22年4月6日

 昨日、今日はあれこれあって忙しかったので、ようやく日記が書けます。今日は人に会う用があって、会いに行ってきたわけです。詳細は書かないけれども、ちと不動産屋さんのまねごとをしてきたわけで。会って、まず「うーむ」と思う。詳しくは書かないけれども、今までに私が会ったことのある人達とは「違う」人達であった、と思う。世の中には、いろんな人がいて、お金持ちでも、良い服を着ていても、いかにも「成金」という感じで品位の感じられない人っている。お金のない人は更に当然品位のない人なんか大勢いるわけで、いちいち品定めとかしなくても、まあ他人に品位を期待する方が無理かも、みたいな感じである。そういうこと言ってる自分もただの田舎のおばちゃんだし。だけど、特に外国とかで聞く話だけれども、王侯出身の人とか、お金がなくても、貧しくてみすぼらしいものを着ていても、身分相応の品位があって、他人から「さもありなん」と思われて尊敬されるような人もいる、と聞く。要は、今日会った人達は、どちらかといえば「後者」な感じの人達で(そして貧しい格好もしてなかったですよ。いっとくけど。私と親よりはよっぽどましな身なりであられたかと-;。)、それでまず「おおー」と思う。どうも、詐欺師まがいの市役所の公務員とかとしか最近会ったことないからさあ、と思うわけで-;。・・・・というわけで、「不動産屋さんもどき」としては物件情報は正直に扱うべき、という鉄則があるので、原則にできるだけ忠実なことしかしてません。嘘ついて物件を売ってもしょうがないし。だけど、階段の下の始末が進めば進むほど、こういう「品位」が感じられる人達と会う機会は増えていくのだろうな、と感じるわけです。でも「外」では、昔の日本軍がやったような、聞くも見るも耐えないようなことが、もっと続くかも、「脅し」のために、となぜか感じる。

 若い頃に、日渡早紀の初期の頃の漫画で「アクマくんシリーズ」というものを読んだことがあるわけです。主人公の「アクマくん」というのは魔界の悪魔の王子なのだけれども、人間が大好きで、人間を騙すような仕事をするのが嫌なので、「俺は人間になる」と言って家出して、人間界で史郎君という高校生の男の子の家に居候して、フリーターをしながら人間を目指してるアクマなわけだ。で、アクマくんはある日「チャチャ」という魔女っ子を拾います。こっちの方は魔界でも庶民の娘なわけだけれども、家庭の事情が「複雑」なのである。

 チャチャは捨て子であって、本当の親が誰なのか分かりません。というか、そもそも「天使の子」であって、悪魔(魔界の子)でもなかったらしい-;。それをボヴァという魔女が拾って、魔法をかけて魔女っ子の姿に変えて育てたらしい。でも、ボヴァは魔界でも素行の悪い魔女だったので、出入り禁止になって人間界に追放されてしまいました。残されたチャチャは魔界で「犯罪者の娘」みたいに言われて虐められて育ったらしい。・・・だいたい義理の親に魔女っ子の姿に変えられているから魔界で苦労しなければならないわけで、魔法を解いてもらって、元の天使の姿に戻れば天界に行けて、普通に天使として暮らせるはず・・・、ということで、チャチャは人間界に義理の親を探しにきて、魔女っ子の魔法を解いて貰おうと考えているところを、アクマ君に拾われたわけだ。で、アクマ君と史郎君の助けを借りて、義理の親を見付けることもできました。でも、結局チャチャは天使に戻るのではなくて、人間界で親と一緒に暮らす方を選ぶことにしたわけです。これが第一段階。

 第二段階として。天界では、「女神」に相当するような高位の天使が、行方不明であったことが発覚しました。それは、女神になりすまして、赤ん坊だった女神をどっかに捨ててしまった「偽の女神」の存在が発覚したわけで、このなりすまし詐欺が発覚したことで、天界では魔界にまで協力を要請して、「女神探し」をすることになります。その話は、人間界にいるアクマくんのところにまで聞こえてくるわけですが、それってチャチャのことじゃないの? 天界と魔界で一致して協力していたら、チャチャの居場所がばれるのは時間の問題である。せっかく、人間界で義理の母親とチャチャと二人で暮らしていこうとしてたのに、無理矢理親子は別れさせられて、チャチャは天界に連れ戻されることになるかもしれません。・・・なんとかしなくっちゃあ・・・、ということでアクマくんはまたまた頑張るわけで、魔界のお偉いさん達の助けを借りて、「当人が望むのならともかく、無理矢理天界に連れ戻すのは駄目」ということで、話をまとめたわけです。でも、最後にアクマくんは一番のお偉いさんに釘を刺されます。「チャチャが希望のままに母親と人間界で自由に暮らすのは『当人に女神としての自覚が出てくるまでだから』。」と。ということで、アクマくんは、『当人に女神としての自覚が出てくるまで』とはどういうことなのだろう? と悩みを抱えることになります。そして、読者にもそういう命題が与えられるわけですが、アクマくんシリーズはここまでで止まっていて、未完なのでその先は分かりません。・・・で、その次に始まった連載が有名な「ぼく地球」であって、「自覚」どころか「なんで前世のことを思い出さないのか」という苦情が来るようになった気がするので、なんともはや-;、ととなるわけですがー;。

 というわけで、特に最近、未完のアクマくんシリーズのことを思い出すし、『当人に女神としての自覚が出てくるまで』とはどういうことなのだろう? とやっぱり思うわけです。今日は雷公のことを思い出すことがあったし、4番目の子のことも思い出す。雷公のことを思うとなんとなく泣けるわけですが、じいさんとばあさんのW不倫なんてサイアクとも思う-;。ウクライナの人々、特に一般の人々は、国家と、隣人に対する誠実さと、正直さのために、大勢が命を失っているように感じます。それも一種の信念に対する「殉教」であると思う。イエス・キリストはあなた方と共にあり、あなた方と共に戦っています。多くの殉教者に魂の安寧と神の栄光がありますように。・・・『自覚を持つように』とは、結局『神』にこのように述べるように、そしてそう生きるように、とそういうことなのではないのかな、と最近思うわけです。