「ハウルの動く城」

個人的にはSMAPといえばバラエティーのイメージがとても強いのですが、SMAPには、キムタクこと木村君もいるわけで、この方はドラマにもたくさん出ています。でも、私はあまりドラマを見ないので、ドラマで見たことはそもそも「ドラマを見ないからほとんど無い」のですが、1996年の「ロング・バケーション」だけは最初から最後まで見ていたわけです。これは年下男子と年上の女性の恋愛ドラマで、確か最初は主人公二人が別れる予定だったのが、視聴者の希望が多くてハッピーエンドにした作品だったとか。やはりハッピーエンドの方が見ていて楽しいので、私もハッピーエンド希望組でした。今では女性の方が年上なカップルも珍しくありませんが、当時としては珍しい設定だったのかな、と思う。
で、その後はずーっとドラマ関係をほとんど見ることがなくて、木村君の出演作品を次に見たのが「ハウルの動く城」(2004年)だったわけです。2004年というと、東京に住んでいた頃で、「千と千尋の神隠し」(2001年)あたりから、宮崎作品が好きになって見ていたわけです。「ハウル」の女主人公ソフィーは普通の女の子ですが、まあ、いろいろとあってハウルという魔法使いと恋愛する、というそういうストーリーだったと。(内容ははしょり過ぎですが、有名な作品ですから知っている人は知っているということで書くのですが^;)
当時の私も普通の人で、わりとさえない方だったので、恋に一途なソフィーに好感を持てるというかそんな感じで、宮崎作品の中では、これが一番好きな作品でした。で、ソフィーの憧れの人ハウルの声を担当したのが木村君だったのですね。アイドルが声優というのもちょっと珍しい感じでしたが、割と良かったと思うのです。
物語の中では、ソフィーはいろいろとあって家を出ざるを得ず、ハウルの住む城に転がり込んで、そこでハウルと、ハウルの弟子のマルクルと、ハウルに使役されている火の悪魔カルシファーと、ソフィーについてきたかかしのカブと一緒に暮らすわけです。で、いろいろあった末、最後はハウルと旨くいって私の好きなハッピーエンドになる、とそんな感じでした。
たぶん、物語の中で、一番面白いと思ったのは、ネーミングで、
「カルシファー」って カ(火)+ルシファー で、「火の悪魔」ってことよね?
とかと思って、なんだかベタベタなネーミングセンスだな、と。逆にそこがすごいというか^;。
で、後になって改めて考えてみますと、「ソフィー」って女の子の名前でもありますけれど、キリスト教の当初期の女神であるソフィア(というか、ギリシア語における「叡智」という言葉の神格化、というべきでしょうか。)のことなわけです。古代のギリシャ人というのは、なんというか、抽象的な概念を何でも神格化してしまうのが好きな人たち、というイメージがありますので、本来概念的なものを神格化して、性別をつけるというのもなんだか奇妙な印象を受けるのですが、ともかく、この名は古代の女神の名前なわけです。
なぜ「叡智」が女性形なのかといえば、おそらく古代ギリシャ人にとっては、彼らの叡智の女神であるアテーナーを意識してのことなのかもしれません。それが、キリスト教にも取り入れられたものなのだと思います。日本語に訳すと、
「上智」
という言葉になります。上智大学の「上智」のことですね。で、この女神はそもそも元になったと推察されるアテーナー女神も処女神と言われていますし、そもそも「ソフィア」が観念的な言葉なわけですから、本来恋人なんていないわけです。
でも、もし彼女に恋人というものがいたら、それはやっぱりハウルみたいに素直になれない人なの?
とも思ってしまうわけです。劇中でハウルと喧嘩して城を飛び出したソフィーに向かってマルクルが言う台詞があります。
「戻ってきて」
と。この映画とこの台詞がなかったら、おそらく何も始まることはなかったと思うわけです。これは私にとってそのくらい思い出深く印象的な作品なわけですね。


で、何が始まったのかといえば、映画の中にあるように
「掃除、掃除、掃除」
なわけで、しかも映画並に家に次々と爆弾が投下、みたいなーー;。そういうたいへんなことが始まったわけです。
そして、始まった頃は、ソフィーはハウルと結ばれてハッピーエンドになると思って疑わなかったのです。そうなったら、いつも何も言わずにソフィーのそばにいて、ソフィーを支えてくれていたかかしのカブがどうなるかなんて考えてもみなかったわけで。
でも、今となってはソフィーは
「気が付くのが遅くなってごめんね」
というのは、ハウルではなくて、むしろカブに言うべきではなかったのか、とそう思うわけですが。よく考えたら「ハウルの動く城」は恋愛モノで、ハッピーエンドですけれども、微妙に
三角関係
の話でもあるわけで。しかも、最後に流れる主題歌の中に
いつまでも生きて欲しい
みたいな歌詞があって、人は年をとって死ぬのが当たり前のことなのに、何故そんなフレーズが出てくるのだろう? とそれもとても不思議で。ハウルは今でも好きな作品ですが、その奥に秘めているものもとても深い映画であったなと、そう思うわけです。