21年1月13日

 今日はお出かけする日だったので、買い物などに出掛けました。年末からこっち、あまりにも寒すぎて外仕事ができなかったので、石分もたまらず、石を捨てに行く必要がなかったので、近間を回っただけで。早めに家に帰って来れて、かつ今日は陽気がゆるんで暖かかったので、少し外で作業をしました。だいたいバケツ2/3杯くらい。1杯はできませんでした。

21年1月12日その2

 さて、どうも西武土木事務所が「所有権界」について、権限もないのにしのごの言ってくる件について、情報公開をさせましたら、資料が4枚出て来ました。もっとつつこうと思えばつつけるのだけれども、4枚で分かることもかなりある。というか、読んで「違和感」を感じる点がいくつかあるわけで。7番目の兄さんには、「違和感を観じる部分が、おかしなことを企んでる部分でしょ。よく読みこんで、相手の意図を理解するように。」と言われる気がします。

 おかしなところ、

その1
891-1と891-3の土地の西側の地図の境界が現況との乖離が著しくておかしい、と書いてあるのに、修正については891-3しか書いてない。891-1にも当然修正は必要なのに。

その2
土地の立会いを「業者に委託する」と書いてあるけど、「山本測量士」に委託する、とは書いてない。ぼかして書いてあるだけ。「違法な委託」を隠蔽する目的か? しかも「地積更正」について記載があるから、「違法な委託」を追求されたら、「公金の無駄遣い」は追求できる気がするわけですが?? 監査請求とか??

その3
法務局への相談には、地図修正のことしか書いてない。しかも、東側の墓との境界のことなんか、全然書いてもない。「法務局が所有権界に口を出して来た」っていう説明は嘘だったんですか? 宮尾さん?? みたいな感じである。私を侮辱する目的で意図的にやった?? と思う。

その4
法務局の回答も、「筆界」についてのこととか、明確にされておらず、混乱を招く書き方であると思う。筆界特定についての記載もないし。登記官もぐるなんだろうな、と思う。

 ともかく、故意だと思うけど、過失としても、誰かがまともに世話を焼かないと話が進みそうもない様相ではある。具体性がなくて、ぼかして書いてあるところは要注意だと思う。全部わざとやってるんだろうなー、と思う。

 で、後は、今日は2つの弥栄神社にも初詣をしてくる。一つは善光寺の南西にあって、頼朝が創建したと伝えられる有名な弥栄神社である。ここの祇園祭は長野市でも有名なお祭である。弥栄の須佐之男(午頭天皇)は疫神であるわけですが。ここの南東には「角薬師」というお堂があって、そこには九頭竜が現れる石があると言う。弥栄神社の西側には「薬王院」があって、そこは善光寺が建立された時に、一番最初に阿弥陀堂が建てられた場所であると言われてる。要は、大勧進の南は、善光寺でも一番古い「震源地」とも言える場所であって、かつ「医薬」の匂いがぷんぷんする場所なんである。それは、元はあの辺りは「薬師の神(九頭竜)」の本地であったものを、後から善光寺が乗っ取ったからそういう構図になったんだと思うけど、頼朝は頼朝で、なんでそこに弥栄神社を勧進したの? と思う。(守田廼神社も頼朝が創建したものなんだよね。あそこは元は鶴ヶ岡から勧進した八幡宮である。)善光寺界隈は、古くから多くの寺社が配置されていわゆる「呪界」みたいなものが張り巡らされているわけですが。中世の始めに頼朝が乗り込んで来て、彼は彼で色々な「呪法」を善光寺平に残して行った気がする。いつか「薬師の神」が探しに来ると思ってた? と思う。というわけで、そこはかとなく残る頼朝の足跡をあちこちで辿るわけで。

 で、いつも車を停めている「神社の駐車場」と思しきところが一杯だったわけ。で、その向かいにある大勧進の駐車場がガラガラだったので、「ほんの数分だしなー」と思って大勧進の駐車場をちょこっとお借りすることにしてー;。道行く見知らぬ叔母さんが、それを見て慌てふためいた顔をして「止めなきゃ、でもどうやって?」って感じでわたわたしていて。「なんだろー? 怒られちゃうかな?」と思ったわけですが、怒られもせず。弥栄神社をお参りして、大勧進のお堂の方に、「駐車場代だ-」と思って弥栄神社の方の10倍のお賽銭を上げておいたわけで-;。一応お参りしたから、大勧進にも用があった、とあえばあったことになって。ふと額を見上げたら、「歓喜天」って書いてあった。「歓喜天」って何? と思って調べたら頭が象で、単体のものと、男女が合体したものがあるってあった。頭が象、というのはガネーシャだと思うけど、男女が合体って?? と思う。性的な力を特別なパワーとみなす、という考えは密教にあるけれども、その呪法はけっこういかがわしくて「邪法」として弾圧された歴史があるので、具体的にどういう内容のものだったのか、ということは資料が散逸されて、現在では良く分からないことになってます。でも、「歓喜天」ってそっち系の神様だよねえ? 善光寺ってけっこういかがわしいものだったのか?? 元は?? と思う-;。で、帰る時に「大勧進の一角が食われた」と言われる気がするわけで-;。

 それにしても、薬王菩薩というのは阿弥陀如来の弟子?みたいなものであるらしい。阿弥陀如来が八幡神ということは、八幡の弟子とか部下みたいなものなのかなあ、と思う-;。そういえば、例えばですよ? 一般的な話として、電解質の検査をわざとやらない、とかっていうようなのは、何? と思ったら、「それが薬王菩薩でしょ」と言われる気がするわけで@@。でも、頼朝が望んだのは、「薬師の神」と「八幡神」が習合することだよねえ? と思う。あるいは、「薬」系の神様がゴタゴタしている界隈で、「九頭竜」が一番上になることだったのではないか、と思うわけですが。

 で、もう一つ「弥栄神社」というのが吉田にあって。名前からすれば、須佐之男(午頭天王)を祀ってるはず、と思う。でも、何故かそこには御柱があるので、諏訪神も祀られているはず。で、今日言って額を見たら「天穂日」がどうのって書いてあったー;。いったい、どういう由来の神社なのさーー、と行く度に思うわけですが、資料が乏しくて良く分からないのです。不思議です。