21年7月1日

 本日は外作業のみの日でした。母親は土の埋め戻し、土の清掃、意思片付け、土掘り、姉は土の清掃、私は土掘り、土の清掃でした。どうも風呂の北東の基礎の下にかなり大きなコンクリ塊と金属板みたいなもの? が埋まっていて。まだ全貌が分からない上に、金属が錆びているので詳しくは良く分かりません。周辺には細かなビニールゴミもかなり埋まっています。

 そして、最近、買ったものが直後に見当たらなくなったりとか、物が気が付いたらなくなっていたりとか、Amazonから個人情報が漏れて妙なメールが来たりとか、怪奇現象が続いています。阿弥陀如来とか八幡とか須佐之男の祟りでしょうか-;。よほど基礎の下の清掃作業を邪魔したい物とみえます。(後は観音について色々書かれるのが嫌なような・・・。まあ、その他についても嫌なのでしょうがー;。)

 テレビは、昼は「仰天ニュース」とかの録画を見ました。夜は「VS嵐」の録画を見ました。私も毒殺されなように気をつけようと思いました-;。

 で、観音の前に熊野信仰の問題点というか変だと思う点、3つめ。熊野ではイザナミは牟須美(ふすび、むすび、または「結」とも表記)(イザナミ)と現されます。でも、「むすび」と言ったら、本来はイザナミではなく、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ) 等をイメージすると思います。公式には高御産巣日神は天で男性の象徴、神産巣日神は地で女性の象徴とされているようですが、個人的にはどちらも女性だと思います。何故なら、高御産巣日神は高木神とも言われ、木の象徴の神ともされています。木というのは、天と地の間にあって両者を繋ぐ存在です。一方、熊野信仰は母子神信仰(母と3人の子神)ですが、そもそも地上そのものは冥界ではなく、北欧神話的な言い方をすれば、天と地の間にある「中つ国(中間の国)」です。古事記でも「葦原中国」とされています。熊野は「中つ国」であっても、イザナミの居る場所、とされているわけですから、天と地の「境界」に当たる部分もイザナミの領分であると考えざるを得ません。例えば、黄泉平坂があるとされる出雲の揖夜神社(いやじんじゃ)の主祭神もイザナミです。境界も女神であるのなら、木の神も境界神で女神といえると思うのです。ということで、造化三神は天之御中主神が男性で、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)が女神だと思うのです。別に古代の神々ですし、一夫一妻でいる必要性はないと思います。そして、「ムスヒ」の神が女神で、イザナミであるのなら、天之御中主神はイザナギといえると思います。なんで、イザナギ・イザナミと造化三神が元々同じものであったのに、2つに分けたのかといえば、アマテラスの子孫とされる人々と、須佐之男の子孫とされる人々とは別の形で「イザナギ・イザナミの子孫」を作り出したかったからだと思います。生国魂神の子孫の信濃国造家のように。で、造化三神はイザナギ・イザナミよりも格上の神々ですから、当然、造化三神の子孫の方が、アマテラス・須佐之男の子孫よりも格上であり、アマテラスと須佐之男の子孫を管理する権利がある、造化三神が計画した通りに、とそういうことなのではないでしょうか。イザナギとイザナミの計画って? それは一日に1500人産み出して、1000人殺すっていう計画のことなのではないでしょうか? 誰を殺して、誰を生かすのか、造化三神はそれを計画して、子孫にそれを人々に伝えさせる。それを受けて、生かしたり殺したりするのがアマテラスと須佐之男の仕事である。彼らはそれを境界(病院)で行う。それを指図するイザナギこそが薬師如来である、というのが熊野信仰なのではないでしょうか。部下であるアマテラスや須佐之男が医師や薬師であれば、親玉のイザナギは医師免許がなくても薬師如来たれる、とそういうことなのだと思います。それが熊野信仰なのではないか、と思います。アマテラスは境界神であり冥界神として、観音菩薩と習合させられており、プチイザナミみたいな存在に変えられています。

 だから、アマテラスにも須佐之男にもなれず、協力もする気がない者は医者になって貰っては困るわけだ。特に近親は、アマテラスも須佐之男の名も取らずに、医師免許を持ったらいきなりイザナギと薬師如来の地位を取りに来る可能性がある。要するに、それこそ、明確な「謀反」である。

 ま、それはともかく、善光寺界隈では秋祭りは熊野神社から始まるとのことです。熊野の須佐之男とアマテラスが、その年の収穫を決める。そして、父なる阿弥陀如来(=本田善光=信濃国造)の計画の通りに、誰を生かして、誰を殺すのかを決める。何故なら、時代が古くなればなるほど、秋の収穫の出来不出来で生き残れる人々は決まるからです。というか、そんな感じ? と個人的には思うわけです。だって、松本の四柱神社には「アマテラスは造化三神の決めたことを現世で実行する神」だっていう感じにあったような??

 ということで、祖神で有り開拓神でもあったはずの出早雄命をクルス神とか須佐之男と習合させて、むしろ信濃国造の計画に沿って、人々を管理して生かしたり殺したりする神に変えてしまったことも、父なる阿弥陀如来(=本田善光=信濃国造)の計画? それとも、人々の運命を定める八卦の神である伏羲(ふっき)の計画? と思うわけです。伏羲とは中国の神サマで、八卦という占いを発明した神サマ、と言われています。でも、占いなんて占う側の人が好きなこと言えばいいんじゃん? と思う。要は、好きなことを言って他人の運命を決めてくれる神サマが伏羲です。そして、伏羲は雷神の生殺与奪の権利を持っている神でもあって、雷神の命を助けたことがある、とされています。要は伏羲の方が各種雷神よりも偉いわけです。恩があるわけだから。そして、伏羲は「大洪水が起きたときに伏羲と妹の二人だけが生き延び、それが人類の始祖となったという伝説」の持主でもあります。彼はヒョウタンの舟に乗って助かった、と言われています。洪水始祖神話は、世界各地に拡がって、有名な「ノアの箱船」も類話と言えます。(ちなみにノアの箱船も帆のない空舟でしたー;。)そして、ヒョウタンが伏羲の「象徴」といえます。

 ちなみに、朝鮮の歴史書である「三国史記」という書物は日本でいうと、平安時代末期に書かれた本であって、それによると新羅建国には瓠公(ここう)という倭人が大きく関わっており、瓠公は腰にひょうたんを下げてやっていた、と書かれているそうです。瓠とはヒョウタンのことです。

 また、大分の柴山八幡社という神社では霜月に「ひょうたん祭り」というものを800年前からやっていたそうです。(三国史記が書かれた時から100年後くらい)これはお祭の時に騎馬行列が練り歩くわけですが、その先頭に「ひょうたん様」という、頭に80cmの長さのひょうたんをつけた人が立つのだそうです。八幡のお祭ですから、ひょうたん様が八幡神の化身でもあるのか? と思うと

ひょうたん様 = 八幡 = 八卦の伏羲

を暗喩しているようにも受け取れます。しかも、三国史記の記述を見れば、ひょうたん(伏羲)に関わる氏族は、日本に渡っていって、倭人となった、とも受け取れる気がします。伏羲が占い師ということは、シャーマンでもある、ということだと思います。神の声を聞くというシャーマンは倭国に渡ってきて、何者になったのでしょうか? と思う。

 そして、伏羲の妹は女か(じょか)という下半身が蛇の女神なのですが。この女神には、天と地の間にあって、天地の結合がずれたときにそれを修復した、という神話があります。だから、女かもイザナミ、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と同じく「天と地の境界の女神」でもあるのです。だから、イザナミのイメージは女かと重なります。そうすると、一日に何人生かすのかを決めるイザナギとは、占いで人の生死を定める伏羲でもある、といえるのではないでしょうか。

 ということで、中国大陸を発した伏羲と女かの子孫は、長い旅の果てに、新羅や倭国を行ったり来たりして、イザナギ(八幡=阿弥陀=善光)・イザナミ(弥生御前)として、どっかに腰を据えたのだと想像します。まあ、それはともかく、我が家はひょうたんなんぞを家に入れて、ひょうたんのささやく言葉を聞いてはいけないわけです。何故なら、それが「伏羲」だから。