昨夜は特に夢も見ず。朝方に夕立のような激しい雨が降っていたので、庭がぐちゃぐちゃしている内は、外に出る気になれなかったし、もしかしたら職人が来るかもしれないので、待機していたかったし。だから、作業はスローペースであって。
そして、要するに思うわけですが、親身になってくれる相手ほど、「恩着せがましくしようとしている」と勝手に思い込む気性、というのは、要するに相手の気持ちを理解もしていないけれども、信用もしていない、ということで、「猜疑心が強い」ということになるんだよねえ? と思う。天智天皇は、その猜疑心の強さで、舅を殺したし、従兄弟も殺したし、弟を殺そうとしたし、やりたい放題である。頼朝もそういう気性に似たところはあって、弟を何人も殺してる。尊氏もまたしかり、であって。だから、古代の天皇家の歴史をひもとくに、母親は「兄弟同士殺し合う」と言うわけですが、そうではないのだと思う。猜疑心が一番強い人が、その他大勢を殺してるだけなのだと思う。だから、真に「殺し合う」という例は少ないのだと思う。そういうのは、北朝と南朝とか、欽明天皇とその異母兄達とかそんなものなのだと思う。だから、上の殺し合いによる動乱、というのはこの国ではあんまり数は多くない気はする。誰かが、誰かを粛正して権力を握る、ということはいくつもあるけれども。だから、身近な例でいえば、母親の身内なんかは「親が子供を自殺に追い込む」例なんかはいくつもある。だけど、「お互いに殺し合う」例はあんまりないんだよね。だから、母親自身は自分の身内のことを「正気の仲良し一家」みたいに思い込んでいるわけですが。
だけど、蛙の王家はそういう気性ではないわけ。母親は、自分が動くときに、私が大学を辞めた時のことを例に挙げれば、「自分が動きたくないと思ったから動かなかった。」と言う。それが典型的な「源氏」や「天皇家」の気性であって、行動する理由の根拠は、「自分がしたいか、したくないか」ってそれが最大な人達だと思うわけ。でも、蛙の王家は、そういう感情的な根拠では行動しない。彼らはものすごく計算高くて、「役に立つか、役に立たないか」ってそういうことでしか動かない。だから、自分の目的にかなってない親戚はいらないから、片付ける、とそういう人達なわけで。でも、母親には、そういう気性は理解できないと思う。なぜなら、母親にとっては、「自分にとって役に立たないもの=自分が気にいらないもの」という感じがすごく強いと思うから。「自分にとって役にたつもの」と「自分が気にいるもの」はそもそも全然別だ、という考え方が、そもそも理解できないと思う。だから、蛙の王家の人達は冷たい、と言えば冷たいけれども、「正気」ではある、というか、計算高すぎて、正気すぎるのが問題でもある。その代わり、敵と深くかかわっても相手にはなかなか取り込まれない。なぜなら、敵も王家にとっては「どういう点で利用できる素材なのか?」って、それだけのことだから。だから、王家そのものというのは、身内を大切にしない人達でもないのだと思う。でも、「必要の無い身内」は「大切にする必要もない」って、そういうごく理論的な人達なんだよね(苦笑)。
で、その一方、源氏的な人々は、「自分がしたいか、したくないか」でしか動かないし判断しないから、やってはいけないことでも、やりたくなったらやってしまう可能性はものすごく高くなる。そうすると、そういうところが敵につけこまれやすくなるので、敵に操られやすくなる。つまり、自分勝手で、自分のご都合でどんどん身内を殺す人達でも、蛙の人達は損得計算でやっているから敵にはつけこまれない。源氏的な人々の方は、「好き嫌い」でやるからつけこまれる、とそういうことらしくて。だいたい、家族の中で、嫉妬心が異常に強くて、身近な人に対する猜疑心も異常に強くて、自分を正当化するためならつまらない嘘を平気でつく。太陽女神以外の3人は、そういうところが全く同じ人達だから、そこが敵につけこまれる。ただ、そこに至るまでの血筋はそれぞれ異なっていて、父親の方は源氏の血筋ではなくて、天智天皇から数えて6代目の子孫にあたる称徳天皇の末裔である。母親の方は源氏の傍系足利氏の血筋を引いているので、性格の傾向がそれぞれにやや異なる。でも、根本的な性格は夫婦は全く一緒。父親は自分を足蹴にしてた姉や兄達を「いい兄弟だった」と言い張る。母親は、自分を妬んで死ねばいいと思っている兄や姉のことを「仲のよい兄弟だ」と言い張る。そういうところが全く一緒。見栄を張って言っているだけなんだろう、と甘く見ていると、本音でまでそう思い込んでいて、唖然とさせられるところまで同じ。母親の姉がエホバのことを私たちに向かってやたらと褒めるのは、そちらに関心を向けようとさせている行為なのだけれども、母親は「自分が興味ないんだから関係ない」みたいなことしか言わない。そもそも、我が家が関わってはいけない方向に関心を向けさせようとすること自体が、明確な「殺意」の現れなのだ、ということをまともに判断できる能力は母親にはない。そのくせ、自分の子供には猜疑心が強い上に悪意も強くて、「おまえは冷たい人間だ」とか「おまえは子供を持つべき人間じゃない」とか、そういう呪いの言葉を何の正当な根拠もない言い散らすわけで。まあ、兄弟姉妹の仲の良さについては、父親も母親も太陽女神自身も、「似たり寄ったり」でしょ。みんな、身内に対する殺意と悪意を、正当な理由なく、いとも簡単に持ちすぎる。それが源氏の血筋だし、ダビデ王家の血筋でしょ、と言われる気がするわけでー;。蛙の王家の方には、「余計なゴミみたいな親類はいらない」という一応正当?な理屈は常にあるわけで、それが蛙の王家とダビデ王家の気性の違い、と言われる気がするわけでー;。狂気の強いぼは、当然ダビデ王家の遺伝子なわけだー;。で、家族4人の気性をみるに、3人は「自分がしたいか、したくないか」で動くダビデ王家の末裔で、「自分たちの役に立つか、役に立たないか」で動く蛙の王家の人間なのは、太陽女神ただ一人だけだし、だからこそ、敵と対決できるのも太陽女神ただ一人だけ、と言われる気がするわけで-;。
要するに、高師直という人物は、足利尊氏の家令であって、家の中のことを取り仕切る人達で、一般の家臣(御家人)とは違う。家の中のことを取り仕切る、ということは、家族の中でもめ事が起きるのを納める役目でもあるわけだから、私の家の中がもめたら、それをおさめるのも7番目の兄さんの仕事なんだ? と思う。でも、そういう立場の人の方が役目は難しくて、下手なことしたら「身内同士の問題に口を出すな」って怒られるし、実際そうやって師直は尊氏に殺されてしまったわけで。どうやって主君に信頼を得るかどうかは、ご当人だけでなく、富の王家のおっちゃんも含めてやきもきしてきたんだなあ、と思う-;。でも、それはともかく、母親は「自分がしたいか、したくないか」で動く人だから、私の「自分たちの役に立つか、役に立たないか」で動く気性を理解できない。私の方も、「自分がしたいか、したくないか」で動く人達のことは理解できない、とそういうことらしくて。こと母親に関しては、「自分が娘の顔色を伺って窮屈だ」と感じるくらいに振る舞っていて、だいたい丁度世間の親並みのふるまい、と言われる気がするわけでー;。母親が言いたい放題の悪意を私や兄さんたちに向けると、それは母親の問題だけではなくて、直接姉の動向にも影響する。そうではなくて、悪意のある言葉を言いたい放題言っていたら、それは結局母親の姉が夫や自分の娘を自殺に追い込んだのと同じ事で、殺人鬼の所業と同じ、と言われる気がするわけで。でも、そう考えると、叔母さんは冷酷ではあるけれども、計算高くはありますよねえ? 結局生かしておいたのは、「自分に役に立つ娘」だけですよねえ? と思う。だから、おばさんの方が、蛙の王家の気性もずっと受け継いでいるんだよ、お母さんよりも。と言われる気がするわけで。知能は母親の方がずっと高くても、結局源氏の性格の濃い人は、そういう計算高い人間に負けちゃうんだなあ、と思う。