20年12月16日

 本日も雪降りで、かつ、お出かけをする日だったので、作業はお休みでした。その代わりに定例のお手紙出しと、ゴミを捨てに行って。

 で、後は恒例の時候のご挨拶のお手紙を書いたりして。

 昨夜はなんだか眠る気になれなくて、かなり遅くまで起きていて。「ブンブブーン」を見てぼーっとしていたら、ふっと小泉今日子の「優しい雨」という歌が心に浮かんで。そうか、その歌は7番目の兄さんのお歌だったんだなー、と気が付く。学生時代にけっこう好きだった歌だったので、動画を探して見て見ました。7番目の兄さんの心の中には、いつも雨が降ってるのね、と思います。この曲はそのうちに買うと思います。

20年12月15日

 本日は雪が散らつく中、田舎の方に測量に行ってきました。昨日はなんだかぼーっとしていて、「明日の用意をしよう」と思っても何を用意したら良いのか思いつかないような感じであって。で、「News Zero」を見たら、4番目の子に「念のため古い公図を持って行きましょう。」と言われた気がしたので、はっとして公図とか書類関係を用意して。で、朝ご飯を食べて、現地で福山君の曲を子守歌代わりにしながら食後の睡眠も取って、けっこうすっきりとして。で、本来は、公図の「訂正」のための測量なわけです。何故なら、平成14年だか15年頃の国調(国土調査)の時に、現況に沿って境界を決定して、近隣住民の印鑑も得て公図の作製に至っているからです。その公図が最近建物の表題登記をしたら、「全然現況にあった公図になってないじゃん」ということで、測量のやり直しを西武土木事務所に申し入れたわけです。法務局の方には、表題登記の際に説明して、現況に沿った登記をしてるわけ。で、西部土木事務所からは「測量の際に錯誤があったから土地境界の協議をやり直しましょう。費用は市役所で持ちます。」という回答があって、今回の測量に至ったのです。でも、もっと厳密につきつめれば、回答そのものに不満があるわけで、「錯誤」ではなくて、「更生」でしょう、行政が間違って訂正する場合には「更生」となるはず、と思ってたのです。只でやって貰うことだから、特に異議も申し述べなかったわけですけれども。

 で、行ったら関係者で集まって、女性は私と母親だけでした。敷地の西側の所有者は昔は女性だったのですけれども、代が変わってましたし。親が「国土調査の時に境界を確認した人達の中で生きてるのは私だけだー」と言っていて。我が家も親は健在ですけれども、名義的には代替わりしてますし。(近隣の住民には「代替わりした方が手厳しくなってる」と思われてそうですが。)親は姉の代理人で行ってたわけですが、行ってもらって良かったと思いました。親が土地を買ってからの経緯を全部知っている人がもうほとんどいなくなってるわけですから。

 というか、そもそも福山君の曲をガンガン聴いている時点で、色々と思われていそうな気がしてならない。「もはや自分が誰なのか心得てるし、長野高校出てるし、「蛙の子は蛙」って言うし、思いっきり威張るぞ。」とか、なんか、最初からそういう「空耳」が聞こえる気がしてならないわけで。「思いっきり威張る蛙の子」の親蛙はそもそもどこに住んでるんですかね? あなたたちも良く知ってるんじゃないの? と思うわけですが-;。

 で、測量を始めたわけですが、事前に西部土木事務所から依頼を受けた測量士さん(でなきゃ家屋調査士さん?)が、国調の結果の通りのくいを打っておいて、それをチェックして、現況に沿って訂正していきましょう、みたいな事前の話になっていて。それが、国調の結果だと、よくよく変になってる敷地の西側だけでなく、東側も微妙にずれていて、「境界が20cm敷地の中に入ってる」とかって言い方をされるわけです。なんというか、まるでうちが東隣の人の土地に無断で入り込んで家を建ててる、みたいな、なんだかそんな印象を受ける物言いをされるわけ。だけど、家の南東の方の壁は50年近くも前に、隣家の持主と境界を確認して建てたもので、国調の際にもそれに沿って測量してもらってるはずなんだから、間違ってるのは国調の結果の方じゃん、と思う。一応「閲覧」という制度があったとしてですよ? 今回発覚したみたいに1.5mも境界がずれていれば、しっかり閲覧していれば間違いを発見できたかもしれないけど、20cmの現場でのずれなんか、公図の上では1mmずれているかいないかの差しかないわけで、それこそ素人が見て「現況とずれている」なんて発見できるもんか、と内心思う。それこそ、測量の際に測量している人に着いて歩いて、1cmの差までチェックしなければそんなこと気が付くはずもないことで、都会のど真ん中の土地ならともかく、田舎で売ろうったっていくらになるのか、そもそも値段がつくのかも分からないような山の土地なんかにどの地主がそんなに細かく気を遣ったりするのさ、とも内心思う。でも、口に出して言ったのは「国調の結果が間違ってるんですよ。」って言っただけでした。事実だし。

 で、国調の時の測量で打ったくいがまだけっこう残っていたので、大抵はそれが境界で異議は出なかったわけですが、一部、フェンス工事の際に、「工事をやった人が掘り返して埋め直したから境界として承知できない」とかってちらっと言われて。「そんな5年も6年も昔の工事のことで、工事の時に文句を言わないで今言ったって困ります。うちは工事の人から杭を埋め直したなんて聞いてないですし。」と言う。北東の隅も、隣の土地に食い込んでる、みたいに言われたので、古い公図を持ち出して、「古い公図ではこういう境界になってるし、うちはそれが境界だと思って土地を使ってたし、国土調査の際もそれに沿って境界を決めたので、「食い込んでる」って言われることそのものが古い公図と違ってることで、間違ってるんですよ。」と言う、ということで。うちが持ってても意味がないところを北側の住民に譲って新しく境界を決めたところもあったし。新しい境界を決めたときも、土木事務所の人は微妙な反応で「法務局がなんて言うか・・」みたいな反応だったのですが、でも、こういう「新しい境界を決める」というのは、原則としては地主同士が協議して、「この境界にして下さい」って申請するものであるので、役所が決めるものではない、それが「民主主義国家」というものである、と私が知ってるので、「法務局の意向がどうの」って土木事務所に人が言ってても、全然聞いてないわけで-;。隣家の主人に対しての意向と同じで、法務局は法務局で言いたいことがあるのなら直接協議の場に出向いてきて言うのが民主主義だし、言うべき時に言わないのなんか、例え役所だってダメでしょ、くらいにしか思ってないわけだ。だから、「地主同士の協議で境界を新たな境界を決めればいいんですよね?」と言って、工専を黙らせて場を仕切ってた長野高校がいた気がするわけで。なにせみんな、口には出さなくても、誰がどの学校を出てるのかよくよく知ってる田舎なので-;。田舎の学歴ヒエラルキーとして、「長野高校→信州大学医学部」と「蛙の子」であることのコンボはけっこう強力なんだなーー、と内心思ったわけですがー;。別に余計に他人の土地が欲しいわけではないので。現況の通りに、公図を整理してくれればそれで良いわけです。うちは50年もその現況の通りにやってきたわけで、変更があれば柔軟に対応してきたわけだから。まだまだ油断はできないのですが、今日のところは何とか最後には無事に完了した気がします。

  でもって、最後には「蛙の子はやっぱり蛙」とか、「今更ゲイと嫦娥のどちらを選べ、とかそういう段階じゃない。当人の腹はもう決まってる。後ろに取り憑いているのは7番目の兄さんと4番目の子だ。」って言われる気がしてならないわけで。「ゲイのじいさん」と「嫦娥のばあさん」のどちらを取るのか、ということになればですねえ? だいたい、サイコパス集団なばあさんの一族郎党を取ってどうするのか、サイコパスなんて家族の中に一人いるだけでも多すぎるでしょ、と思う。そして、こういう問題は、どちらかを取るのか決めたら、それを貫くしかないのですよ。どこかで日和ったら、それが自分の命取りになる、ってそういうものでしょ、と思う。その二人に対する私の信頼感がどれだけ強くで強固であろうが、田舎の近所のじいさん達に苦情を言われる筋合いはありません。そして、田舎には持主が良く分からない長年放置されてるような土地もあるので。今回、初めてその存在を知った隣人もいて、興味深かったのでした。・・・・・・というか、さすがに誰も私が誰が好きで誰と結婚するのか、とかそういうことは言わないなー、というか、厳密には「言われない気がする」わけで。ストレートに「ゲイにつくのか、嫦娥につくのか」としか「言われない気がする」。でも、それが全ての本質なんじゃないの? と思わないわけでもないです。

 で、後は日赤に寄って、カルテのコピーを貰ってきて。今日はそれで力尽きたので、それ以外は何もやっていません。

 で、なんとなく光ちゃんのことをあれこれ日記に書いたら「別の星に生まれ変わっても会いたい」とかそういうことは書かないんだ? となんだか聞かれる気がするわけで。そういえば、そういう歌詞の曲がありましたねえ? 「彗星が如く」でしたっけ? それとも「流星が如く」でしたっけ?? と思う-;。というか、「Music Clip?」の小ボケ感のインパクトが強すぎて、そちらに夢中というかー;。というか、そもそも「生まれ変わり」がどうの、という話は私が始めたわけではなくて「ぼくの地球を守って」の時代から、私の周囲の人がそちらに関心を持たせようとしてきたネタなんじゃないの? と思う。私から言い出したことではないから、書かなかったわけですが。まあ、ご先祖のじいさんとは生まれ変わる前に会えるのではないのですかねえ? と、むしろそう思うわけですが。