本日の日誌

昨夜はなんだか夢を見て。だいたい、昨日は雨っぽかったので、いろいろな資料の整理をしていたりして、夜ふと、安室ちゃんのDVDを見たくなったので、それを見て、その後「ZERO」を見て寝て。なんだか夢の中で、友達を家に招いてアイスクリームパーティーをしようと思っていたら、幼なじみの天之日矛が出てきて、なんだか親に言われた、とかで「高級ホテルでお泊まりデートをしよう」と言われて@@。でも、ご当人は親に言われてやっているだけで、全然嬉しそうでなかったし、私もそういうことには興味がないので、デートはお断りして、友達とアイスクリームぱーてぃーをすることにして。目が覚めて、なんで今頃、その人の夢を見たのだろうか、と思う。

で、最近「大塔物語」のことが気になるわけで。これは室町初期の北信濃での動乱を書いた「物語」であって、諏訪大社下社大祝金刺氏に伝わったもの、と言われているわけで。いつか、ちゃんと読んでみたい、と思っていたわけです。で、そのことをちょっと調べてみたくなって、調べたら戦死した人達を弔うのに、善光寺の妻戸衆が駆けつけた、とあって。妻戸衆って何? と思う。それで調べたら、中世の善光寺は、東向きに建っていて、建物の妻(端)が南を向いていて、そこにも戸がついていて、そこを妻戸といって。その辺りに奉仕していた下級僧侶の集団を妻戸衆といったらしくて。要するに、戦場とかおそらく疫病とか飢饉とか、そういう死者が大勢出たときに、現場にかけつけて後始末をするようなそういう穢れた下働きをする下級僧侶の集団が「妻戸衆」だったのではないか、と思うのです。そういう仕事はやんごとなき高僧はしないから。で、場合によっては、遺族に遺品を届ける、とかそういうことまでしたのではないか、と思うし、そうやった見聞きした現場のことを記録したり、上に報告する役目も負っていたのではないか、と思う。でも、善光寺の善光寺の前身は諏訪信仰の神社だし、建物の南面に位置する妻戸は、豊穣の太陽女神が出入りする聖なる戸口なんじゃ無いの? と思う。そこに、穢れた仕事をする人々が居座っているのはまずいのではないの? と思う。要するに、「妻戸衆」の真の目的は、神が出入りする出入口を穢して、神が出入りできないようにすることだよね? と思う。

で、善光寺の年中行事における彼らの役割は祈年祭にある。善光寺の祈年祭はちょっと特殊であるらしくて、年越しの祭祀であって、古くからあった彦別神の祭祀を引き継いだもの、と言われているらしいです。おそらく本来は、大晦日に近い時期に祭りが始まって、お正月中続けられるような祭りであったのだと思う。その間、本尊には特別な神饌が捧げられて、次の一年の良きことを祈るわけです。少なくとも表向きはそんななんだと思う。で、江戸時代までは、善光寺の後ろに「年神堂」というお堂があって、祈年祭はそこで行われていた。祭りの始まりは、お堂の扉が開け放たれて、神が外から招じ入れられ、何らかの祭祀や、神饌を捧げられたのだと思う。そして、最後にまた扉が開かれて、神は外へ出て行くわけです。そして、この祭りの一番嫌なところは、この祭祀は暗闇の中で行われ、人々は祭りの間家の扉を閉めてその中に閉じこもっていなければいけなかったという。(現在でも祭祀の本態は秘儀とされています。今では「無量寿供」といって、本尊である阿弥陀如来に何かお供えする、というような天台密教式秘法であるらしくて。)

でも、神が外から招き入れられるのなら、普段お堂の中には何がいるの? と思うわけで。甲斐善光寺に伝わる伝承によると、お堂の中には本尊である阿弥陀如来がいるけれども、この如来は祈年祭の間だけ八幡神に変化する、とあるらしいです。そして善光寺の「年神堂」も八幡宮とも言われていたそうで。でも、その年神堂が今どうなっているのかというと、明治の神仏分離で、善光寺から切り離されて、御霊は一応城山の彦神別神神社に移されたことになっている。でも、年神堂の建物そのものは、守田廼神社に移築されている。そういう経緯からいえば、祈年祭は本来、彦神別神に神饌を捧げて、次の年も頑張る元気を出して貰う祭祀だったんじゃないの? と思う。でも、人々が「見てはならない祭祀」とは死霊の祭祀だし、外からやってきた八幡神の祭祀にいつの間にかすり替わっている。だいたい、なんで八幡神が死霊なの? と思う。

そうすると、彦神別神とは、そもそも「別神」とは女神のことであり、「妻神」のことであるので、諏訪神の妃である八坂刀売のこと。そして、神に捧げる餅とは、稲作の太陽女神である八坂刀売の化身でもあるので、それを外から来た八幡神に食べさせる、ということは、八坂刀売を八幡神に食い殺させて、八幡神の力にする、ということ、と言われる気がするわけで@@。要するに、善光寺の「阿弥陀如来」というのは、一年のほとんどは八坂刀売の化身だけれども、祈年祭の間だけ、八幡神に食い殺されて八幡神になっていて、祭りが終わった後に外に出て行くのは八幡神、残されるのは次の年に食われるための死したる八坂刀売、ということになる。死霊の八幡神も死したる女神を食べるのだから、死者としての力は得るけれども、生者として再生はできない。要するに神有祭と同じで、死したる神に黄泉の国の食べ物を食べさせて死んだままにしておこう、という祭祀なのだと思う。そして、神有祭よりもさらに悪質なのは、食べさせているのが神の死体そのものだということなのだと思う。八坂刀売の方は、年神堂の外には出られない。なぜなら、南向きの妻戸を穢れた連中が塞いでるから。そのための妻戸衆だーー、と思うわけで。

でも、「死霊の八幡神」って何? と思う。そうすると、八幡神は「誉田別命」というので、一番古い宇佐式の進行によれば、本来はこれは女神のことで、朝鮮半島の伝承からみても、宇佐の信仰は「母神と嫁神」に対する信仰だったはず、と言われる気がするわけで@@。要するに、これは原始キリスト教的には聖母マリアとマグダラのマリアに対する信仰だったはず。だから、本来はその二人が死せる「誉田命」を生き返らせるために奮闘する話であったものが、もっと現実的に彼の子孫を天皇とするために奮闘する、という伝承に書き換えられている。でも、いつの間にか、ローマ式の原始キリスト教が入り込んできたので、「別神」は男性神に変更されて、そのまま「皇祖」になる、ということになってしまっている、と言われる気がするわけで@@。要するに記紀神話には出てこないけれども、本来は「誉田命」という、イエス・キリストに相当する夫神がいたはず。でも、ローマ式の原始キリスト教徒が、妻神をそのまま夫神に変更することで、マグダラのマリアの存在を消し去ってしまってる。だから、「八幡神」には二通りの意味があって、女神の時にはマグダラのマリアを指す。男神の時にはイエス・キリストを指す。だから、男神の時は、「死んでいて生き返ろうとしている悪霊」になる、と言われる気がするわけで@@。ということは善光寺が祀っているのは、男神の「誉田命」の方で、そこはローマ式の原始キリスト教の寺院、しかも八坂刀売の死体の上に建っているも同然の寺院なんだ? と思うわけで。7番目の兄さんには「本地垂迹」というものを甘く見てはいけない。本地垂迹説では、阿弥陀如来は八幡神の化身なんだから、神仏分離以前の善光寺は、れっきとした男性体の八幡神を祀る寺院だったの、と言われる気がするわけで@@。それと共に、善光寺は先住していた八坂刀売を封印している広大な「墓」でもある。彼女はそこから出られない、はずなのだけれども、もし彼女が穢れに強い軍神であって、外からやってきた八幡神を逆に食い殺すほどに強ければ、扉を開けて外に出るのは八幡神なのか、それとも八坂刀売なのか? と言われる気がするわけで。外からやってきた八幡神の先鋒は、家の外に追い出して、ぐうの音もでないようになってる気がするわけですが-;。戦って追い出す、とはそういうこと? と思うわけで-;。

で、善光寺関連で「八幡神」の名前が残っているのは、年神堂の建物を移築した守田廼神社だけである。そうやって、外に出してしまっているから、今の善光寺には形はあっても、本尊の「御魂」は存在していない。それは守田廼神社に隠されている。でも、そこは本来は守達神の神社であって、その神も八幡神に食い殺されてしまっている状態であったわけで。だから、味方は新たに守達神を立てて、神妃と二人の力で、一番押さえなければいけない「守田廼神社の八幡神」の力を押さえ込もうとしているわけで。だから、兄さん達には、善光寺には行きたければ行っても構わない、そこは形骸に過ぎないから。むしろ、絶対に手放してはいけないのは守田廼神社の方。そこは新年には必ず詣でて、誰がそこの「首座」であるのかを明らかにしておかなければいけないところ、と言われる気がするわけで。だいたい、そこは元々高田の地の産土神であるので、高田の地に生まれた「男性としての八幡神」とは誰のことなのかは、分かるでしょ。その人はなんで、あれほどなりたがっていた首席になれなかったんです? それは、八坂刀売を食い殺すことに失敗したからなんじゃないの? と言われる気がするわけで。で、今は、その恨みも重なって倍増しで私のことを憎んでるんだ?? と思うわけで-;。そういうのを完全に「逆恨み」っていうんじゃないの? と思うわけですが。

でも、「死霊の神」とはどういうことなんだろう? と思う。私も2番目の子も生きてるよね、実際には、と思う。そうすると、それは典型的な「人を支配する」ための手法だよね、と言われる気がするわけで。2番目の子は医者である。ついでにいえば、私を虐めてくれた「誉田別命」の名前を持ってる方も医者だし。でも、医者というのは本来は死者を取り扱う仕事であって、穢れた仕事である。要するに妻戸衆のように身分の低い人が仕方なくやるような仕事であって、たいていの場合、高確率で人肉中毒に陥って、まともな状態ではなくなる。でも、現代社会では表向きは高報酬であって、良い仕事のように見せかけられている。それは、「真の支配者」が、優秀で有能な人材をその世界に追い込むことで、廃人も同然にして、一生その仕事しかできないように追い込んで、人肉という餌で自由に操ろうとしているから。そうすれば、優秀な人が「世の中をこう変えよう」と思って実行するようなことはなくなる。すなわち、「医者」というのは、優秀な人を潰して「謀反」を防ごう、というシステムの上にあるもので、そうやって人々を支配するやり方は古来よりローマの得意とするところなのだけれども、蛙の王家はそれを良く学んで好き勝手にやってるよね、と言われる気がするわけで@@。だから、2番目の子も誉田別命の方も、人としては生きているけれども、まともな思考回路はもはや存在していない、まともな判断力もない。ただ、蛙の王家の言いなりに働いているだけ。そういうのは、生きていても死んだも同然、ということで、神話的には「死霊」として扱われる、と言われる気がするわけで。蛙の王家の代々の当主は、そうやって神々を何らかの中毒に追いやって支配して、奴隷のようにこきつかってきたわけだー;。でも、建御雷神は? あの人は医者じゃないよ? と思う。そうしたら、「その人は映画を撮るのにオーストラリアへ行ったでしょ。そこで、映画のため、と称して、メルボルン大学の医学部の協力を得ている。それは表向きのことで、そこで失策を咎められて強制的に「人肉食の刑」に処せられて、それで狂った。」と言われる気がするわけで@@。そういや、人の首のホルマリン漬を見たとか、そんな話は聞いたことある、と思い出すわけで。失策って何? と思ったわけですが、それは「八坂刀売が学生のうちに食い殺すことに失敗したこと」と言われる気がするわけでー;。それで、裏切らないように、彼女の方になびかないように人肉食の刑にかけられた。そういうこともよくある話、と言われる気がするわけでー;。だから、蛙の王家の方は、女神を解剖の方に追いやって、なんとか強力に人肉中毒にしようと頑張ったわけだけれども、何故か女神の方が人肉の毒によくよく強くて中毒にもならず、すなわち女神を食い殺すことにも、人肉中毒による廃人にすることにも失敗したあげくに、家からも追い出されてしまった、と-;。そういうことらしくて。そして、善光寺の秘密も、ディアーヌ女神の強力な「目の力」によってばれてしまったわけで。

そして、富の王家のおっちゃんからは、高市皇子とは、天武・持統天皇の政治を支えた人、と言われるだけで、その「業績」というものは歴史的にはあんまり残されていない人(なぜなら彼の仕事も歴史的には「天皇の仕事」にされてしまっているから)なのだけれども、でも、彼は幼い頃は北九州で育って、母方のローマ式の原始キリスト教ではなくて、皇祖である宇佐八幡宮のアンティオキア式原始キリスト教によく傾倒して育った人で、「女神信仰」の大切さをよく心得ていたので、伊勢に斎宮を常駐させることとか、水内大社に勅使を送って女神信仰をてこ入れすることとか、そういう宗教政策に非常に力を注いだ人、と言われる気がするわけで。だいたい、同じ「原始キリスト教」でも、ローマ式とアンティオキア式とではどう違うのですかね? と思う。そうすると、「父と子」の組み合わせは政治的には「独裁主義」、「母と子」の組み合わせは政治的には「連合主義」となる、と言われる気がするわけで。連合主義では、各部族の自治がある程度認められて、部族間の立場も対等である。だからこそ、人々は自分に合ったものを食べて、自分に合ったように生きられる。独裁主義ではそういうことは許されなくて、ただ一人の支配者以外は全て奴隷である。どちらが良い政治形態なのかは、一目瞭然で言うまでもないこと、と言われる気がするわけで。ようやく、ここまでのことが分かるようになったということのようなのですが。

本日の日誌

昨夜はなんだか夢を見て。だいたい、昨日は雨っぽかったので、いろいろな資料の整理をしていたりして、夜ふと、安室ちゃんのDVDを見たくなったので、それを見て、その後「ZERO」を見て寝て。なんだか夢の中で、友達を家に招いてアイスクリームパーティーをしようと思っていたら、幼なじみの天之日矛が出てきて、なんだか親に言われた、とかで「高級ホテルでお泊まりデートをしよう」と言われて@@。でも、ご当人は親に言われてやっているだけで、全然嬉しそうでなかったし、私もそういうことには興味がないので、デートはお断りして、友達とアイスクリームぱーてぃーをすることにして。目が覚めて、なんで今頃、その人の夢を見たのだろうか、と思う。

で、最近「大塔物語」のことが気になるわけで。これは室町初期の北信濃での動乱を書いた「物語」であって、諏訪大社下社大祝金刺氏に伝わったもの、と言われているわけで。いつか、ちゃんと読んでみたい、と思っていたわけです。で、そのことをちょっと調べてみたくなって、調べたら戦死した人達を弔うのに、善光寺の妻戸衆が駆けつけた、とあって。妻戸衆って何? と思う。それで調べたら、中世の善光寺は、東向きに建っていて、建物の妻(端)が南を向いていて、そこにも戸がついていて、そこを妻戸といって。その辺りに奉仕していた下級僧侶の集団を妻戸衆といったらしくて。要するに、戦場とかおそらく疫病とか飢饉とか、そういう死者が大勢出たときに、現場にかけつけて後始末をするようなそういう穢れた下働きをする下級僧侶の集団が「妻戸衆」だったのではないか、と思うのです。そういう仕事はやんごとなき高僧はしないから。で、場合によっては、遺族に遺品を届ける、とかそういうことまでしたのではないか、と思うし、そうやった見聞きした現場のことを記録したり、上に報告する役目も負っていたのではないか、と思う。でも、善光寺の善光寺の前身は諏訪信仰の神社だし、建物の南面に位置する妻戸は、豊穣の太陽女神が出入りする聖なる戸口なんじゃ無いの? と思う。そこに、穢れた仕事をする人々が居座っているのはまずいのではないの? と思う。要するに、「妻戸衆」の真の目的は、神が出入りする出入口を穢して、神が出入りできないようにすることだよね? と思う。

で、善光寺の年中行事における彼らの役割は祈年祭にある。善光寺の祈年祭はちょっと特殊であるらしくて、年越しの祭祀であって、古くからあった彦別神の祭祀を引き継いだもの、と言われているらしいです。おそらく本来は、大晦日に近い時期に祭りが始まって、お正月中続けられるような祭りであったのだと思う。その間、本尊には特別な神饌が捧げられて、次の一年の良きことを祈るわけです。少なくとも表向きはそんななんだと思う。で、江戸時代までは、善光寺の後ろに「年神堂」というお堂があって、祈年祭はそこで行われていた。祭りの始まりは、お堂の扉が開け放たれて、神が外から招じ入れられ、何らかの祭祀や、神饌を捧げられたのだと思う。そして、最後にまた扉が開かれて、神は外へ出て行くわけです。そして、この祭りの一番嫌なところは、この祭祀は暗闇の中で行われ、人々は祭りの間家の扉を閉めてその中に閉じこもっていなければいけなかったという。(現在でも祭祀の本態は秘儀とされています。今では「無量寿供」といって、本尊である阿弥陀如来に何かお供えする、というような天台密教式秘法であるらしくて。)

でも、神が外から招き入れられるのなら、普段お堂の中には何がいるの? と思うわけで。甲斐善光寺に伝わる伝承によると、お堂の中には本尊である阿弥陀如来がいるけれども、この如来は祈年祭の間だけ八幡神に変化する、とあるらしいです。そして善光寺の「年神堂」も八幡宮とも言われていたそうで。でも、その年神堂が今どうなっているのかというと、明治の神仏分離で、善光寺から切り離されて、御霊は一応城山の彦神別神神社に移されたことになっている。でも、年神堂の建物そのものは、守田廼神社に移築されている。そういう経緯からいえば、祈年祭は本来、彦神別神に神饌を捧げて、次の年も頑張る元気を出して貰う祭祀だったんじゃないの? と思う。でも、人々が「見てはならない祭祀」とは死霊の祭祀だし、外からやってきた八幡神の祭祀にいつの間にかすり替わっている。だいたい、なんで八幡神が死霊なの? と思う。

そうすると、彦神別神とは、そもそも「別神」とは女神のことであり、「妻神」のことであるので、諏訪神の妃である八坂刀売のこと。そして、神に捧げる餅とは、稲作の太陽女神である八坂刀売の化身でもあるので、それを外から来た八幡神に食べさせる、ということは、八坂刀売を八幡神に食い殺させて、八幡神の力にする、ということ、と言われる気がするわけで@@。要するに、善光寺の「阿弥陀如来」というのは、一年のほとんどは八坂刀売の化身だけれども、祈年祭の間だけ、八幡神に食い殺されて八幡神になっていて、祭りが終わった後に外に出て行くのは八幡神、残されるのは次の年に食われるための死したる八坂刀売、ということになる。死霊の八幡神も死したる女神を食べるのだから、死者としての力は得るけれども、生者として再生はできない。要するに神有祭と同じで、死したる神に黄泉の国の食べ物を食べさせて死んだままにしておこう、という祭祀なのだと思う。そして、神有祭よりもさらに悪質なのは、食べさせているのが神の死体そのものだということなのだと思う。八坂刀売の方は、年神堂の外には出られない。なぜなら、南向きの妻戸を穢れた連中が塞いでるから。そのための妻戸衆だーー、と思うわけで。

でも、「死霊の八幡神」って何? と思う。そうすると、八幡神は「誉田別命」というので、一番古い宇佐式の進行によれば、本来はこれは女神のことで、朝鮮半島の伝承からみても、宇佐の信仰は「母神と嫁神」に対する信仰だったはず、と言われる気がするわけで@@。要するに、これは原始キリスト教的には聖母マリアとマグダラのマリアに対する信仰だったはず。だから、本来はその二人が死せる「誉田命」を生き返らせるために奮闘する話であったものが、もっと現実的に彼の子孫を天皇とするために奮闘する、という伝承に書き換えられている。でも、いつの間にか、ローマ式の原始キリスト教が入り込んできたので、「別神」は男性神に変更されて、そのまま「皇祖」になる、ということになってしまっている、と言われる気がするわけで@@。要するに記紀神話には出てこないけれども、本来は「誉田命」という、イエス・キリストに相当する夫神がいたはず。でも、ローマ式の原始キリスト教徒が、妻神をそのまま夫神に変更することで、マグダラのマリアの存在を消し去ってしまってる。だから、「八幡神」には二通りの意味があって、女神の時にはマグダラのマリアを指す。男神の時にはイエス・キリストを指す。だから、男神の時は、「死んでいて生き返ろうとしている悪霊」になる、と言われる気がするわけで@@。ということは善光寺が祀っているのは、男神の「誉田命」の方で、そこはローマ式の原始キリスト教の寺院、しかも八坂刀売の死体の上に建っているも同然の寺院なんだ? と思うわけで。7番目の兄さんには「本地垂迹」というものを甘く見てはいけない。本地垂迹説では、阿弥陀如来は八幡神の化身なんだから、神仏分離以前の善光寺は、れっきとした男性体の八幡神を祀る寺院だったの、と言われる気がするわけで@@。それと共に、善光寺は先住していた八坂刀売を封印している広大な「墓」でもある。彼女はそこから出られない、はずなのだけれども、もし彼女が穢れに強い軍神であって、外からやってきた八幡神を逆に食い殺すほどに強ければ、扉を開けて外に出るのは八幡神なのか、それとも八坂刀売なのか? と言われる気がするわけで。外からやってきた八幡神の先鋒は、家の外に追い出して、ぐうの音もでないようになってる気がするわけですが-;。戦って追い出す、とはそういうこと? と思うわけで-;。

で、善光寺関連で「八幡神」の名前が残っているのは、年神堂の建物を移築した守田廼神社だけである。そうやって、外に出してしまっているから、今の善光寺には形はあっても、本尊の「御魂」は存在していない。それは守田廼神社に隠されている。でも、そこは本来は守達神の神社であって、その神も八幡神に食い殺されてしまっている状態であったわけで。だから、味方は新たに守達神を立てて、神妃と二人の力で、一番押さえなければいけない「守田廼神社の八幡神」の力を押さえ込もうとしているわけで。だから、兄さん達には、善光寺には行きたければ行っても構わない、そこは形骸に過ぎないから。むしろ、絶対に手放してはいけないのは守田廼神社の方。そこは新年には必ず詣でて、誰がそこの「首座」であるのかを明らかにしておかなければいけないところ、と言われる気がするわけで。だいたい、そこは元々高田の地の産土神であるので、高田の地に生まれた「男性としての八幡神」とは誰のことなのかは、分かるでしょ。その人はなんで、あれほどなりたがっていた首席になれなかったんです? それは、八坂刀売を食い殺すことに失敗したからなんじゃないの? と言われる気がするわけで。で、今は、その恨みも重なって倍増しで私のことを憎んでるんだ?? と思うわけで-;。そういうのを完全に「逆恨み」っていうんじゃないの? と思うわけですが。

でも、「死霊の神」とはどういうことなんだろう? と思う。私も2番目の子も生きてるよね、実際には、と思う。そうすると、それは典型的な「人を支配する」ための手法だよね、と言われる気がするわけで。2番目の子は医者である。ついでにいえば、私を虐めてくれた「誉田別命」の名前を持ってる方も医者だし。でも、医者というのは本来は死者を取り扱う仕事であって、穢れた仕事である。要するに妻戸衆のように身分の低い人が仕方なくやるような仕事であって、たいていの場合、高確率で人肉中毒に陥って、まともな状態ではなくなる。でも、現代社会では表向きは高報酬であって、良い仕事のように見せかけられている。それは、「真の支配者」が、優秀で有能な人材をその世界に追い込むことで、廃人も同然にして、一生その仕事しかできないように追い込んで、人肉という餌で自由に操ろうとしているから。そうすれば、優秀な人が「世の中をこう変えよう」と思って実行するようなことはなくなる。すなわち、「医者」というのは、優秀な人を潰して「謀反」を防ごう、というシステムの上にあるもので、そうやって人々を支配するやり方は古来よりローマの得意とするところなのだけれども、蛙の王家はそれを良く学んで好き勝手にやってるよね、と言われる気がするわけで@@。だから、2番目の子も誉田別命の方も、人としては生きているけれども、まともな思考回路はもはや存在していない、まともな判断力もない。ただ、蛙の王家の言いなりに働いているだけ。そういうのは、生きていても死んだも同然、ということで、神話的には「死霊」として扱われる、と言われる気がするわけで。蛙の王家の代々の当主は、そうやって神々を何らかの中毒に追いやって支配して、奴隷のようにこきつかってきたわけだー;。でも、建御雷神は? あの人は医者じゃないよ? と思う。そうしたら、「その人は映画を撮るのにオーストラリアへ行ったでしょ。そこで、映画のため、と称して、メルボルン大学の医学部の協力を得ている。それは表向きのことで、そこで失策を咎められて強制的に「人肉食の刑」に処せられて、それで狂った。」と言われる気がするわけで@@。そういや、人の首のホルマリン漬を見たとか、そんな話は聞いたことある、と思い出すわけで。失策って何? と思ったわけですが、それは「八坂刀売が学生のうちに食い殺すことに失敗したこと」と言われる気がするわけでー;。それで、裏切らないように、彼女の方になびかないように人肉食の刑にかけられた。そういうこともよくある話、と言われる気がするわけでー;。だから、蛙の王家の方は、女神を解剖の方に追いやって、なんとか強力に人肉中毒にしようと頑張ったわけだけれども、何故か女神の方が人肉の毒によくよく強くて中毒にもならず、すなわち女神を食い殺すことにも、人肉中毒による廃人にすることにも失敗したあげくに、家からも追い出されてしまった、と-;。そういうことらしくて。そして、善光寺の秘密も、ディアーヌ女神の強力な「目の力」によってばれてしまったわけで。

そして、富の王家のおっちゃんからは、高市皇子とは、天武・持統天皇の政治を支えた人、と言われるだけで、その「業績」というものは歴史的にはあんまり残されていない人(なぜなら彼の仕事も歴史的には「天皇の仕事」にされてしまっているから)なのだけれども、でも、彼は幼い頃は北九州で育って、母方のローマ式の原始キリスト教ではなくて、皇祖である宇佐八幡宮のアンティオキア式原始キリスト教によく傾倒して育った人で、「女神信仰」の大切さをよく心得ていたので、伊勢に斎宮を常駐させることとか、水内大社に勅使を送って女神信仰をてこ入れすることとか、そういう宗教政策に非常に力を注いだ人、と言われる気がするわけで。だいたい、同じ「原始キリスト教」でも、ローマ式とアンティオキア式とではどう違うのですかね? と思う。そうすると、「父と子」の組み合わせは政治的には「独裁主義」、「母と子」の組み合わせは政治的には「連合主義」となる、と言われる気がするわけで。連合主義では、各部族の自治がある程度認められて、部族間の立場も対等である。だからこそ、人々は自分に合ったものを食べて、自分に合ったように生きられる。独裁主義ではそういうことは許されなくて、ただ一人の支配者以外は全て奴隷である。どちらが良い政治形態なのかは、一目瞭然で言うまでもないこと、と言われる気がするわけで。ようやく、ここまでのことが分かるようになったということのようなのですが。