20年11月18日

 本日は、お出かけをする日でした。なので、地裁に行って期日調書を謄写して、日赤に行ってカルテ開示用の用紙を貰って、後はいつもと同じようにお手紙を出して、買い物をして帰ってきました。

 弁論準備手続きも完了して、次回は口頭弁論再開かつ結審であるので、地裁とも直にお別れです。法律のことも、建築のことも勉強したいと思ったことは全然なかったわけですが、強制的に色々と仕込んで貰って、裁判での訴え方のノウハウとか、一番へぼい弁護士並には何とか実務ができるくらいに育てて貰ったと思うわけで。至らないところは、まだいくつもある気もしますが、裁判を始めた頃よりは、よほどましになったと思います。地裁へ行くと「臆せずに次のステップに進め」と言われる気がするわけで。別に弁護士の仕事の実務を覚えても、資格は持ってないし、資格取得のために勉強する暇もないし、「次のステップ」って何? と正直思うわけですが。まあ、自分でできることが増えるのは良いことではあるわけで。

 で、周囲がやたらと騒がしかったり、何だかちょっと不穏で恐喝的だと思ったので、「やっといた方がいい」と言われる気がすることは何でもやろう、という気になったので、特に訴訟を起こす予定とか具体的には全然ないわけですが、日赤にも行ってきました。開示請求に必要な書類は、申請書と委任状の2種類があって、正式には委任状も必要なはずですが、「いらない」みたいなことを事務のU(上松)氏に説明されて貰えませんでした。だいたい、こっちから指摘して「ください」と言っても、必要なものを全て寄越さない、とかそういうことが常であって。次に行ったら「渡しませんでしたっけ?」とかって、しらばっくれて言われそうな気もしますが、まあその時に改めて用紙を貰ってもたいした手間ではないですし。大至急開示させなければ、ということでもないので、強くは言いませんでした。まあ、裁判にしても、カルテ開示にしても、裏で誰が糸を引いているのかみんな知ってるんだろうな、と思う。そして、思ったことですが、「セカンド・オピニオン」って自由診療じゃん? と思う。ということは、いくら貰うのかは医者が自由に決めて良い、ということです。健康保険外のことだから。だったらさあ、「訴訟向けにカルテを解読して、法的かつ医療的な問題点を明確にします」という意味での「セカンド・オピニオン」というのだってありだよねえ? と思う。そういう仕事が成立し得れば、そういう仕事はいいなあ、解読にあんまり高い値段設定をしなくてもさあ、と思う。私が、将来的に医療兼法律的なことに関わるとしても、医者の側に立って活動するなんて今更思う人は誰もいないと思うので。途方もない怨霊に取り憑かれて崩壊してる業界から迷惑をこうむっている庶民のために働けるのであれば、その方が良いと思う。まあ、お仕事なんてする余地があれば、ですが。そして、私が医学部に行った意味は、医者になるためではなくて、怨霊に取り憑かれて瞑想してる業界と庶民を救う道を模索するためだった? とかって今では思う。

 そして、最近では嵐の最新アルバムの「This is 嵐」ばっかり聴いているわけです。限定版を買ったから2枚組なわけ。1枚目は「オリジナル・アルバム」といえる内容である。2枚目は「Reborn」と称して、今までのシングルとかを英語混じりでリミックスしたものである。そして、それぞれの「最後の曲」の意味は? と聞かれる気がするわけで。1枚目の最後の曲は「The Music Never Ends」という新曲である。要は、嵐が休業になっても「嵐の音楽は永遠である」というような、そういう意味ですよねえ? と思う。2枚目の最後の曲は「Face Down」という曲で、2012年のシングルのリミックスである。「Face Down」とは「顔を伏せる」とか、そういう意味であると思うので、「嵐は顔を伏せる(看板を下ろす=休業する)」とか、そういう意味なのかなあ、と思う。

 で、私にだけ特別に意味があることだけれども、「Face Down」がMステで披露される直前頃から、なんだかいろんなことを言われるような気がするようになって、「家におこもりしなきゃいけない」と言われたような気がするわけで。「どのくらい籠もってなきゃいけないんだろう?」と思ったわけです。そうしてMステを見たら、誰かさん達が「1年」とか言ってた気がするわけで。それ以来、あれこれ言われるままに動いていたら、カルテの開示請求とかまでするようになったし? と思う。確か、昔、私が板橋の小さな諏訪神社に願ったのは、医療訴訟じゃなくて労働訴訟に勝てる「力」だと思ったんだけど、方向性がなんだか違ってる、と思うわけで-;。どうも周囲の期待する方向で、微妙に軌道修正がかかってる気がするわけですが。だから、私にとっては、「Face Down」は、それまでの「俗人」であった自分をいったん閉じて、新しい自分を始める出発の曲でもある気がするわけです。そういう意味では、マスコミの報道なんかを見る限りでは、大野君とかにとってもそういう意味があるのかなあ、と思う。それまでの「自分」とは別れて、新たな自分を始めるための曲です。そして、もう一人、6番目の子にも同じ意味を持つ曲なのではないのかなあ、と思います。そして、全てが始まった2012年5月4日のことを忘れないで欲しい、と思われてる気がします。・・・・まあ、普通に忘れられるようなことじゃないでしょ、と思う-;。嵐が「閉じて」も、色々なことはこれから更に進む、と思います。