猿の惑星

昼間は夏のように暑い毎日が続いていますが、なでしこ、デイジー、キンセンカ、カモミール、桜草等々が咲き出しています。
我が家は現在細々とリフォーム中で、今日は一部の床を剥がしたのですが、床下から子供用の赤いボールが出てきてびっくりしました。それは、小さい頃の私とか、我が家の子供の遊んだものではなくて、親戚の子が昔遊んでいたものらしいです。私は全然覚えていなかったのですが、親が覚えていて
「遊んでいたのは見たけど、ボールをいつの間にか見なくなったと思っていた」
と言っていました。そんなものが何もなく床下に入るわけがないわけで、誰かが家の中の開いているところから無理矢理投げ込んでいったものらしいです。まったくのところ、こんなことばっかりが続いていた気がする我が家ですが、だいぶ片づけたと思っていたのに、まだあってびっくり、という感じでした。日が当たらない床下の赤い玉なんて、黄泉の国の太陽ネルガルとか、でなければ日の当たるところにいないプタハみたいだ、という気がしますーー;。
で、執筆活動の方は、仕上がる時にはいくつも仕上がるというわけで、いろいろとアップしてみました。一方でヘバト・シャウシュカ・イシュタル・蛙と繋がっているわけですが、もう一方の蛇女神の方も、メヒト・メヘン・ネイト・ハトメヒトと繋がっているはずなのに、どちらも分断されていて、別々の女神みたいにされているところに不条理を感じるわけです。メヘンとネイトが同じものだから、夜の混沌の世界(要するに生まれてくる前の世界ということで、羊水の中の世界)にいるラーが母たるメヘンに取り巻かれているのは当然ともいえるわけで、「同じもの」だと分かっていれば理解できることが、分断されているから理解されにくいこと、みたいになっている気がします。
で、そろそろ、「母なる太母から生まれた神」ではなくて、「岩から生まれた猿」とかの領域にも近づきつつあるわけで。東洋人でしたら、「岩から生まれた猿」というのはまず「孫悟空」が思い浮かぶべきかも? とか思うわけですが、実のところ「岩から生まれた猿」の神って、あちこちにいたことが分かっているわけです。孫悟空というのは、そういう猿神の一種が、仏教娯楽小説? みたいなところに取り込まれて完成したキャラだと思われます。で、これがドラゴンボールにまで続いているわけだ。(ちなみに星矢は読んだ私ですがドラゴンボールは読んでおりません。まあ、ハリウッドのB級悟空は見に行きましたけれどもーー;)
ドラゴンボールといえば、大学の教養時代にどこかの講義の先生が、この漫画の話をしていて、『神様も死ぬという設定が斬新だ。神様というのは死ぬものじゃないと思っていた。』と言ったこととか、アニメ版のエンディング曲の歌詞の中に「神サマも辛い」とかそんな言葉が入っていたな、とか、そういうことを微妙に思い出すわけですが、中身は読んだことがないのでさっぱり分からずじまいなわけで。どうも鳥山作品はあまり合わなかったみたいな気がするわけですが。
まあ、それはともかく、フィクションの話はともかくとして、現実にはこの猿神があちこちにいるわけで、人類は猿の代理人に振り回されている「猿の惑星」というのは、フィクションなの? それともノンフィクションなの? とか思う昨今なわけです。全くもって
猿の代理人
とはーー;。何をか言わんや、です。ともかく床下を綺麗にできて良かったです。