21年7月7日

 本日は出かける用事がなくて、外作業に専念しました。夕方は雨っぽくて作業ができませんでした。母は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘り、土の清掃でした。

 昨夜はまっすーがゲストの「まる見え」を見て。テレビは今日の昼は「それSnowManにやらせてください」の録画を見ました。「News Zero」はうまく録画されていませんでした。

 昼寝していたら夢を見て。なんだかHi Hi Jetsの髙橋君とか、美少年の浮所君が我が家に居候する、という夢を見て。でも、彼らの住む部屋がないので、髙橋君に何故かトイレが割り振られる、という夢で-;。これは急いでリフォームして、彼らの部屋を作らなきゃー、という夢でした。目が覚めて、これは「トイレの下を綺麗にして、かつ基礎下の空隙もしっかり始末しろ」ということなんだろうな、と思いました。

 さて、「オルペウス教」の続きです。でも中国の神話です。殺された蚩尤の血は楓の色となった、とされていますから、蚩尤が大地に変化して、その血が植物に化生した、という考え方は古くからあったはず、と思います。こうして「神」とされていた存在が殺されて、「天に生贄を運ぶ饕餮」と「大地に埋められて大地となった蚩尤」の2つに分けられると、「生贄」の概念も二つに分かれることになったと思います。一つは大地に植物(収穫)の抱擁を求めるための生贄で、むしろこの方が古くからの「犠牲」の概念であったと思います。殺された生贄は蚩尤と一体となって、なにがしかの植物に化生すると考えられたのかもしれません。または、植物に変化するのではなくて「生まれ変わる」と考えれば、蚩尤(大地)を通して新たな命に生まれ変わった、とも言えます。これは季節の変化に合わせた生贄の儀式と言えますから、定期的な生贄であって、再現なく生贄を捧げる必要性はないといえます。

 もう一種類の「生贄」は、王(シャーマン)が神々と交信するために捧げる「餌」としての生贄です。これはシャーマンの祭祀が不定期かつ数が多いほど、生贄は再現なく必要となる、といえます。また、生贄の数を多くすれば多くするほど神の力は強くなる、とかシャーマンは神に近い存在になる、とか「犠牲者の数」=「シャーマンの権威」という結びつけが強くなります。シャーマンの権威が強くなればなるほど、犠牲者の数は膨大になり、犠牲の数が増えれば増えるほど、それがシャーマンとシャーマンの先祖の神の偉大性を示すことになります。具体的に言えば、殷王朝は、最初は自然神を祀るような普通の収穫などに関する祭祀を王がやっていたはずが、時代が下るにつれて、神々と交信する(占いをする)ために、饕餮に食わせるための生贄を大量に必要とするようになり、大量に人間に生贄を捧げるようになりました。神の力を強くするのに必要なのが「魂」であったとするのであれば、生贄の魂は神に食われて神になってしまい、個としての魂はなくなってしまう、と考えられていたのかもしれません。こうして

王・貴族・英雄 → 死後は天界で個々に神々の仲間となる 兼 魂の一部?は上帝と習合
庶民      → 死後は土に戻って蚩尤と習合する。植物や動物に化生する(生まれかわる)者もある?
奴隷・生贄   → 天の神に対する生贄は、魂は神々に食われて消失(習合)する。個は神として残らない。
          儀式で蚩尤に捧げられた生贄は主に穀物、野菜に生まれかわって、人々に食べられる。

という3種類の「来世」が人々の身分や働きによって考え出されたのだと思います。おそらく、当初は庶民の魂は、蚩尤の治める国に行って、幽霊となる、というか幽霊のように生きる、とされたのだと思います。でも、時代が下ると色々なものに「生まれ変わる」という思想が強くなっていったのだと思います。でも、植物とか動物とか、つまらないものに生まれ変わって他人に食べられちゃったらつまらないじゃん? となる。ということは、「生まれ変わる」という思想が強くなることは、庶民が奴隷や生贄に近い立場になって、他人に利用される立場に近くなり、身分階層が誰かを利用する側と、利用される側に2極化してきた証拠のようにも思えます。庶民は蚩尤の治める国へ行って、死後休息することすらも許されなくなり、何か別のものに生まれ変わって、他人に利用されるのです。なんで、時代が下ると「生まれ変わる」思想が強くなるといえるのでしょう? それは、「宗教の歴史」が事実としてそうなってるからです。でも、この場合の「生まれ変わり」というのはいい意味で使われているのではない、ということは分かると思います。庶民が奴隷化して、何か他人の役に立つものに生まれ変わる、とされるようになればなるほど、政治は「独裁制」の色合いが濃くなり、庶民は生きてても死んでも権力者の役に立つ道具、と定義されてしまうのです。

 古代中国の宗教的思想は、周辺の異民族へ波及して、だいたいモンゴル高原からシベリアにかけて住んでいたスキタイの人々にもかなり速やかに伝わったと思われます。スキタイの人々は祭祀に様々な薬物を用いていたと思われますので、なにがしかの薬物と一緒に「これが正しい祭祀だ」って言って祭祀のやり方や「神」の概念を教えれば、あっという間に受け入れられたのではないか、と思います。神を信じる、というよりはクスリが欲しいから、という理由で。そして、「布教」するには、神サマのありがたさを説くよりはおクスリを配った方が、受け入れられやすかったのではないかと思うのです。そして、彼らの本来の信仰は、天の神と地の神を中心にした自然の精霊信仰だったと思われます。そこに殷式の「布教」が行われると、神々の方はご都合主義に、スキタイの信仰に合わせて書き換えられました。

天の神 = 上帝

と習合され、饕餮は天の神の部下にされました。最初の頃はそうだったと思います。印欧語族の中でも古いヒッタイト(フルリ人)の神話では、神々の父であるアヌは天神アラルの部下とされているからです。

 一方、

地の神 = 蚩尤

とされました。饕餮と蚩尤は、元は一つの神(おそらく地上におけるシャーマン)だったのですが、首を切られて死んで、「天」に属する饕餮となりました。シャーマンは死ぬと「天」に昇って、一部は上帝と一になる存在と考えられていましたが、首を切られたので天には「頭」だけが残って、体は大地に墜落した、と考えられたのだと思います。そこで困ったことが起きました。だいたい人は首を切られたら死にます。だから、饕餮も蚩尤も「死んだ神」といえます。古代中国式には祖先信仰とか鬼神信仰といえるものになりますが、饕餮や蚩尤はスキタイの人々に取っては先祖とはいえません。しかも、自然の生きた精霊神と彼らは交流してきたはずなのに、そこに死人を習合されたら、神は生きてるのか、死んでるのか、精霊神が死んでしまったら世界はどうなるのか、と色々不都合な問題が出て来ます。そこで、つじつまを合わせるために、饕餮と蚩尤はスキタイでは「死んでいない」ことになりました。そして、切りおとされたのは頭は頭でも「亀頭」、すなわち男根の方とされたのだと思います。男根を切り落とされても、まあそれでは人は死にません。フルリ人の神話では、アヌは息子のクマルビに性器を切られて王座を追われました。ギリシャ神話のウーラノスは息子のクロノスに性器を切りおとされました。子音からウーラノスと同起源と思われるヴァルナの祭祀者は古い時代には女性のようになよやかな人だった、とどこかで読んだ記憶があります。これは去勢された男性を示していたのではないでしょうか。

 切りおとされた「蚩尤(男根)」の方はいくつかの形に複雑に分岐しました。一つには「月」と考えられて、天に現れたり、隠れたりする存在と考えられました。ヒッタイトの神話には、月が地上に墜落するエピソードがあります。メソポタミアの月神シンは「大地の神」としても祀られていたとのことです。シンあるいはシンの男根が大地だったのではないでしょうか。

 また一つには、墜落した男根あるいは男根が変化した岩から、新たな神あるいは英雄が生まれた、という形に変化しました。ヒッタイトの神話のウルリクンミという岩の化け物は、クマルビと岩の間から生まれました。注意しなければいけないのは、岩が「女性」として扱われていることだと思います。「蚩尤(男根)」は、かなり早い時期に「女性」へと変えられたのだと思います。そして、

天の神 = 父 = 男性(饕餮も男性)
地の神 = 母 = 女性(蚩尤は本来は男性)

と纏められて、天の父神と大地の母神から神々が生まれた、という神話ができたと思われます。でも、ここまでちゃんと纏められたのは、紀元前1200年前後くらいだと思うのです。他に岩から生まれた、とされる神にミトラスやナルト叙事詩のソスランがいます。ソスランはサタナの息子ともいえ、サタナは死んだ母親から生まれた魔女ですから、天の父神・ワステルジュ、大地の母神サタナ(母はゼラセ)、サタナ(岩)の子神ソスランと、神々の関係が複雑に広がり、半神半人の神々の数が、時代が下るにつれて増えていったことが示唆されます。またナルト叙事詩の世界は男系なのですが、サタナは実の兄と結婚しており、かつて「母系の女神」にあった性質の片鱗が残されています。そういう天ではサタナはギリシャ神話のレアーに近い女神ともいえます。更に「母系」の性質を残す女神はインドの神話におり、ヴァルナやミスラといったアーデティーヤ神群の神々は女神アーディティーヤから生まれていますが、父親ははっきしりない、と感じます。ヴァルナとミスラは一対の神ですから、

ヴァルナ = 天の神 = 饕餮
ミスラ  = 地の神 = 蚩尤

と置き換えられたのだと思います。時代が下ってゾロアスター教時代になっても、神々の地位は

ヴァルナ > ミスラ

であって、ミスラは地上の人々の生活に関わり、軍神とか救世主的な存在とみなされるようになったと思われます。ミスラが地上の人々に関わるのは、彼が「天から地上に墜落した神」だったからだと思います。また海に落ちたウーラノスの男根から女神アプロディーテが生まれました。だから、天から墜落した神である蚩尤を印欧語族的に焼き直した神(時には月の神)は、最初は男性形(男根のみの存在)だったのが、時代が下るにつれて女性へと変化し、「地母神」になりましたし、月の神も女神へと変化したのだと思います。その方が

大地に生えた植物(大地への生贄が転生したもの) = 天の神と地の神の子供

として理解しやすかったこともあると思います。植物が男(男根)から生まれたものだとすると、男神と男神から子供が生まれることになって、いかにも自然ではなくなるからです。そして、饕餮と蚩尤の奇怪な神話が各地に広まると、饕餮と蚩尤は元は同じ「一つのもの」だったわけですから、だんだん「天の神」と「地の神」の区別が曖昧になって、独自の形に変化するようになっていった、と考えます。古代エジプトの神オシリスは、死後冥界の王となりましたが、死後は男根がみつからず「去勢者」でした。天界に昇ることはありませんでした。