21年7月31日

 本日は川上村に行ってきました。金峰山という山があって、金峰山神社が3つほどありました。なんで、長野市の川周辺に金峰山神社があったのかが分かった気がしました。千曲側の上流から持ってきたのねー、と思う。川上村の本来の神社は住吉大社なのかなあ、と思います。元々は秩父に抜ける峠道があって、秩父神社に天之手力男神が祀られていますので、秩父から川上村にかけて安曇族が開拓した土地であって、街道沿いに彼らの神を祀ったのだと思います。金峰山はおそらく下社系が招いたのではないか、と思います。でも、今の川上村の皆様は、道路のすぐ脇に新しいお墓を建てるのがトレンディーなような・・・? 今までどこにお墓を建ててたの? と余計なことを思ってしまうくらい、新しいお墓が多かった気がしたのでした-;。

 で、帰りに一般道を通って帰ってきたら、佐久に「新海三社」という大きな神社を見つける。元は男性の三神を祀った神社らしいです。芹田三社もそうだけれども、千曲川系で、「男性の三神」を祀ったものは、いずれ機会があったら蔵王権現に置き換えるつもりで作って、そのままになってしまった神社ではないのだろうか、と思ってしまう。そして、関東に抜ける道は碓氷峠以外にも古い道があって、山の向こうには鴨々しい賀茂の神々がゴロゴロいることを発見する-;。その道を通ってやって来たんだなあ、だけど、長野県側に入ると賀茂の名前を捨てて、「建御名方富命」の名前の陰に隠れてしまうのね? あ、賀茂じゃなくて終わりだっけ?? と思うわけで。

 奥秩父からの道を現代的に発展させないのは、安曇族に対する嫌がらせですか? と微妙に思うわけです。