21年7月4日

 昨日は一日作業していました。外作業は、母親が土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉が土の清掃、私が土の清掃、土掘りでした。夜は「MUSIC DAY」を見たので、色々なことをやるのが遅くなって、疲れたので日記を書く暇がありませんでした。今日は天気予報で雨が降るとのことだったので、信州新町の家に出向いて細かなゴミの整理をしたり、布団や食器類を持って来たりしました。

 各方面からの要請に従ってAmazonのfire TVを購入しました。何とか設定も終わりました。お目当てはYouTubeとネットの天気予報です。好きな時に天気予報が見れるのは良いです。あとは、なんと言っても「ジャにのちゃんねる」です。

 でもって、本来は神話的世界は、「天界」ー「中つ国(地上)」ー「冥界(黄泉の国)」と3つに分かれているはずなのに、どうも熊野が浄土に設定されたり、須佐之男が住んだ「根の国」が出雲国にあったりして、「中つ国」を「冥界」に寄せる動きが古事記成立時から始まり、平安時代にかけて時代が下るほど、盛んになっている、と前回までに書きました。これは浄土信仰が盛んになるのと関連しますし、当然熊野信仰とも関連します。熊野を「浄土」に見立てて、修験道の聖地にした過程には天台宗の僧侶が深く関わっている気がします。

 そして「熊野」のからくりですが、「速玉之男神」がイザナギではなく「子神」であるとすると、薬師如来とはイザナギのことではなく、子神のことになります。そして、薬師如来は東方浄瑠璃浄土の主人ですので、仏教的には浄土に生まれ変わりたければ、薬師如来の浄土に生まれ変わっても良いわけです。浄土の主ということは薬師如来も冥界神になります。大乗仏教の薬師如来が、アスクレピオースやイエス・キリストがモデルだったとしても、少なくとも大乗仏教では「冥界神」扱いになります。

 大乗仏教の「冥界神」がいるとされる場所が「浄土」であって、「黄泉の国」であるとすると、ローカルで「黄泉の国」とされる場所がいくつかあります。まずは、熊野と同様、霊山である戸隠です。戸隠は地主神が九頭竜と言われており、修験道の修行僧が九頭竜を調伏したところ、これが善神の水神へと変じた、との伝承があり、これが戸隠信仰の原点とも言われています。善光寺の地主神も、本来は九頭竜ではなかったか、と思います。で、権堂辺りでは九頭竜は弁財天と習合して女神と考えられますので、本来は九頭竜は水神でもあり、女神でもあったのだと思います。(熊野に対する信仰も、本来は滝や川といった水神に対する信仰だったと考えられています。)でも、その前に戸隠は当然神話的には「天の岩戸」であったわけです。「天の岩戸」も洞窟の世界から外の世界への「境界」といえます。黄泉平坂に置かれた境界の岩の変形版ともいえます。こうして、

戸隠 = 九頭竜 = 岩戸 = 境界

ということで、九頭竜女神も「境界神」へと変えられてしまいました。「学門」という修行僧が九頭竜を岩戸に閉じ込めて調伏した、と伝説にありますので、九頭竜女神も「岩戸の中」=「黄泉の国」へと閉じ込められて、「黄泉の女神」とされてしまったことが示唆されます。ということは、「岩戸の中」というのは「黄泉の国」なのだから、須佐之男の狼藉によって天の岩戸に籠もってしまった、というアマテラスも「黄泉の国」に下った、と考えられます。黄泉の国に下って、観音菩薩と習合したら、アマテラスも「黄泉の女神」ですよねえ? となります。伊勢神宮は遷宮の際、午後8時に「鶏鳴三声」といって、これから夜が更ける、というときに、わざわざ「朝が来る」とアマテラスに思わせて、古い宮の外へ連れ出す、という祭祀をします。これは、太陽女神を騙して「夜」すなわち「冥界」の方へ引き出す、という儀式なのではないか、と思います。冥界に引き出されたアマテラスは今も黄泉の国にいて、熊野にいるのではないの? と思う。とすれば、神々がアマテラスを岩戸の「外」へ引き出した「外」は天界の外なのか、それとも黄泉の国の外なのか、と思うわけです。アマテラスは間違った鶏の鳴き声に騙されて、黄泉の国に引き出されてしまったから、熊野にいるし、アマテラスが黄泉の国にいれば、地上は当然暗闇なので、地上も冥界になってしまうのです。要は、須佐之男(阿弥陀如来)とはアマテラス(十一面観音)を騙して殺して、冥界の自分の隣に置いておく神といえます。まるっきりハーデース・プルートーとペルセポネーみたい、と思います-;。

 で、もっとローカルでミニマムな「黄泉の国」に「聖高原」があるわけです。長野市信州新町の犀川の対岸に、麻績村から旧大岡村にかけて「聖高原」という高原が存在するわけです。昔、役行者が聖高原で修行していた時に、山中から薬師如来が現れたため、この地に霊場を開いたという伝承があるのです。で、その際に発見された薬師如来?かどうかは分かりませんが、聖高原には最澄の直弟子である慈覚大師が建立した福満寺という天台宗の密教寺院があり、かつては修験道の寺院であり、本尊が薬師如来なのです。これは、関東だか長野県だかで、最古の薬師如来像だそうです。で、修験道の修行のための寺院なので、檀家がいないそうです。(でも、本来はこのようなのが真のお寺の姿なのだと思います。経営は大変でしょうけれども。)だから、聖高原全体が霊場だし、例によって「黄泉の国」なわけです。でも、これは元々どんな山だったのでしょう? となります。聖高原には、山の上に樋知大神社(ひじりだいじんじゃ)という神社があり、ここに古くからの水源があり、武水別命が祀られています。武水別命も諏訪神の子神とされています。玄松子さんのサイトには武水別命は出早雄命と同神か? とありますが、後に八幡神へと置き換えられていますので、私はどちらかというと彦神別神に近い性質の神だと思います。正直に述べると、犀川北東が彦神別神、犀川南西~千曲川北東が武水別命、千曲川南西が出早雄命なんじゃないのか、と思うわけで、単に行政区の違いを表すための神か? とも思います。ただ、武水別命が、犀川と千曲川に挟まれた土地を管轄してるとすれば、やはり「境界神」としての性質がちょっと強い神であるのだと思います。で、樋知大神社は明治維新までは、真言宗高峰寺とされていました。「高峰寺は、亀山天皇(鎌倉時代)の文応元年六月十五日学道聖人が修行の末、紀州・熊野権現から水玉をいただき正観音像を刻み十一面観音を安置して真言宗を教えた寺院。(玄松子)」とあります。明治後の神仏分離で樋知大神社になったわけですが、高峰寺はなくなったわけではなくて、現在も神社の隣にあり、現在は無住で信州新町の玉泉寺で管理している、とのことです。というか、「熊野の水玉」って何なんですかね。須佐之男のことなんじゃないの? と思う。で、十一面観音とは冥界神であるアマテラスのことです。犀川関連の水系の地主心は九頭竜ですので、元は九頭竜女神の聖地であったところに、開拓神である諏訪系の神が祀られ、その後に熊野の冥界神カップルと薬師を持ち込んで、冥界に変えてしまった地といえます。

 で、そういう呪法を行った学道聖人とは、どういう人なのかは良く分かりません。でも、玉泉寺の方は分かる。玉泉寺は真言宗豊山派といって、興教大師という人が平安時代末期に創設したと言われています。興教大師は高野山で「空海以来の学僧」と言われ鳥羽上皇にも厚く帰依されていました。だけど、金剛峯寺の衆徒と対立し、金剛峯寺を出て根来寺というお寺を建て、真言の本家本元である金剛峯寺とは別れて新義真言宗という派を興しました。根来寺の本尊は大日如来他です。根が来る、って太陽神(大日如来)を祀る所に黄泉の国を呼び寄せるんですか? と微妙なことを思うわけですが、この一派が京都に薬師如来が本尊の玉泉寺を造りました。1143年頃です。木曽義仲がこのお寺を守護寺にしました。でも、義仲は頼朝に負けて戦死し、部下はちりぢりになりました。義仲の部下仁科氏配下の竹村兵部が、義仲の守り本尊の観音像を戦火から救い出して、荻野の山の中に観音堂を秘かに建てたのが、荻野の玉泉寺の始まりで1184年頃のことといえます。だから、高峰寺も新義真言宗の一派なのだと思います、というか玉泉寺と同じく豊山派のお寺なんだろうな、紀州初の熊野信仰のお寺だー、と思います。聖高原の方は、まず薬師を祀る寺があって、その後に冥界神のカップルが招かれている。荻野の方は、どちらか先かは良く分かりませんが、山の上に近戸皇大神社というアマテラスと冥界神の建御雷神を祀る神社があって、その門番のような位置に玉泉寺(義仲の守護観音菩薩)があります。荻野の方は、修験道の聖地とは言われていません。義仲の守護寺だったんですねー、義仲を殺して救済しちゃったんですか? とふと思うわけですが-;。犀川の南側には、伝統的な天台修験道的ミニチュア熊野、北側には新興真言宗の救世観音菩薩? と思う。阿弥陀の隣にいる観音って、キュベレーとかって誰か言わなかったっけ? とふとそんな気がするわけですがー;。どちらのアマテラスも「浄土」に閉じ込められているように思います。そういう点では熊野と一緒な思想なわけです。

 で、大乗仏教が西欧の多神教を元に造られている、というのはなんとなく分かるし、納得もできるわけですが、でも聖母マリアとイエス・キリストとか、イシスとホルスとか、西方の多神教の「母子神」というのは、母親が冥界神ってあんまりありませんよねえ? と思う。ナルト叙事詩のサタナくらい? と思う。そう思いながら、昨日「MUSIC DAY」を見たら、兄さん達に「オルペウス教」と言われる気がするわけで@@。それは一番やばくて、一番押しつけがましい奴、と思う。というか、それって「極」のつく右とか左とか、生きてても死んでても阿弥陀如来の如くの人々の集団というか、よくよく関わりたくない部類に入る気がするわけで。今でも、警察の捜査から始まって、何もかもが「異様」であった「松本サリン事件」とは何だったのか、と思う。大乗の説く「救済」、キリスト教の説く「救済」、オルペウス教の説く「救済」とは? と思う。だいたい、オルペウスって、子音からいって、オルクス、ウルリクンミ、ベスあたりと同じものですよねえ? どこまでもやばい究極の「宗教」と言われる物の原形は紀元前1200年頃に、明確に造られて、世界にばらまかれた。殷の時代に。そして、冥界神である雷神の信仰も。

 雷神とは鶏のことなのです。だから、冥界の鶏の鳴き声に騙されて外へ出ると、黄泉の国につれて行かれるよ、ということで。牡丹灯籠みたいですが-;。ちゃんとした鶏の鳴き声についていかないといけないわけです。穴掘りと並行して、古い家を早めに始末してしまった方が良い、と言われるのであれば、そうした方が良いのです。冥界神とは早めに縁を切った方が良いからで、義仲みたいに殺されて「救済」されても、あんまり嬉しくないからですー;。