」って顔で微妙に私を探られてる気がするわけでー;。「知らねーよ、そんなもん」ということはなくて、ピョウリアとか、ミオグロビンウリアとか知ってることは知ってるし、専門用語とか尿細管とか言ってくれれば、私にはそれなりに話しは通じますが-;。忘れてることは言われれば思い出すこともありますし。でも、私は日常的にはそういう用語は使わないので-;。

 そして、我が家では代々「お医者サマ」なかかりつけ医サマのところと違って、医者なのは私だけだし、医者の言葉が通じるのも私だけなので-;。なんというかね、「腎臓のフィルターが詰まる」とか、ちょっとまどろこっしいことを言われると、たぶん素人には通じないし、私には専門的でない言い方に見える、とかちょっと中途半端感は受けます-;。だいたいうちのじいさんとかは「腎臓って何だ?」とかって言う人なんで-;。そういう素人にそもそも「フィルター」とかって言って通じるわけがない-;。私もそういう素人と、尿細管とかの話はしないので(苦笑)。私だったら、「薬の副作用が出れば、おしっこの色が変になって、もっとひどくなるとしっこがでなくなるんだって。」というくらいしか言わないです-;。それで、別に私が腎臓のことも、尿細管のことも知らないと思われたら、それはそれで困るわけですがー;。だいたい病院では、ドクターとさっさと話して終わりだけれど、家に帰ってから「腎臓とは何か」ということから始まって、長々と説明しなければならない羽目になるわけです。「なんでそんなこと知らないのさーーー」って言っても、素人は知らない物は何も知らないです-;。

 お薬はファースト・チョイスはメバロチンでいいんじゃないか、と思います。副作用の可能性はゼロではないけれども、日本ではファースト・チョイスとして選ばれることの多い薬ですし、私が学生の頃からある、伝統的な安定性の高い薬じゃん?? と思う。副作用はあたるも八卦、あたらぬも八卦ですし、横紋筋融解症のような重篤なものだけでなく、普通のアレルギー反応だって、他の薬と同じように出る可能性があるわけだから、使ってみるまで分からないです。他に言いようがない。

 で、後は「医者」とは関係のない話・・・・。なんだか、「自分はたくさんの病院を渡り歩いて、2000例近い症例を見て・・・。」とかって言ってなかったっけ? なんか、そんなようなことを自慢してた気がする・・・、と思う。・・・・だから、そういうことを言い出すときりがないんだって。「血管」の話に戻るけど、病理医が見る1枚の標本に何個血管があると思う? それこそ、普通の毛細血管から、糸球体、大動脈に至るまでいろんな組織の血管を、正常なものから病的なものまで、病理医は必然的に何万、何億と見ることになるわけで、それで内皮細胞なんて大量に見るし、だからこそ血管が破綻して赤血球が血管外に露出するなんて「正常ではまずない」って実感するんだって。だけど、そんなこといちいち自慢しないし、「自分は何億個の血管を見た」なんて言わないですよ? と思う-;。しかも、だいたい今の制度の前の研修制度っていったら、卒業した大学か、ちょっと大きな総合病院とかの、自分が専門とする科に入局して、そこを拠点に研修して、更にその後、そこを拠点にして関連病院とかいくつかで腕を磨いて、それでその上で、組織の中での出世をめざすのか、それとも実家が医者であれば、家に戻って家業を継ぐのか、とかそういう流れになるわけで、「たくさんの病院を渡り歩いた」なんて言ったら、「なんでまたそんな羽目になったんですか? 何か1箇所にいられないようなへまでもしたの?」って突っ込まれるのがオチな世代じゃん?? と思う-;;。でなきゃ、「そうやってたくさん渡り歩いた中で、患者の尿潜血をいくつ見落としたんですか? 糖尿病の専門医なのに?」って嫌みを言われるのがオチであると思う-;。どうも、どういう「怨霊」に取り憑かれてるのか、と思うわけですが、自分を偉そうに見せたくて、本当かどうかも怪しい、と思われるようなことは言わない方がいいですよ。だから、「ちょっと軽薄な感じで心配」とかって言われちゃうんですって。「言え」って言われたことは全部言わないで、自分で何を言ってるのか考えてから言うことをお勧めします、とかなんとなく思うわけで-;。信用はされるどころか、なくすのがオチですー;。

 で、なんで私がこういう物言いを嫌いになったのか、と考えてみたわけですが。病理医には「外科病理学」という分厚くて基本的な教科書があるわけです。(まあ、でも内科のハリソンとかよりは薄いかも??)で、医者になって入局した時に貰ったわけですが、ある時「上の先生」に言われました。「なんで、教科書を読まないの。僕が新人の時には、それをまるごと1冊真剣に読んだのに。」って言われたわけです。・・・・・本が出版された時期からいって、あなたが新人の時には「外科病理学」はまだ出版されてなかったわけですが(爆)。何を読んで何の勉強したの? 妄想とか予言の勉強でもしたの? と思ったわけで。この人が全然信用できる人ではなかったので、「自分を偉そうに見せるために言わなくてもいい嘘を平気で述べる人」は信用できない、と、そういうことは研修医時代に一番勉強した気がするわけですが-;。たぶん、この人も今から考えると、何かの「怨霊」に取り憑かれてたのかも、と思う。まあ、でも自分でも「怨霊」化してるんじゃないんですかね、もしかしたらね、とも思います-;。

言っておくけど

 「学生としては清沢先生の最後の弟子に入る」と書いたのは、私が学生だった当時助教授であった清沢先生が教授に昇格して、多忙を理由に2内ゼミを去ってしまったからで、学生の段階で直接あれこれ教えを乞うことができた世代としては私の学年が最後の部類だったなー、と思うわけです。そして、それはやっぱり私にとっては幸運なことだったと思う。卒業して、医者になって2内で鍛えて貰った人達は、もっと後の学年まで「直弟子」と言える人達はいるはずですが。