22年5月31日

 本日は外作業がメイン。姉は歯医者に行って、私は法務局へ用を足しに行ってきました。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 お裁縫は、新しいブラウスは接着芯の裁断。父親のシャツはポケットの作成。自分用のシャツは袖口のカフスの作製でした。

 テレビは昨夜は「10万円でできるかな」を見て。今日の昼は昨夜の「News Zero」の録画を見ました。

 志賀高原から上州、真田の里巡りは色々と衝撃的だったわけですが。志賀高原の道家神社は四阿(あずまや)山を祀っているし、真田では四阿(あずまや)山を白山大権現として祀っているし、この山は群馬側からも良く見えて、丁度嬬恋村からもしっかり眺めてきたし。結果的には四阿(あずまや)山巡りでした。真田氏というのは、四阿(あずまや)山修験道と忍者の元締めとして栄えた一族なんだなあ、と思う。大町の仁科氏も似ていて、飯綱・戸隠修験道と忍者の元締めで栄えた一族なんじゃん? と思う。真田氏は松代に転封になった後は皆神山修験道と組んで、為政者の側から北信・東信の修験道を仕切ったのではないか、と思います。仁科氏は武家からは撤退して、飯綱の神職として君臨した。長野市信州新町の荻野という所は、安曇野の外れにあって、おそらく安曇野に君臨した仁科氏の縁故で義仲の家臣達を山の中に匿ったりしていた地域ですし、江戸時代には真田が藩主の松代藩に属していましたので、その地域は真田氏とも仁科氏とも縁の深い地域となります。「なんでなんだろーねー」となる。

 それから、ミタゾノで、悪のカジノの元締めのじいさんが「前田さん」とかって名前で。「なんで前田さん?」って思ったわけですが。そうしたら「どっかで前田利家の子孫とかって言ってる人がいなかったっけ?」と言われる気がするわけで@@。「それで前田かー。酒の飲み過ぎかと思ってました。」と思ったわけですが-;。

22年5月30日

 本日は姉を小谷医院へ連れて行って。なんだか道路に飛び出してくる歩行者が多い、というかそんな感じであって。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 お裁縫は、新しいブラウスは接着芯の裁断。父親のシャツは端の始末。自分用のシャツは袖口のカフスの作製でした。一般的なシャツの作り方が詳しく載っていたので、レディブティックのバックナンバーを購入しました。最近では洋裁をやる人が少なくなって洋裁雑誌も衰退している感じで少し寂しいです。でも、既存の雑誌を見ていると、一つには流行の服とかも取り混ぜて、それを作るための型紙の製図が載っているものが伝統であって。製図はだいたい原型を基にして描くか、パーツ毎のサイズが載っている「囲み製図」というもので描くようになっていて。その通りに型紙を作ると、本に載っているデザインの服が作れるわけです。でも、逆に言うと、本に載っているものしか作れない、ともいう。でも、お裁縫の腕が上がってくれば、全て自分のデザインとはいかなくても、本に載っているものを多少アレンジしたものを作りたくなるし。そうすれば、製図の仕方そのものをちょっとは勉強しなければならなくなるし、体にぴったりで構わない夏物と、ゆとりがあった方が良い冬物の上着とか、どうやってサイズの調整も含めてデザインしたらいいのか、というと、あんまりそういうことが書いてある雑誌や本は少なくて、「本に載っているものを作れる」から「自分の好みにアレンジできる」までのハードルがなんだか高いなー、と思う。同じ系統の服をいくつか作って研究してみたくても、個人の趣味で同じ服なんてそう何枚もいらないし、ということで、アレンジとかの幅が狭い、というか気軽に分からないところも裁縫人口が減ってしまう一因なのかなあ、とか思ったのでした。

 テレビは昨夜は「ニノさん」や「食宝」の録画を見て。今日の昼は「ミタゾノ」の録画を見ました。なんというか、「お金がある老人とお金がない若者が一緒に楽しく暮らしましょう。」という施設があって、そこではカップラーメンが1個2000円とかっていうぼったくりなわけですが、老人達はそれで幸せであって。その謎の秘密は・・・? という回であって-;。施設のオーナーは怪しげな東北弁?を話す怪しいおじさんである。で、就職に失敗したチャラい若者がリーダーで「ラブ&ピース」をもっとうにして施設を運営している。でも、老人達は影で「違法カジノ」を運営して施設を隠れ蓑にしているので、一番おいしい汁を吸っているのは老人達の元締め、ということで-;。

 オーナーはオーナーなんだけど、老人達からはあんまりまともに相手にされていません。なんで? と思うと、「中国から見て、東北出身で、何千年経っても、「入り婿」扱いで利用される以外に相手にされていない者がいるでしょ?」と言われる気がするわけで@@。そーゆーネタかい? と思う-;。

 チャラい運営の若者は彼なりに「ラブ&ピース」で頑張っているのだけれども、老人達からはうざがられて「帰れ」コールをされてしまいます。・・・そもそも「就職に失敗して、金のある老人と一緒に只で住んでいて、ラブ&ピースで頑張ってる者」ってどこの誰のことだ、きーって感じである。「就職に失敗した」っていうところが「余計」だろー、と思う。そして「怪しいオーナー」に命令されて振り回されている、って、「おーい」って感じである。しかも、彼は最後に「冒険」する気になって、帆のないバナナボートに乗って太平洋を横断しようとする。まさに帆のない「うつぼ舟」である。いかにも「淡島の呪い」って感じであるー;。

 で、後はじいさん達の中に、元締めに搾取されて、満身創痍の「もりたさん」という人がいて。「どこの守達神がモデルなのか。」とふと思う-;。満身創痍で申し訳ない、というか、よくよく悪意が透けて見えるぞ。前々回は眞子ちゃんとKK、前回は露骨にKinKi-Kids、そして今回は・・・という感じの「恐怖のミタゾノ」である-;。眞子ちゃんやキンキと同レベルで扱って貰ってることに感謝すべき?? と思う人もいるかもしれません。でもまた来週も見ちゃうんだろうなーー。(しかもカジノは「地獄」なんだってさ。「地獄」のオーナーってどこの誰のこと? 地獄って寺のこと? それとも竜宮城のこと? と思ったわけですが。地獄から抜け出して竜宮城に行きそうなチャラい兄ちゃんに対する呪いの回ですな-;。・・・そして舞台ミタゾノのお題は「お寺座の怪人」だそうだし-;。この世の「終わり」って感じであるー;。)

 さて、最近はハイヌウェレに関連して、穀物神を調べているわけです。いわゆる「稲荷神」という奴です。狐というのは、稲荷神とみなされることもあるし、「神使」とされることもある。狛犬が「神社の守護」の役割としてはっきりしているのに対して、神社の中の位置は「狛犬」に似ているのに「稲荷の狐」の役割ははっきりしません。「神」とも「神の使い」とも受け取れるようになってます。で、祭神も豊受大神、宇迦之御魂、保食神(うけもち)、大宣都比売神、荼枳尼天と一定でない。これらの神々は「同じ」とも受け取れますし、「違う」とも受け取れる。「月の女神」のように受け取れますが、天照大神が稲作に重要な神である点からいえば、天照大神のようにも思えます。一方、「殺す方」は須佐之男と月夜見ですから、こちらも「同じ神」のようにも見えますが、「違う神」でもある。何もかもが、「一定のくくり」の中に「複数の神」が存在して、それらは「くくり」の中で「同じ」ようにも見えるし、「違う」ようにも見える。そういう風に日本の「多神教」は作られてるわけです。「駒弓の神」も「弓」から「月の神」のように見えますので「月夜見」と同じようにも見えますし、違うようにも見える。

 で、長野市街地のちょっとはずれの方に、「桐原牧神社」というものがあるわけです。「馬の母」である保食神を祀っていて、「神馬(龍馬)」として毎年藁で作った牝馬を奉納して(?)配っているらしいです。でも、ということは「父親」になるはずの「牡馬」がどこかにいるはずですよねえ? と思う。保食神を殺したのは月夜見ですから、「月の神(男)」が「牡馬」であって正しい気がします。そうすると「駒弓の神」がぴったり当てはまる。でも、そうすると、「殺す男神」と「殺される女神」の組み合わせは「稲」に関する、というよりは「馬」に関するもの、という感じが強くなりますねえ? と思う。昔の馬は「軍馬」だから、軍事に関する「豊穣の神」でもある? と思う。そうしたら「皇足穂神社ってあるでしょ。そこは豊受大神とか、宇迦之御魂とか荼枳尼天とか、元々「殺される女神」に関する神社です。そもそもその神社が「稲荷」の元になる神社なんじゃないの。「穂に住む神」であり「牧の神」でもある。稲荷神の使いが狐になっているのは、一つは「西王母に仕える狐」から来ているし、もう一つは「稲の母が馬の母」でもあって、馬が狐に置き換えられたものでもある。その名残で、「天狗の乗り物」が狐なんじゃないの? 本当はそれが元は馬であったはず。」と言われる気がするわけで@@。それは「稲荷の神」の起源が「牧の神」でもあって、「牧の神」の方が先行しているし、発祥の地は善光寺平だということ??」と思う。色んな理由から「さもありなん」だと思う。でも、ということは「稲荷の狐」が「牡」だったら、「人食いの馬の牡神」ということで馬頭嬢の馬でもあるし、須佐之男のことでもある。「稲荷の狐」が「牝」だったら要は「ハイヌウェレ」である。そしてそれは「蚕の母」でもある。

 というわけで、各地の「駒弓の神」を見てきたわけです。だいたい、ちょっと離れた近くに「豊受大神」がいる。長野市の場合、「豊受大神」はどこにいる? と聞かれる気がするわけで。
「えーと、それはすめたるほのみことーー」と答える。
「そこには他にも主祭神がいるよね? それは何?」と聞かれる。
「それはあまてらすー」と答える。
「他に天照大神が組み合わされていて、しかも皇足穂命ほど大規模な神社はないよね? 稲荷神は稲に関連する神としては、天照大神のこと、ともいえる。ということは、駒弓の神が殺すべきは天照大神という思想の表れではないのか。記紀神話もそれに対応して、「蚕の母」といえる織女が死ぬと、天照大神も死んだも同然になって岩戸に隠れる。それはすなわち、天照大神が須佐之男に殺された蚕の母、であり馬の母であり、稲の母ということを示していないか?」と聞かれる気がするわけで。
「豊受大神が月の女神と太陽女神の合成神だから、どちらとも言えないし、だけども、どちらとも言えるように、そのように意図的に作った神なのではないの?」と思う。
「では、「殺される女神」でないはずの太陽女神を意図的に「殺される女神」に変更して「稲荷神」の前身である「皇足穂命」に変えてしまったのは誰か? そのように変えることができるくらいに、強く善光寺平の神権を握っていた者は誰か?」と聞かれる。
「それは尾張部の高尾張氏とどっかの下社なのではないのですかねー、たぶんねー。」と思う。

 で、天照大神が「殺される女神」だか「殺された女神」だかとして。キリスト教にはイエスが死ぬ前に弟子達に「酒は自分の血、パンは自分の肉」と言って飲み食いさせた、という伝説があるわけです。「最後の晩餐」というやつ。古代の日本人は、酒には人を生きかえらせる力があると信じていました。「神の飲む酒」はもう手に入れて飲んだ。「神の食べるパン」とは? と思ったら、「どっかの辻にパン屋があったでしょ。駒形嶽駒弓神社のおみやげにはうってつけ」と言われる気がするわけで@@。そもそも、辻は古来より「霊的」な者が集まる場所とも言われている。私がよく知っている辻は、彦神別神・招魂社と、雲上殿と善光寺と吉田方面からアクセスする「辻」なんだけど。その辻は立派な「霊道」だからー、と言われる気がするわけで@@。で、「イエス・キリストが他人に食べさせてしまった自らの血と肉を取り戻したとしたら? それを「復活」というのではないのか?」と言われる気がするわけでー;。

「あと一つ聞きたいことがある。私がよく知っている神社で、蚕の神を祀っていて、その神が何故か「十字」で「隠れキリシタン?」と言いたくなるような神社があるわけですが。蚕の母神であり、十字の神である神ってどういうもの?」と尋ねたら、
「そういうのに該当する神はただ一人しかいないでしょ。だからそこがあなたのホームグラウンドになってるんじゃないの?」と言われる気がするわけで@@。そーだったっけ? と思う。ともかく、出先で、私と同じ名前の「馬の母」である「保食神」を連れてきてしまったので、彼女をあるべき場所に戻さないといけません。「食べろ」と言われたものを食べると、そういうことが分かるようになるらしいですー;。