本日の日誌

昨夜はなんだか夢を見て。なんだか石井のイベント?だかで、招待されてバスに乗って出かけて。現地へ行ったら、何故か家族全員呼び出されていて、あちらが招待したのだからホテルとか用意してあるだろう、と思っていたら、「自分で調達しろ」と言われて、現地は大変混んでいて、宿が足りなくて野宿している人達もたくさんいたので、「こちらは年寄り連れなのに、どうしてくれるの。」と怒って、顔見知りのスタッフとかに言いに行ったら、昔の顔なじみのファンとかスタッフがいて、困った顔をしていて。「ともかく招待した張本人を呼び出せ。」と言って怒っていたら、何故かスタッフ?の中に潤ちゃんがいて、彼も私のために怒って暴れてくれて。で、その姿がまだ若い頃のパーマを当ててた鳥の巣のような髪型をしていた頃の姿であって。で、昔の知り合いに、「今何してるの?」と聞かれて、「ジャニーズ事務所の顧問をしてるの。何か文句ある?」と答える、という夢で。6番目の子に「自分は、すぐに頭に血が上ってた20代の頃と同じ情熱で妻神の事を愛してる。」と言われた気がするわけで。目が覚めて、情熱がどうの、というよりもやっぱりすぐに頭に血が上る気性だったんだ?? と思うわけで。でも、最近は妻神に突き当たって、嫌われないように気をつけているらしいのですが。4番目の子は、妻神が困っているときは、八つ当たりしないで、「馬鹿にされた」と思わずに甘えとくように、とアドバイスしているらしくてー;。6番目の子もプライドが高いからなーー、と思う。それにしても、最後に我ながら、何かすごい捨て台詞を言ってなかった?? と思う-;。

昨夜、寝ようとしたら、サートゥルヌスの者が降臨してきて、「水道用のシーリングテープとか、細かなテープ類も勝手なものを使わせないように。あらかじめ通達しておくように。工事の前には、親とも良く打ち合わせをして、勝手なことをさせないように注意するように。」と言われる気がするわけで。どうも、うちの親は工事の時になると、「おまえの好きにすればいい」とかって言って、現場のことは「分からない」とかって言って放棄しちゃうのですよねー、と思う。穴掘りも大事だけれども、工事をしっかりと思うようにさせることも大事なのに。

で、おととい穴を掘っている時に、なんとなく2番目のこのことを考えていて。その人は、私のことを「自分ばっかり楽をしたがっている。」と言って非難していたし、なんだか学生の頃から独善的なところは多分にあった人であったけれども、なんで私のことを特に非難するのだろうか、と思う。普通は、生きていくことは誰でもそれなりに大変だけれども、好きな人と二人で協力して頑張っていこう、とかそういう風に考えるものなんじゃないのか、と思う。だから、一人では大変なことでも、二人だったら「楽になる」ことを目的としているわけで、なんで楽になることが非難されるべきことになるのかが分からない。しかも、客観的に見たら、そっちこそ人を利用して自分ばっかり楽をしてたんじゃん? としか思えないし。しかも、仕事でも家庭内のことでも、妻と夫、とか親と子、とかそれぞれに役割分担があって、それぞれにすべきことがあるのだから、誰もが同じことをしてないからといって、誰かを非難する理由にはならないと思う。それは職場だって同じ事で、教授が平の医局員と同じ仕事をしないから、といって非難されないのと同じ事で、新人の医者が教授と同じ仕事をしないから、といって非難されることにもならないと思う。だけど、2番目の子にはそういう見境が元からあんまりない気がするわけで。しかも、それぞれの立場とか都合を考えないで、自己中な主観から人のことを決めつけている気がするわけで。敵は、だいたい神々を狂気に陥れて利用するわけです。曰く、アルコール中毒とか。いったん、そういうものに陥ると、どんなに優れた人でも判断能力が劣るようになる。欲するもののために、見境なくなんでもするようになる、ということで。元々独善的な性格傾向の強い人であれば、更に自分勝手な人間になるのは目に見えている気がする。でも、その中でも、私に対する非難の気持ちがものすごく強い気がするわけで、それは何故? と思う。そうしたら、ふっと「その人の前世は聖ペトロ。」と言われる気がするわけで@@。聖ペトロは、ローマ教会では「イエス・キリストの一番弟子にして後継者である」としている人物である。ローマに布教に赴いて、ヴァティカヌスの丘で殉教して、そこに埋葬された。彼の死体を礎にして、バチカンは建てられているわけだから。でも、実際の歴史を見ると、イエスの後継者とされて、エルサレム教会の主人となったのは、イエスの弟のヤコブである。でも、エルサレム教会は、ユダヤのローマからの独立闘争の結果、ユダヤ人全てが、ユダヤの地から追放されることになったので、教会そのものが余所に移転せざるをえず、周囲のユダヤ人からの圧力、内部での闘争とかの結果、原始キリスト教の中心からは外れてしまうわけで。(確かヤコブも誰かに暗殺されたはず。)エルサレム教会が没落した結果、原始キリスト教の中心は、ローマに布教した勢力と、トルコに布教した勢力に大きく分かれ、それが現在のローマ教会と正教会につながるのである。でもって、聖ペトロは、イエスに後継者に任命されなかったことを恨みに思って、ローマ人と手を組み、師匠を殺してローマ人に協力するかわりに、自分が師匠の後継者となって、教団を自らのものとする契約をローマと結んだ、と言われる気がするわけで@@。でも、その人、ローマではシナゴーグ(ユダヤ人の礼拝所)で、「イエスを殺したのはユダヤ人」って説教して、嫌われて閉め出されたりしてたんじゃん?? と思う。要するに、その人は、ローマに協力するかわりに、教団を自分のものにする、という契約を結んだらしい。だから、その人の望みは、教団を師匠が作ったよりも大きな組織にして、師匠に自分の方が偉い人間だ、と見せつけたいことらしい、というか、かつてはそうだったのだけれど、今は敵の手によって狂気に陥っているので、今の自分と前世の自分の区別がつかなくなって、過去の妄執に取り付かれているだけ、と言われる気がするわけで@@。要するに、その人が「自分ばっかり楽をしたがっている。」と言って非難しているのは、かつての師匠であったイエス・キリストのことなんだ?? と思うわけで。なんじゃ、そりゃ? と思う。でも、だいたいイエス・キリストの教団は、「死者を生き返らせることができる」とかって言ってた詐欺集団でしょ? そういうものの後継者に選ばれなかったからって大いに不満に思うなんて、それはそれで相当性格が悪いのでは、とも思う。しかも、自分が師匠を殺しておいて、それをその他大勢のユダヤ人のせいにしてはばからなかったわけだし、その言い草が近現代におけるまでユダヤの人達に大迷惑をかけてるのに、前世を覚えているならいるで、そういうことに対して思うことはないのかい? と思うわけですが、そういえば、その場その場で自分に都合のいいことばっかり言ってる人だったなあ、と思って。今は私に大迷惑をかけている気がするわけですがー;。

それにしても、敵は利用したい相手とか、滅ぼしたい相手とか、みんな何かの中毒にして、狂気に陥らせて利用したり、殺したりしてますよねえ? と思う。イエス・キリストも当初はユダヤ独立の理想を持っていたはずなのに、結果的には詐欺集団の親玉みたいな感じだし? と思う。当時のユダヤはローマの支配地域だし、ローマはあらゆるところにスパイを放って、ローマに対抗しそうな優秀な人物を探り出すし、見つけ出せば、利用するか、殺そうとするか、どちらかなわけで。そうやって目をつけられたら、大抵はなにがしかの中毒に陥って狂わされる、と言われる気がするわけで。イエスもそうやって狂わされて自滅した一人、といわれる気がするわけで。ローマ教会は、常に自らが全キリスト教の頂点に立つものだとアピールし続けてきたし、時代が下ると十字軍を組織させて、元々原始キリスト教の総本山があったエルサレムの町を支配する者こそが、「キリスト教のトップ」だと考え続けてきた。それは、初代ローマ総主教であった聖ペトロの考えを忠実に代々受け継いできた結果であって、そうやってローマの後継者達と聖ペトロの後継者達は、かつての「契約」を守って互いに協力しあってきたのだから、ローマ教会のたどってきた歴史こそが、聖ペトロの気質そのものである、と言われる気がするわけで。その男は、他人の命や財産をいくら食い物にしてもなんとも思わない「悪魔」なの? と思う。でも、それじゃあ逆にイエス・キリストはちょっとは人を見る目があったんじゃないの? と思うわけですが-;。それはともかく、蛙の王家は「2番目の子が個人的に過去の自分を思い出して、勝手に過去の契約に従って動いている分は、自分たちのあずかり知らぬ事。」と言って言い逃れしようとしてる、と言われる気がするわけでー;。そんなこと言ったって、今と前世の区別もつかないくらいおかしくなるのには、あなた達も充分協力したんじゃないの? 飲んではいけないような酒をガブ飲みさせてさ? と思うわけで。なんというあか、若い頃に読んだ「ぼくの地球を守って」という漫画を思いだすわけで。主人公の女の子は高校生になったばかりであって、彼女には前世があって、それは別の天体の宇宙人であったわけですが。前世では彼女は特殊な巫女のような存在であって、周囲からとても大切にされていたわけです。でも、ご当人的には、それは窮屈を感じることでもあって。で、そこに紫苑という男が現れるわけですが、これが貧しい育ちの男であって、優秀だけれども、ひがみ深くて嫉妬深い男であって。周りの人達から、とても大切にされる女性をとても妬むわけです。でも、女性自身にそれは責任のないことで、特殊な巫女的な才能があることは生まれつきのもので、良くも悪くもご当人にはどうしようもないことだから、それで妬まれても困るわけで。今から思えば紫苑とその生まれ変わりである小林輪とは、「誰がモデルだったのか?」となるわけですが。でも、主人公の女の子自身は、前世のことをほとんど覚えていないし、思い出さないわけです。それはともかく、この漫画の連載が始まったのは、私が高校1年生の時だったので、因縁を感じる、というか印象深いわけで。主人公の名前は亜梨子(ありす)と言う。だいたい作中で、主人公の母親が「『不思議の国のアリス』のファンだったからその名前を娘につけた」と説明されているわけで。アリスとは、ウガリットの女神アーシラトに由来する名前、インドの阿修羅に相当する名前なので。ゾロアスターのアスラ神族の太母を連想させる名前である。

でもって、おとといこういうことを言われた気がするわけですが、聖ペトロの紫苑並の妬み深い妄執とか、そんな少女漫画みたいな展開はもううんざり、と思って日記にも書かなかったわけで。そうしたら、蛇の兄さんに「自分の言うことを信用してない」とギャーギャー言われる気がするので、今日はせっせと日記に書いてみたわけで。そうして、恒例の「NEWS ZERO」を見ていたらアメリカがエルサレムにアメリカ大使館を開設した、というニュースをやっていて。普通、大使館というのは首都に置かれるもので、エルサレムはイスラエルが首都と主張していても、今まではパレスチナの人々の心情を優先してテルアビブに大使館を置いていたのだそうで。抗議のデモをしているパレスチナの人々の映像とか、喜んでいる?イスラエルの人々の映像とか流れていたわけですが。パレスチナの人々は、「この機会に神に『目の力』を送れ。」と言っていた気がするわけで。イスラエルの人々は、「我々がこの『狂気の沙汰』としか言い様のない争いを続けなければならないのは、誰が仕組んだことなのか考えて欲しい。」と言う気がするわけで。アメリカがエルサレムをイスラエルの首都と認めた、ということは、アメリカがその決定権を握っている、というデモンストレーションでもある。すなわち、アメリカがエルサレムの町を支配している、という恣意行動でもあるわけですが、アメリカなんてローマの出先機関であることくらいは誰でも知っているので、要は「ローマとローマ教会がエルサレムを支配している」ということのデモンストレーションである。では、ローマを支配する者は誰なのか? 聖ペトロの亡霊と狂気のユーピテルなのか、それともイエス・キリストの生まれ変わりにしてへーリオス・ソルの名前を持つものなのか? と言われる気がするわけで。ローマとローマ教会を支配する者が、ゾロアスターの神々であるならば、結局はエルサレムの町を支配する者は、富の王家の神々となるよねえ? と思うわけで。イスラエルの人々には、「ホルアクティ」の名前で呼ばれる気がする。それは、へーリオスのエジプト名であり、神聖四字そのものであり、ユダヤ教とキリスト教にまたがる「神の名」である。いろんな人から、「6番目の子はこういう機会を逃さず、その豪腕ぶりは誰にも真似できない。」と言われる気がするわけで。北の王国と南の王国の両方の血を引く人々が再びその町に君臨する時が来た、と言われても、私はその町のことはほとんど何も知らない。そこに住んでいる人々のことも。イスラエルに行って、かつてイエス・キリストが歩いた道をたどって、日本にはない地中海の景色を見たら、何か思い出すことがあるかもしれない、と言われてもピンと来ない。でも、「平安」という名前のその町が、その名前に真にふさわしい町になりますように、と思う。それは国が二つに分裂してから、ダビデとソロモンの時代以来、3000年もの間かなわなかったことだから、だと思うわけです。