本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。作業の方は、埋まっていた枝やとっこを2本掘り出す。ので、5月の前半のノルマは達成した、ということで15日までは、周囲の片付けと整えをする予定である。

今日は所用で出かけて、いろいろな支払いをしたので、なんだか疲れたのでした。

本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。作業の方は、5月になったので、また木を掘り出し始めよう、と思って木の周辺を掘る。そうしたら、やはり木が埋まっているところの上の方から、やたらと大きな石が出てくる。そして、木の周辺には本物の砂のような更々した土が詰まっている。どうやら、木も複数本固まって入っているようなので、元の形をできるだけ残したまま掘り出すのは大変そうです。そして、炭が埋まっているところからは、ミミズの子供が次々と出てくるわけで;。埋め戻す方は、なるべき基礎の下をせっせと詰めています。

お昼寝をしていると夢を見て。なんだか、自分が辞書を引いて、英文を読んでいる夢で。だいたい、そういうことをしろ、というか、そういう環境を整えなさい、ということなんだろうな、と思う。

それにしても、2番目の子はなんで私だけが「楽をしようとしている」と思うのだろう? と思う。だって、みんな同じ医学生だったでないの? と思う。そりゃ、知能とかお勉強に対する能力には個人差があるけれども、ただ楽をして遊んで国立大学の医学部に入ることができる人なんて、それこそ特殊な「天才」的な人で、それ以外の人はどんなに優秀な人でもそれなりに頑張って勉強してきた人たちだと思うし、入ってからだって、一定の勉強はしなければ卒業もできないし、国家試験も受からない、ということになる。だから、私にしても、私以外の人も、ただ楽をして遊んでいた人なんていないじゃん? と思う。2番目の子が主席を目指していたのは知ってる。その目的は知らないけれども。だいたい、医学部に行く人は、医者になりたくて行くのであって、主席になりたいから行くのでは無い。普通に勉強していたら主席になってしまった、とかそういう優秀な人はいるかもしれないけれども、わざわざ目指す意味が私には良く分からない。そういう人は、将来的に臨床の教授になりたいから、学生のうちから経歴を整えておきたいんだろうな、とかそういう特殊な目的があるのかしら? くらいにしか思えない。だって、主席にならなくても、国家試験に通れば医者にはなれる。自分の行きたい科に入れれば、将来的に自分が目指している医者になれるでしょ? と思う。だから、2番目の子にとっては、主席云々と言っていたけれども、本当は頭があまり良くなくて、医学部に受かるのも、良い成績を取るのも彼にとってはとても苦労なことであって。だから、普通に生活して勉強していた私なんかは、「何もしないで遊んでいる」ように見えたのかなあ、と思う。だったら、見栄なんか張らないで、普通の成績でいいじゃん?? と思うわけですが、なんでそんなに見栄っ張りなのかも良く分からないわけでー;。

でも、マリリン・マンソン氏と結縁して以来、「バチカン」という言葉の意味が改めて気になるわけで。マンソン氏はアメリカ人のロック・スターである。彼のパフォーマンス・スタイルは「アンチクリスト(反キリスト)」というものであるらしい。だから、西洋でいうところの、サタニストというか悪魔崇拝主義者?的なスタイルのアーティストであるらしい。で、なんでそうしているのかというと、厳格なカトリックの家庭に生まれて、厳格なカトリックとしての教育を受けたけれども、それが嫌でたまらなかったので、アンチクリストに走った、ということらしくて。それで、思い出したけれども、元々ロックというのは、若い人の反体制というか、反骨主義みたいなそういう精神の音楽だったな、と思って。だから、KISSとかも、そういう傾向だよね? と思う。だから、西欧というのは、「反体制主義」みたいなものを掲げるには、政治的な「反体制」を示さなくても、「アンチクリスト」って言ったら「反体制」扱いでいいんだなあ、と思ったわけで。一方の音楽家の兄さんの方はといえば、ロック・アーティストではあるけれども、自分のことは「ミュージシャン(音楽家)」と述べているだけで、政治的なこと、宗教的なことは強く前面には出さない。だけども、慈善事業とかも活発に行っているし、西洋的な「社会人」としては「反体制」というよりは「優等生」な人である。それで思い出したけれども、映画「We are X」の中にはYoshikiとToshIが、亡くなったhideのお墓参りに行くシーンがあったはず。hideの菩提寺は増上寺だし、お墓は当然日本スタイルの石塔であったはず。要するに、彼らは日本人だから、仏教徒であってキリスト教徒ではない。だから、ロッカーとして「アンチクリスト」なのかそうでないのか、と問われれば、誰でも「キリスト教徒じゃないよね??」と思うような玉虫色のところに敢えて潜り込んでるでしょ? とふと思うわけで。元々キリスト教徒の子弟がひねくれて育って、「アンチクリスト」を叫ぶのと、元々仏教徒の子弟が「自分はキリスト教徒じゃないんで」って普通に言うのとでは、受け取る方の印象はだいぶ違う気がするわけですが、なんだか「どっちもキリスト教徒ではない」というくくりに適当に潜り込んでる気がするわけで。確かに、なんだか「アンチクリスト的なんだけれども、優等生な社会人」になるような、計算高さが垣間見える気がするわけで。

それはともかく、改めて調べてみたところ、「バチカン」とは元々「ヴァティカヌスの丘」と呼ばれたところにあり、「ヴァティカヌス」とは何かといえば、古代ローマにおける「赤ん坊が泣き叫ぶこと」を支配する神である、という。要するに、「赤ん坊が泣き叫ぶことを支配する神」「赤ん坊のような連中が騒ぐことを支配する神」、結局は「騒音の神」だよねえ? と思う。彼らは「父と子と精霊」と良く述べるけれども、天なる父の神とはユーピテルのこと、子とはヴァティカヌスのこと、と言われる気がするわけで@@。そういえば。日本の神話にも、亡くなった母親のいる国へ行きたいと言って、大人のくせに泣き騒ぐ神がいたっけね? と思う。それで、「図体が大きいくせに、赤ん坊のようにわけの分からないことを言って泣き騒ぐ者は誰か?」と聞かれる気がするわけで。それは、2番目の子のことであろう、と思う。蛙の王家と敵との密約は、ヴァティカヌスの名前を2番目の子に与えること、であったらしくて。遂にサートゥルヌスの者が、そこまで密告に及んだ、ということらしくて。どうりで子供を泣かせたり、猫を鳴かせたり、大声で話して嫌がらせとかするわけだ。それはユーピテルの者というよりは、ヴァティカヌスの者なんだ、と思うわけで。黒幕がどこにあるのかも分かった気がするわけですが。それにしても、山口君の件は、2番目の子の投影であると思う。2番目の子を庇いたい気持ちがあるとしても、物事の本質をお酒のせいにしてはいけない、と言われる気がする。長瀬君には気の毒な展開であるなあ、と思う。しかし、ヴァティカヌスの名前はクマルビ、フンバン、フンババにつながる名であるので。クロノスの名前を手に入れなければいけない、と言われる気がするわけです。なぜなら、「観念」を優先するギリシャ人は、女性であっても男性神の名前をけっこうホイホイとノリが良く与えてくれる傾向があるのでー;。そっち系の名前を食うには、まずそこから食っていくしかないからですー;。