23年1月25日

 昨日は群馬浮島弁財天、館林長良神社、雷電神社、夜明稲荷、尾曳稲荷、富士嶽神社、長善寺を参拝してきました。午後遅くから雪が降る、という天気予報だったため、早めにお昼を食べて早めに帰る予定だったし、どこへ参拝してもヘリコプターが出るので、「早く帰れ」ということだろうな、とは思ったのですが、どうも色々と予定とは違うことがあって、1時間くらいしか早めに帰れなくて。でも、帰れないよりはマシだった、とそんな感じでした。

 アクシデントその1。本当は比較的長野に近い藤岡周辺を埼玉含めて回ろうと思ったのですが、埼玉の地図を忘れてしまったので、最初の目的地であった館林周辺を回ることにしてけっこう遠くに行ってしまったこと。

 アクシデントその2。浮島弁財天を探すのに、多々良沼の周りをぐるぐる回って時間がかかる・・・。平日なのに、妙に歩いている人がいる。

 しかも、家に帰ってから予定のところを1つ参拝しのがしたことに気がつく。・・・群馬、油断がならない、というか、館林周辺がすごすぎる、というか、かなりの「魔境」だと思いました。長良神社に人身御供を求める蛇神を退治した伝説がある。しかも、その蛇を18だかに分割してあちこちに埋めたので長良神社がたくさんあるらしいー;。そこまでしたのに、長善寺には女性二人が沼の神に妬まれて、沼に引き込まれた、みたいな話があるわけでー;。「人身御供」というものの概念の変遷を見る思いがする。

 おそらく、一番古くは「天白神(蛇女神)」に対するかなり無作為、かつある程度負担が平等の「人身御供」の制度があり、それは豊穣や治水を求めるものだったと思うわけです。でも、男系が進むにつれて、麻を植える「天日鷲命」が「誰を人身御供にするのか」を決めるようになり、「白羽の矢を立てて」処刑を実行するのが麻布を織る「長白羽命」とされるようになって、古い蛇女神は「悪神」として退治されたことになってしまったのだと思う。でも「誰を人身御供にするのか決めて」、「処刑のやり方もケースのよって決める」となったらそれは「作為」が働くのであり、要は政治的に邪魔な者を消す、とか、特定の人を標的にした粛正の様相を帯びてくる。

 それと平行して、近世の上州で大きく目立つのは「赤ん坊の間引き」である。もちろんこれは群馬だけで行われていたわけではないし、殺さなきゃ殺さないで長野県の「おじろくおばさ」みたいな制度に繋がっていくわけで、人道的であろうがなかろうが、ある程度人口を調節する必要性があることは私にも分かる。そして、「間引き」というのは、要は「生まれた子供を全員育てられないから」行ったものなのであろう、と今までは思っていたわけです。だけど、群馬に行って思ったことは、「群馬って長野よりもよほど暖かいじゃん? 飢饉の可能性は寒い地域よりも低く、米の収穫量も安定しているはずなのに、何故間引きが公然と目立つのか?」ということです。で、ちょっと調べたら、生まれた子供が殺される確率は冬よりも夏の方が高いわけです。それは、女性が労働力とみなされているから、夏場には子供を育てることが認められていないことを示す。昔は、子供を生んでも次の日には野良仕事だったというのはよく聞く話です。で、家に帰ったら乳を飲ませてー、みたいな。だけど、そういう最低限のことすら認められなかったから、「間引き」が行われたのだということが分かる。要するにそういう習慣は長野の北信なんかよりも上州の方がよっぽどきつかったんじゃないか、と思う。収穫量の問題じゃあないよねえ? 信濃国を牛耳ってる金刺の一族郎党サマたちさあ? となる。

 ということで、水神でもある天白信仰の神社に、水神退治の神社に、よく分からないけれど沼にはまって死んだ美女の供養塔に、川の鉱毒汚染と戦った田中正造関係と、「水」に関してカオスな状態の上州である。浮島弁財天は北条氏に縁のある神社で、「是非お会いしたい」と呼ばれる気がするので「主」に会いに行ったり、某長良神社で「こんなとこ嫌だ。都に帰りたい。」と「怨霊」に泣かれたり、収穫がなかったわけではないけれども、行きたかった所はど忘れして行けなかった上州・・・。手強いと思います。利根川・荒川関連はかなりの「魔境」ですー;。

 ちなみに麻に関して、「天日鷲命」は「八咫烏」も同然で金刺関連、「長白羽命」はその下部の秦関連ではないかと思う。少しずつ回っていければと思います。

 それから今日は翔ちゃんのお誕生日です。おめでとうございます<(_ _)>。