21年8月2日

 さて、今日は両親を病院に連れて行ってきました。どうも「密」を避ける、とかで診察室に何人も付き添いが入るのをちょっと嫌がられてしまってー;。うちのじいさんは耳が遠くて人の話はよく聞こえないのですが、相手の口の動きとかをなんとなく見て適当に相づちを打つので、先生サマに「聞こえているんだ」とつぶやかれてしまって-;。・・・家族の経験からいって、それは聞こえてなくて、相づちを打ってるだけです、と思ったわけですが-;。これも、まあ、そのうちに説明しておきたいと思います。だいたい子供の頃からの難聴らしくて、補聴器を嫌がるわけです。うちも古い家で近親結婚が多いのでどうも遺伝子的にはどうなの? という点がいくつもあるわけですが-;。西山地区は「遺伝病の宝庫」と言われて世界的に有名なところですので、じいさんも漏れなく「宝の山」な気がするわけですがー;。

 で、古い家ってどうなの? と神社巡り、という話。かつて信濃国はだいたいどこへ行っても諏訪系の神社があって、たまに違う系統のものもあって。で、最近気がついたのですが、賀茂系の神社も探せばあって。で、かつての「高井郡」というあたりには「物部氏系」の神社がいくつかあるわけです。物部氏の本拠地といえば石上神宮? あるいは石見国? と思うわけですが、ともかく西の方の大豪族である。賀茂氏の祖神の一つである天香山命と縁が深いことから、どうせ賀茂氏の一派であろうかと思います。で、越智神社というものがいくつかあるので「越智氏」という人々が創建に関わったことが連想されますが、現在の須坂周辺には越智さんという人はあまりいないような・・・? で、八幡墨坂神社には宮司の祖神である山岸大祖(坂戸大祖)が祀られており、坂戸大祖とは物部氏の側近である坂戸造であるそうです。(https://suzakamap.com/visit/sumisaka-shrine-hachiman.php)ということは、坂戸氏という人々が物部氏系の人々であって、祖神である物部氏の神々を祀ったとして良いのではないでしょうか?)ということは、坂戸氏という人々が物部氏系の人々であって、祖神である物部氏の神々を祀ったとして良いのではないでしょうか? というか、坂戸ってどっかで聞いたことあるぞ@@。それはどっかの山の中で、「義仲組」から「お大尽」と目される家柄の一つであって、賀茂疑いの終さんちの重要な姻戚では?@@ と思う。保守的で閉鎖的な田舎の山の中では、「同じような家柄」同士が何代も婚姻関係を結び続けて、結果遺伝病を積み上げやすい、という事情があるわけですが、「同じような家柄」って「賀茂」と「物部」ってこと? あんな山の中で? という点に衝撃をまず受けるわけです-;。

 で、須坂周辺では物部系の神社を高梨氏とう豪族がかつて大切にしており、高梨氏は大町の仁科氏と古くからのつながりがあって、木曽義仲の側近も輩出していたそうなのです。木曽と安曇野と須坂のつながりって? 古代であれば、「川」? とまず思いつくわけで。犀川を使った交通路が彼らの交流の重要なつながりの場であったとすれば、信州新町の水内神社付近は重要な拠点であったはず。水内神社界隈は平安末期まで栄えたところであり、水内神社には信濃国造の祖神も祀られています。そして、安曇野もよく探すと、ところどころに賀茂祖神が祀られている。そして、昔の人は一族郎党のつながりを大切にしていました。高梨氏は系図の上では清和源氏を名乗っていますが、仁科氏とのつながりの深さから清和源氏ではないだろう、と言われているようです。逆に、高梨氏、山の中の坂戸氏、安曇野の仁科氏が、「物部氏」ということに仮定して、ひとくくりにできれば、須坂から安曇野まで川でつながるよねえ? しかも、その中継地に善光寺とか水内神社とか信濃国造の拠点が存在している。そして、彼ら(特に物部氏系の人々)がまとめて木曽義仲を支援している、となれば、真に「主人」であったのは義仲なのか、それとも物部氏とその上位に来る賀茂氏(信濃国造氏?)だったのか? ということにもなりますし、義仲の残党が仁科氏等を頼って、どっかの山の中に逃げ込むのも理解できる気がします。そして、須坂には高梨氏の子孫もいらっしゃると思うので、そっちも義仲組の拠点なのね、なるほどね。というか、どうりで綿内あたりから変な人に絡まれるわけだ、というか-;。

 というわけで、須坂方面に物部氏系の神社があるのは分かった。でも、私がそちらに参拝するとしたら、その意義はどのようなものなのか? と最近思っていて。そして、今日「それSnow manにやらせてください」の録画とか見ていたわけで-;。私が行くとすれば、坂戸の方の「ご先祖サマ」にご挨拶する、ということになるわけだ-;。先祖というのは一人ではないわけだから。まあ、でも行く前に頼朝公関連を固めるべき、と言われる気がします。まあ、固めるなら川の上流からよね、と思います。まあ、いろんなところから、国立の医学部に受かるような遺伝子とか、遺伝病まみれの遺伝子とかもらってる気がするわけですが-;。

 それから、松本にある沙田神社は、「主祭神のいない南宮大社的神社」と言われる気がするわけで。南宮系の配神ばっかり集めたようなところはあると思います。南宮大社は武器を鍛える鍛冶の神金山彦を祀る神社であり、尾張氏の祖神も祀っていますから、なんだかんだ行って賀茂系の神社であると思います。信州新町の熊野神社ではスサノオの代わりに金山彦を祀っていますので、古くには熊野の祭神は金山彦、と考えられていた時代もあったのかなあ、と思います。