21年7月22日

本日の外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘り、土の清掃でした。

で、昨日は川向こうにまたまた出かけて。湯島天満宮・信濃分社、牛島神社、川合神社、清水神社というところへ行ってくる。1カ所だけ、お祭りをやっていて、「お祭りの最中だったから、ご神体だけじゃなくて、氏子の代表も神様と結縁できてラッキー!」って言って喜んでくれたところがあるような気がするわけですが、後はどこも「死んだフリ」だったような-;。興味深かったのは、川合神社であって、諏訪系の神社でしたけど、戸隠社が境内摂社にあって、天之手力男神を大切にしている姿勢がどことなくうかがえて。島内の大宮・武宮両者社と感じが似てるので、川合神社も、元は川の流域を開拓した安曇族と諏訪氏の共同の神社で、どちらの神様も祀っていたのだろう、と思います。でも、普通は御柱は次のお祭りまで立てておくものだと思っていたので、なんか解体されて拝殿に立てかけられているのが、微妙な感じであったわけですが。

後は真島の清水神社に行って。ここは「蔵王信仰」の神社らしくて。槻井泉に続いて2個目の蔵王信仰の神社だー、と思う。長野市にも御嶽(おんたけ)の神社はあると思いますが、松本や木曽ほど賑々しくはない、と感じます。御嶽(おんたけ)信仰も、元は蔵王権現の御嶽(みたけ)信仰から始まっているので、かぶっている部分もあるのですが、内容はかなり変わっているわけで。長野市内には、古い時代の御嶽(みたけ)の方の信仰がちょこちょこと残っている気がします。そういうことを考えていたら、「大国主、スクナビコナ、国常」の3つが揃っている神社がもう一つあったよね?」と言われる気がするわけで。そういえば「須々岐水(千曲)」のがそうだった気がする。と思う。あそこも「蔵王権現」である、ということは元々は「森将軍塚古墳」のある山を信仰の対象にしていたのか? とちらと思う。蔵王って弥勒じゃん? 下生する弥勒が建五百建命ということ? と思う。だとしたら「生まれ変わる前はなんと言う名前だった?」と思うわけですが。

あとは思うことはいろいろとあるわけです。「なんで、金刺氏に縁のある土地は「麻」がつくことが多くて麻まみれなんだろう?」とか。下社金刺氏は何故祖神の建五百建命を祀っていないんだろう? とか。諏訪の「武居恵比須」って、武居氏(金刺氏の同族)とえびすってどういう関係? とか。木曽の水無神社は、美濃の水無神社から勧請したもの、と言われていて、美濃の方では祭神は「高照姫」ではないのに、なんで木曽では「高照姫」になってるんだろう? 木曽の寺社を仕切るのは、下社の関係者だと思うわけで。どういうつてやコネで高照姫を持ってきた? と不思議に思う。

それから、湯島天神・・・天之手力男神と管公が祭神なわけで。管公とは、非業の死を遂げて、大自在天(シヴァ)と習合した、とされる「祟神」である。シヴァって、インドのディオニューソスといえるような破壊の神サマでは? と思う-;。真島の川合神社、若穂の湯島天神、と川の合流点が荒れないように天之手力男神に守護をお願いするのは良いことのように思います。管公にお願いしたら、逆に合流点が祟って荒れるのでは? と思うわけですが(汗)。

で、そんなこんなで家に帰ると、どうにも「義仲まみれ」だった自分の人生を思い出して、そちらも徹底して洗って、祟りを祓うべき、と思う。で、調べたら、信州新町の尾澤酒造場というところの(たぶん)奥様が書かれていると思われるブログにぶち当たって、どうやらそこでは「義仲物語」というお酒を造られてらっしゃる、ということで。別にそれは現在のことなので、歴史的な祟りとかありそう、というわけではないのですが。「灯台元」ほど真っ暗ってこういうこと? と思わず思う(苦笑)。ともかくブログに

「当家のご先祖様も、尾張からおちのびてきて山奥の沢に住み着いたということらしく、
名字が「尾沢」になったんだそうです。
ちなみに、八代目蔵元は、前田利家の血も入っているんですよ~(笑)」

と書かれていて、「うーむ」と思う。前田利家云々はたぶん尾張関連で何か引っかけてるんだろうなー、と思います。事実かどうかは私には何とも(苦笑)。松代藩の役人なんて、いくらでも顎で使えるんでないの? と微妙な毒を吐いて、なんだか、私「小姑化してないか??」と自分でも思う-;。なぜなら、私も「尾澤」であって、奥様が「当家のご先祖様」と書いてるのは、あたくしのご先祖サマでもあるからである-;。

だから、まあまあ、「変」といえることだけ今日は書きます。義仲関連で、信州新町のことを知ってらっしゃるのであれば、義仲の家臣が義仲の持仏を持ってきて玉泉寺に~、って逸話は当然ご存じだろう、と思うわけです。だいたい、玉泉寺ってそもそも「当家」の菩提寺でもあるんじゃん? と思う。ということで「おちのびて」という文言がものすごく気になるわけです。だいたい、義仲家臣の方々と同様、普通「おちのびて来た人たち」は、持仏とか、自分たちの神サマとかなんか持ってきて、ひっそりと祀っているのが普通だと思うわけですが、「当家」は何を持ってきた? と思うわけです。なんだか、山の中に尾張に関係のある神サマなんかいなかったような?? と思うわけです。天火明命とか。

それともう一点。義仲関連の方々を知ってるなら、空気で分かられると思うわけですが、そちらの関係者は特に山の中では「名家」って言われる方々ではありません。千年前に落ち延びてこられた方々は、今でも町内では「普通の人たち」なわけです。だいたい、信州新町含む西山地区は、非常に歴史が古くて保守的で、外との人の交流が少ないところなので。少なくとも、室町初期までには、人々の財産・身分は固定されてしまってたことは事実なわけです。地域での確固とした「身分」と経済力が確率してたからこそ、西山地区の土豪は共同して守護小笠原氏を追い返すような「大塔合戦」を起こせたわけで、でなきゃそんな大それたことはできないと思うのです。豪族同士もお互いに顔見知りだし、どんな家柄、どんな人柄ってみんな知ってるからこそ、そういうことができたのだと思う。だから、義仲関連の皆様が落ち延びてこられた頃には山の中の「身分秩序」は確率されていて、その時に「大地主」となっていた家は、その後引っ越しでもしなければ、ずっと「大地主」だった可能性が高い、といえると思うのです。で、義仲関連の方々が山の中に落ち延びてこられた時に、彼らが「大地主」となる余地のない「名家」がすでにそこにあったわけです。だから、後発の義仲組の方々は後々まで山の中を開拓した「名家」になれなかったわけです。しかも、昔の信州新町は安曇野の端、という扱いですから、安曇野の実力者である仁科氏と、平安時代からの「名家」はつながっていた可能性が高いと、個人的には思ってます。むしろ、「名家」の方が仁科氏から依頼されて義仲組を山奥に預かった、といえるのではないのか、と思うのです。だいたい、その「名家」が江戸時代に家を二つに分けて、片方が新町に降りてきて酒屋を開いたのが尾澤酒造場さんの始まりではございませんの、と思うわけです。財産を半分に分けても、まだ「大地主」でいられたほどの大金持ちですぜ。「当家の先祖」って。と思う。江戸時代の話だから、今はどうされてるのかよく知りませんけれども。

で、どこの「尾張」から来たんだっけ? と思うわけで。長野市には西尾張部というところがあって、西尾張部とは大和の高尾張邑から移住した人々が住んだところ、と言われているらしいです。高尾張邑は奈良盆地の西の葛城にあり、書紀に「高尾張邑に土蜘蛛がいたので殺害し葛城邑に改めた」とある土地なわけです。・・・どこの「尾張」から来た? 葛城尾張から、「火雷大神(建御雷神)、天香山命(カグツチ)、タキリビメ(市杵嶋姫)、大日霊貴尊・高皇産霊尊・天津彦火瓊瓊杵尊」を持って来られた「尾張」さんですか? だって、そういうあたりが山の中の近戸皇大神社に祀られてますよねえ? と思う。これは玉泉寺の近くにある神社なのです。ということは、建五百建命とはアヂスキタカヒコネのこと? 古代における九州の大豪族宗像氏、出雲富氏、雷神を祖神に持つ葛城氏と3つの大豪族の血を引く葛城氏は大王(天皇)家とも強力な姻戚関係を結んでいた大和の一大実力者である。で、尾張邑に住んでいた人たちは「尾張氏」を名乗って東国に移動した、と思われるわけですが。建五百建命をアヂスキタカヒコネとすると、タキリビメはその母神に当たる。火雷大神(建御雷神)、天香山命(カグツチ)は祖神に当たる。天照大神は天御梶姫と同じものとすると建五百建命の妻神、ということになる。

ということで、「当家の先祖は尾張から~」と聞いて、「鴨かよ、鷺(サギ)って改名すれば!」って思わず毒づく「尾澤」がここにいるわけですがー;。ともかく、葛城尾張さんとは、複数の大豪族の血を引く人たちである。で、古代世界は基本的に婿入り婚で、必ずしも父系社会ではないため、子供達はいったい自分は「どの家に属する者か」と考えていたのだろうか? ということになります。母系を優先すれば、彼らはタキリビメの宗像氏か天御梶姫の富氏をとっても、当時の社会常識からは異なことではなかった、と思う。まあ、少なくともどっかの山奥に住んでいる人達は男系直系の火雷大神(建御雷神)と天香山命(カグツチ)をとったと思われます。だから、あちこちにカグツチがいるのねー、と思う。宗像氏と出雲系の人々は雷神は信仰しませんので、雷神は葛城尾張氏のオリジナルの神だと思うしかありません。要は

火雷大神(建御雷神)=饕餮、天香山命(カグツチ)=事代主(一言主)=蚩尤

なのではないか、と思います。だから

武居恵比須 = 鴨事代主

のことだと思います。高照姫は、アヂスキタカヒコネの妹(要は妻)の名前と推察されます。武居が鴨の分かれだから、鴨の神を持ってきて水無神社? 自分のご先祖サマを崖から突き落とすの? 出雲に対する敵意がすごいな、と思うわけで-;。

ということで、「当家」のご先祖サマはわかりやすく葛城尾張氏を取ったわけですが、一方親戚筋には、

出雲富氏を取った、と見せかけて 宗像氏 をとった人々

がいると思われるわけで。出雲富氏は原始キリスト教徒とは思われず。出早雄命と同一に扱われている「クルス神」ってどっから持ってきた? となった時に、「宗像氏」と言う以外に選択肢がない、という気がするわけで@@。ともかく「葛城尾張氏」の中には

父方の葛城尾氏の祖神を選んだ人達、と 母方の宗像+出雲富氏の祖神を選んだ人達、がいて

三輪山の祭祀で大激突した、

と思われるわけです。結果、三輪山には父系派の大田田根子が押した大物主が祀られて、母系派の天照大神は伊勢に押し出されることになった、と思われるのですが。彼らの争いはそのまま信濃国に持ち込まれて

母系派の諏訪大社上社、父系派の諏訪大社下社

に分かれたのだと推察されます。それで今は母系派の頼朝君と、父系派の生きた怨霊ストーカーがいる気がしてならないわけですが-;。ともかく、私としては怨霊払いに精を出すしかないわけで-;。ストーカーは普通に困るからです。それはともかく、鴨といえば、陰陽寮の長官を務めたようなシャーマンの家柄である。あたくしがシャーマンであって、なくなった人の幽霊を下ろせるのであれば、女王卑弥呼は

「だいたい、なんで今まで普通に土地の神サマとうちの神サマを仲良く祀ってうまくいってたのに、三輪山に大物主なんて変なものを祀らなければならないのか。大物主なんて、あからさまに火雷神の焼き直しで、出雲の大国主のパクリじゃん。鹿馬は鹿馬なわがままばっかり言ってないで、おとなしく引っ込んでろ。」

と言っております。だいたい、元々住んでいた人達の神サマをないがしろにするような祭祀は今でも嫌いなんだけど? と思う。ということで、蔵王権現と管公の呪いを祓ったら、自分の名前が「終わり」さんだと知った、という話なわけです。そんな名前をつけるネーミングセンスをそもそもまずなんとかすべき、と思うわけですが-;。