20年11月16日

 本日は、母親の病院、ということで長野高校の近くの循環器内科のお医者さんに行ってきました。ごくごく軽度とはいえ、弁膜症が3つあって、高血圧が治療が必要な状態なのだから、糖尿病の内科ではなくて、循環器にかかるのは至極妥当だと思います。母親には糖尿病の傾向は全くありませんし。)今までどおりのお薬で行けることにもなりましたし。

 なんとなく、感じとしては、先生のお話を大抵は黙って聞いている私が、まるで「自分にとっては言動をチェックしてる姑のようだ」とお医者サマには思われていそうな気がするわけで。私としても、本当は先生には順当なお医者サマらしく、のびのびとお仕事に励んで頂きたいと思ってますし、姑みたいな口出しはできるだけやりたくないわけですがー;。でも、医師法と応酬義務違反とは何か、ということからお教えしないと、医者の仕事とはどうやってやるのか思い出して頂けないようでは、仕方がないじゃん? ちゃんとガイドラインに沿って検査の上、診断名をつけて、かつ病気の説明くらいおやりになれば? と思うわけで-;。人生においても、医者としても、怨霊兼ストーカー対策としても、私の方が先輩なのもどうしようもないし-;、と思うわけで。なんとなく、長野日赤の循環器の部長(兼循環器病センター長)先生は、まだ私に訴えられたくない、と思われているような気がするわけで、紹介状にはどの紹介状にも「大動脈弁閉鎖不全」とか「僧帽弁閉鎖不全」とか全然書いてないわけですが、診察室での会話レベルでは「公然の事実」になっているわけで。あんまり問題になる病状ではないわけですが、だからといって「ない」ことにしてしまうのは、事実とは違うわけですから。救世主も何も、医者を救うことほど神経を使って、骨の折れることもないわけですー;。思い医者用の教科書を何冊も持って行って、とても疲れました-;。

 で、ついでに学生時代のこともなんとなく思い出して。学2の丁度今頃のことだから、25年も昔のことです。年末の試験(11月~12月にかけての試験)がだいたい終わって、病理学で追試を食らう人が多かったわけ。病理は教室が2つあって、それぞれが講義をしてたので、試験も2つありました。クラスの半分くらいは、どちらかを落とすことで追試になってた気がします。私は細菌学だかを1個落としただけで、奇跡的に病理は2つとも追試ではなかったわけです。で、病理には標本を見て診断名を当てる、みたいな実技試験があったので、試験に落ちた同級生に家庭教師みたいなことを頼まれて、「民医連」の事務所に行ったりしてたわけ。「民医連」といえば「共産党」であると漠然と分かっていて。で、そういう政治的なことを嫌う同級生もいたけれども、私自身は共産党関係者ではありませんが、当時はなんというか、そういう「政党アレルギー」みたいなものはなかったので。割と仲の良かった同級生の一人が民医連の関係者だったので、その繋がりで、民医連の事務所にも出入りしてたりしました。こういう勉強会(って、学校の勉強に関する勉強会で、政治的な勉強会ではないのですが)みたいなことで事務所を利用させて貰うこともあったし、私みたいな感じで、少なくとも表向きは「民医連関係者」ではないけれども、仲良くしてる関係で出入りしてる、みたいな人は何人もいました。だいたい明確に「民医連関係者」と分かる人は1学年に5人くらいしかいないわけで、それ以外で事務所に出入りしてる人達は、少なくとも表面的にはほとんどが民医連関係者ではなかったわけで。思想的には共産党とはあんまり縁のなさそうなお金持ちの子弟とかも普通に出入りしてましたし。

 で、追試の試験勉強の家庭教師的に頼まれて行ってた人も4,5人いたわけで、私が行ったら、たまたま(?)当時私が付き合っていた人も頼まれて行っていたわけ。私は偶然事務所で顔を合わせた、と思っていたけれども、今ではどうだったのかなあ? と思う。まあ、少なくとも私の方は、行くまで彼が来てることは知らなかったわけです。で、私はちょっと離れたところに住んでいたので、バイクで行ったわけ。彼の方は、仲の良い友達と二人で来ていました。まあ、この二人も表向きは「民医連関係者」ではなかったわけです。彼の方は、私と二人でいるときには、立花隆という人のことを持ち出して、共産党の悪口みたいなことをけっこう言っていて、「友達がいるのに、そこまで悪く言う?」みたいな感じでした。どちらかというと。で、彼の方は、友達と二人で彼の車で来ていたので、当然といえば当然ですが、友人と二人で彼の車で帰って行ったわけです。私は内心、「彼も来るって知ってたら、彼の車に乗せてきて貰ったし、送って貰ったのになあ。」と思いながら帰りました。だいたい、バイクで行ってるわけだから、バイクを置いて、彼に「送っていって」とも言えないじゃん? と思う。だけど、今になって改めて思う。あの時、民医連の事務所で彼に会ったのは、本当は偶然だったのかなあ? と。私と彼が付き合ってることはそこの関係者は知っていたわけだから、別々に家庭教師を頼まずに、一緒に頼んで、「一緒に来て」って言ってくれたって良かったよねえ? と思う。そうしたら、私も彼も楽だったのに、と思う。なんで、別々に呼ばれて、別々に帰るように仕向けられたのか、彼もなんで友達と仲よさげに帰ったけど、私に「送っていく?」とかって一言でも聞かなかったのか、とか今になって思うわけです。(まあ、全体において、そういう「気が利く」ような性格の彼ではなくて、私がフォローしなきゃ、ということが多かった気がするわけですがー;。)ともかく、別々に事務所に呼ばれて、別々に帰ったことに何か「特別な意味」があったのなら、それは計画的、ということだし、彼とその友人だけでなく、民医連の事務所ぐるみ、全員が「ぐる」でやってたって、そういうことになるよねえ? と今になって、なんとなくそう思うわけです。最初は、そういう曖昧でささいな「違和感」から全ては始まった気がします。・・・それが今では、現役のお医者さんに医師法と応酬義務についてお教えするようなことに発展してる気がしてならないわけですがー;。ここまで来るのに、こういう妙な違和感を感じる人生経験の連続であったので、その点でのキャリアにおいても、どんなお医者様にも負ける私ではないぞ、と思う-;。

 で、病院に行ったり、買い物に行ったりして疲れたので、今日の作業はお休みでした。

 そして、朝方なんだか夢を見て。夢の中で、潤ちゃんが何故か「同級生」であって、「嵐を卒業しても自分のことを忘れないでね」と言われる、という夢で。来年からは、特に潤ちゃんをテレビで見る機会ががっくりと減るのだろうな、と思ったのでした。