21年7月5日

 本日は親の病院日であって、私もついでに健康診断を受けてきました。去年の健康診断以来、健康管理にも一応気を遣って体重もそれなりに落としたのですが、今年の結果はどうでしょうか。

 テレビは今日の昼は「THE MUSIC DAY」の録画その他をちょこちょこと見ました。昨夜はYouTubeを見て見ました。天気図や天気予報を好きな時に見れるのはちょっと便利だと思います。

 さて、「オルペウス教」です。日本の古代の神話からはちょっと離れます。むしろ「現代の神話」かも、と思います。宗教と「死後の世界観」は大きく結びついています。よくよく古い、単純な精霊信仰の時代に人々が死後の世界のことをどう考えていたのかはよく分かりません。その頃は、精霊と交流して、現世での利益を求めることが大切であって、死後の世界のことはあんまりあれこれ想像とか創造する気持ちがなかったのかも、と思います。

 古代中国の殷あたりでは、天に「上帝」という神がいて(後の天帝)神々の頂点に君臨し、王家の祖霊は死後天に昇って、上帝に仕える、とされていたようです。下々の庶民の祖神がどうなることになっていたのかは分からないです。もっと身分の低い戦争捕虜とかは生贄に捧げられたりしていましたから、その霊は祖霊の餌とか、アクセサリーにでもなる、と考えられていたのかもしれませんが、それも分かりません。だから王は死後、天に昇って上帝に仕える者となる予定の人で、生きている時は天界と人界を行ったり来たりできるシャーマンである、と考えられていたのかもしれません。こういう考え方は良渚文化(紀元前3500~2500年頃)に萌芽していた可能性があると思います。この場合、身分の序列は上から

上帝 ー 王家の祖神(霊) ー 王(シャーマン) ー 貴族 ー 庶民  ー 異民族・奴隷

と考えられていたのかもしれません。王は、天上世界と意思疎通できるとされるシャーマンですから、「上帝の命令に従って」部下や人々を統治しましたし、異民族を征服したり、生贄を捧げたりしたのだと思います。

 殷の占いに関する資料を見ると、最初はこのような精神・宗教世界だった殷は、時代が下ると、次第に上帝ではなく、祖神に直接占いの伺いを立てるようになり、上帝に代わって祖神が返答を与えるような形式になっていったそうです。上辺では祖神が上帝に取って代わったように見えます。でも、きっと当時の人々はそう考えていたのではなくて、祖神と上帝が一体化して「同じ物」となったと考えたのではないでしょうか。「父と子は同じものである」という思想の一番最初は「上帝とそれに仕える祖神は同じものである」というところから出発したのではないか、と思います。先祖は一人一人、年齢を重ねて寿命が尽きれば亡くなっていきますから、「上帝と同じものになる」先祖は父から子、子から孫へとどんどん増えていくことになります。死ねば、みんな同じ「上帝」になります。そうやって、王、それから王族は死ねば上帝と一になる。貴族は優れた働きをすれば、死後天に封じられて神と一になる。あるいは貴族以下でも、王の供をして殉死すれば上帝と一になれたかもしれません。そして、生贄は上帝の「餌」ともいえますから、生贄に捧げられた者も、上帝と一になるとされたかもしれません。というか、奴隷なんて生贄にされて、上帝と一になれた方が幸せかも? だって、奴隷のまま働かされて死んでも、神々のいる天上界に昇天できる身分ではないし。と、次第に考えられるようになったかもしれないと思います。そうすると、奴隷を生贄にしてあげることは逆に奴隷が上帝と一になるために必要な儀式、ということになりますから、生贄に対して良心が咎めたりすることはなく、どんどん生贄を捧げるようになるのではないでしょうか。

 ところで、上帝とは「天の神」であり、地上においてはシャーマンであった、とします。でも、上帝が、というかシャーマンが殺されてしまったとします。シャーマンは頭だけの饕餮と、胴体だけの蚩尤に分けられました。人々に「お告げ」を告げる頭の方は、天に昇って上帝の部下となりました。人々の捧げ物を上帝に運ぶのが彼の役割です。でも、時代が下ると饕餮は上帝と同じものになって、捧げ物を自分でガツガツ食べるようになりました。胴体だけの蚩尤は大地に埋められましたので、大地と一になりました。死後、天下に昇るだけの身分とか実力のない人は、普通に地面に埋められて、肉体は蚩尤と一になることになりました。魂はどうなったのか? そもそも魂という概念があったのかも、私には良く分からないわけですが。こうして、まず死後に「天に昇れる人」と、「そうではない人」に別れることになりました。蚩尤の方は、人々の死体を飲み込むだけでなく、植物を「生きたもの」として、そこからは新しい命(植物)が生えてくることになりました。