22年1月19日

 「優雅なニート生活を送りたい」と日記に書いたら、「縁の下の力持ちの守達神と組んで、あちこちの穢れを鎮めて歩くのに忙しい」と素直に書けばいいのに、と言われる気がするわけで。まあ、私にとってはそれが事実なんだけどさあ? と思います-;。

 本日は早起きして、朝早くから「縄文の女神に会いに行こう」と言われる気がするわけで。出早雄命小萩神社、兼平神社、多留姫神社、十五社、御頭御社宮司社、尖石縄文考古館、八ヶ岳神社、御射山神社を回ってきました。広範囲を回ったので、ちょっと数は少なめです。というわけで、本日の「オカルト行脚」紀行。

 出早雄命小萩神社・・・下社の摂社だけあって、神紋が「5本足」の三つ梶の葉でした。今回の旅では始めて見ました。元は横川の水源の神なのではないか、と思います。

 兼平神社・・・前回からのお約束ということで。参上さんは、一族郎党から「あなたも神サマの直参になったのだから、サミュエルの例にならって、ちょっとはちゃんとした格好をしなさい。」と言われたらしくて、以後、鎌倉時代の武家風の装束をつけて登場するようになりました。義仲四天王は、その名の通り4人いるわけですが、子孫からこんなに愛されて大切にされているのは兼平さんだけだと思うので、人間であった時に、よっぽど他人からも愛される良い人だったんだなー、と思います。というか、シャーマンというのは、死霊、生き霊を問わず、この世に存在する霊的な存在と交流することができるもの。要は話をすることができるもののことなんだよねえ? と私も少し悟る。シャーマンとは、巫女舞のように何かの儀式でトランス状態になって神サマを降ろすものだと、なんとなく思っていたわけですが。思ってたのと全然違うし。話のできる神サマとは普通に普段から話してるし? と思います。

 多留姫神社・・・橋の下に神社があるんですか? まるっきり「橋姫」じゃん? と思う。母なる女神を人柱にして「永遠の」橋をかけているわけです。滝そのものは美しくて立派だと思いましたが、まあ「呪い」ってこんなもんだ、みたいなー;。「これだから、次にFFXIをやる機会があったら、猫娘のミスラではなくて、タル姫を選ばないと。」と言われる気がしますー;。そういう世話を焼かれる、ということで。タルの黒魔法使いとガルカの暗黒と組んだらアタッカーばっかりで楯がいないじゃん、と思うー;。でも、きっとエロヴァーンのナイトとか募集したら応募してくれる人はいると思います-;。最近のFFXIはソロでもプレイできる仕様なんだけどさ。

 十五社・・・ここにも「第六天魔王」の碑が・・・-;。

 御頭御社宮司社・・・諏訪といったら「ミサクチ様」で、縄文信仰の代表の神サマみたいに言われる神サマです。でも、「御社宮司(ミサクチ)」関連は1個くらい行っておけば大丈夫、と言われてるのでここを選びました。「ミサクチ様の宿るミサ山」とは上社にとっては八ヶ岳(下社にとっては霧ヶ峰)なんだと思います。

 考古館・・・何というか、土器自体は、渦巻きとか多いし、蛇(水に関する精霊あるいは神)とか水生動物を模したと思われる文様が多くて、イメージでは仰韶とかやはり黄河文明の影響が強い気がするわけで。豆とか、寒いところで作れるものでも栽培していたのかなあ? とは思う。で、縄文中期から「顔面」のついた土器が増加する、とあって、土器に「目が大きくて口が横に長い顔面」とかついていて、ドン引きする。何故なら、私だったら、それを「饕餮紋」と呼ぶからである。頭しかない神は、権堂の勢獅子でも、熊本駅のクマモンでも、良渚の玉器でも見た。で、尖石でまた見たわけだ。で、「出産土器」も見て「うーむ」と思う。死と再生の象徴である「縄文のヴィーナス」も見て「うーむ」と思う。これはハイヌウェレでもあるけれども、遼河文明的でもある。石棒は石棒だから-;。親は「これだけ子供が欲しかったんだね。」とかそういうことを言っていた気がするわけですが、そいつは子供を食う神じゃなかったっけ? と思うわけで、石棒はシベリアから北海道経由で来たもの、ヴィーナスは南方系のハイヌウェレと北東アジアの遼河文明の混血、渦巻きは黄河文明、太陽女神(母)と饕餮(父)と子(娘)の三位一体はかなり初期の良渚鴨ということで、全部元は「鴨」から出た神々であるー;。縄文の宗教文化の「国際色の豊かさ」に圧倒されるけれども、鴨まみれなのにも唖然とする。メソポタミアでイナンナとかタンムズとか言ってたのと同じくらい、あるいはそれよりもちょっと古いくらいから、同じような宗教思想が八ヶ岳山麓にはあったんじゃん? と思う。

 というわけで、「我等は5000年の間、あなた方に搾取され、支配されて苦しめられてきた。」と嘆かれる気がする-;。「出産土器」の女神を見て、「それは虎の女神なのに。縄文の人々は虎を見たことがない人が大部分であるはずなのに。神だけがここにいる。」と思う。縄文中期以後の神々の「三位一体」は、太陽女神(母)と饕餮(父)と子神(娘)であると思います。これが、本来の「母系文化」だと、「母と娘」という構図はあっても、「父」というものはいなかったわけです。母系文化の女性にとって「彼氏」は不特定多数の存在で、よそから通ってくる立場で、いつ通って来なくなっても変ではないので、「家族」ではないのです。女性の財産は、当人と直接の身内によって守られて、他人に取られたりする隙はありません。母系の文化がつい最近まで守られてたモソの人々に「父親」とか「父方の親戚」がいなかったのと同じ事で、遺伝子的な「父」は存在していても、文化としての「父」は母系社会には存在しません。だから、饕餮(父)という神が誕生した時点で、「父」という存在が登場し、父系の文化社会が萌芽しはじめたわけです。というか、父系の文化を創る目的で、饕餮(父)という神は作られたのではないでしょうか。権力を欲する男性のシャーマンの手で。(で、この「男性のシャーマン」の象徴が伏羲で、その子孫が皇帝(あるいは皇帝の裏の人)とされていく、とそうなると思うのですが。)

 ということで、縄文の人々は母系の人々でしたが、宗教的には「父なる神」が彼らの文化には入り込んでいました。そして、饕餮は「死んだ神」ですから、「黄泉の国の神」です。人々は、死ぬと身代わりの生贄を立てて、神々(特に黄泉の国の神々)に再生を願うようになりました。それに遅れるか、同時並行で建物や橋といった建造物の安寧(永世)を求めて人柱も立てるようになりました。要は、自分自身の永遠、建造物の永遠、農作物の収穫の永遠等の「永遠」を求めて、身代わりの「人身御供」を立てるようになったわけです。でも、縄文時代は食料も乏しく、人口が少なくて人が希少だったので、人身御供の代わりに土偶を埋めることが早い段階で当たり前になったのだと思います。遼河文明もそうです。で、本邦では壊れた土偶に再生を願う文化は、「かわらけ投げ」に変化したと思います。人(土偶))をバラバラにして、捧げるのは芋や農作物の豊穣と関連していると思います。種芋は切って植えるからです。そして、再生を願う人身御供が芋の豊穣と結びつけられた南方ではハイヌウェレの思想がかなり時代が下るまで残ることになりました。

 土偶を壊さずに、完全な形で残したものがあるのは、普通の「人柱」の思想も入ってきていた証拠だと思います。「人身御供」という意味合いでは、ハイヌウェレでも人柱でも意味はさほど変わらないと思います。というわけで、縄文の宗教思想は

太陽女神(母)と饕餮(父)と子神(娘)の三位一体  プラス  豊穣と再生のための生贄の女神(下位の女神)

となりました。「下位の女神」が存在する、ということは、奴隷とか、いわゆる「階級」が社会的に出現していたことをむしろうかがわせると思います。人口が多ければ、

豊穣と再生のための生贄の女神(下位の女神) = 子神(娘)

となると思いますが、人口が少なければ女性は貴重ですので、「豊穣と再生のための生贄の女神(下位の女神)」は土偶で代替するか、人身御供を立てるとしても共同体外の人間(専用の奴隷、犯罪者、くじ引きで負けた人等)を立てたと思われます。これが「差別」や「偏見」の始まりといえます。

 世界レベルで文化が母系から男系に移行すると思想的に2つの流れが起きます。

1. 一つは、母系の思想を尊重して、「父なる神」は妻と子の保護者であり、彼らを支える存在となる、という思想。

2. 一つは、「母系の女神」と「父系の男神」の立場が逆転して、「父なる神」が威張り腐って、「母系の女神」を
「奴隷の女神」に変えてしまう、という思想。元々は女神のおかげで神サマにして貰ったのに、恩知らずに妻子を食い物にするのが「父なる神」という思想です。やり方が汚いので、これを「穢れ」と呼ぶわけです。
これは社会的な女性差別につながるだけでなく、「寡婦殉死」という習慣につながり、女性の財産所有は社会的にも法的にも認められなくなります。

 で、世界のあらゆる思想は、1と2のどちらか、かせいぜいその中間のどこかを目指すことになったわけで、そういう「鴨式」な思想がすでに縄文の遺跡の中に転がっているわけです。

 というわけで、個人的には土中から出てきたものには「ヴィーナス」と呼んではいけない、とあたくしは個人的には思います。それは神を模した「奴隷」であって、差別主義と階級主義の象徴であるからです。人身御供そのものが「悪しき習慣」だと思うなら、人身御供となったものは「犠牲者」であっても、神聖な「神」であってはならないものだと思います。「神」であるのは「出産土器」の女神のみであって、5000年かけて、人々はこの母神である多留姫を人柱にするようになりました。「穢れ」の思想、「魔王」の思想に見張られてしまってるので、とっても怖くて反対なんかしたくでもできません。八ヶ岳山麓では、そういう文化の「歴史」を見ることができます。でも、そんな状態だから、私に「見に来い」と招集がかかるわけだ-;。

 御射山社・・・本殿は大四御庵社と思われる御射山社ですが。下社系の八坂刀売がいないで、下照姫(=多留姫)がいるから、この女神が本来の「山の神」かと。
国常立神がいて、内心やばいし、まずいと思う。いくら甲斐が近くても、なんで上社の神域に弥勒とか三輪山とかがいるのか。それはみんな饕餮の変形版、と思う-;。疲れているときに、変なモノを食うと更に疲れて、帰路の事故が心配になるわけですが-;。何とか生きて帰ってきました。御射山社は下社にもあるわけですが。山の中で冬場はけっこう怖いので、夏に霧ヶ峰と併せて回るかー、と思う。

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ピンボケしてますがー;。私しか言わないであろう、尖石の「饕餮紋」。でかい目と口が特徴です。
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把手、というか把手と言うよりも「目玉」を模したと思われるものも私なら「饕餮紋」と言います。
良渚でも時代が下ると「目」だけを強調した饕餮紋が出てきます。

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 なので、こうなる。すでに歴史の上で「三位一体」の思想が登場しています。
縄文時代の自分自身を見て、歴史と伝統を背負っていく、とはどういうことなのだろうか、と思う。
そこにいる「お母さん」とはインドでドゥルガーと呼ばれる女神、チグリス・ユーフラテス川(白い虎)の女神と同じ神だと思います。中国では西王母とも呼ばれてる。縄文の人々はミサクチ様とか、多留姫と呼んだのではないでしょうか。
 あたくしも考古学をやりたい、と思った時期もありましたが、ついにはそちらは「専門家」と呼べるほどの鍛錬を積む機会がありませんでしたが。民俗学に走って、比較文化人類学を追究した結果、遂にこんなことを言うまでになりましたとさ。