21年1月22日

 昨日は、再び茅野方面へお出掛けする。ともかく、富士見町の神社を回って、長野県側の神社を回れるだけ回ったら、県境を越えて山梨側の神社を1つ参拝して欲しい、というのが今回のミッションである。昨年の紅白以来の宿題だから。アラジンに呼び出されたランプの精のように、召喚がかかったら行ってくるのが神サマである・・・という気がする-;。

 で、メインテーマはいくつもあるわけですが、富士見町というのは宮崎駿監督の別荘があったとこと、ということで特に「もののけ姫」という映画の中の登場人物に富士見町の地名がついていることで有名なんである。乙事主様の「乙事」とか、烏帽子とかみな地名である。ジコボウというのはキノコの名前だけど。・・・で、ついでに言えば「アシタカヒコ」とは長髄彦(建御名方富命)、「サン」とは下照姫に引っかけてると、今なら思う。上社の匂いがプンプンするし、というかそもそも富士見町も領分としては上社の領域だよねえ? と思う。

 で、古代の宗教論とか長江とか稲作とか書き出すとキリがないので、ざっくり書きますが、まずは

乙事諏訪神社・・・乙事主様の名前の由来と思われる乙事の諏訪神社である。「宮崎監督にはさんざんお世話になってるんだから、行ってきなさい。」と言われた気がするから行く。ちょっと珍しい感じで、重要文化財とかで、本殿がなくて中世の様式がそのまま残っている神社で。本殿がない、ということが「山岳信仰」で山をご神体にしているんだろうなー、と思わせる。で、鳥居の横に「蚕玉大神」という大きな石碑があって。「もののけ姫」の「木霊」って「蚕玉」からとったんだろうか、繭玉みたいな形だし、と思う。で、「もののけ姫」の「乙事主」というのは、巨大な猪の「祟り神」であるので、「何かありそう」と思って境内の中を回る。そうしたら「八ヶ嶽坐王社」というのがある。・・・出たー、坐王だ、弥勒だー、絶対山に何か取り憑いてると思った、ということで-;。因縁というものを感じる。

柏尾社・・・大山祇を祀る土地の神社

信濃境神社・・・信濃境駅の裏手にある神社。諏訪梶がついていたから諏訪系の神社。県境を守る神社でしょうか?

井戸尻考古館・歴史民俗資料館・・・だいたい、朝出かける前から「井戸尻の方では「今日は目利きが来る」って行って待ってる」と言われる気がするわけで。尖石で数ある土器の中から1個だけ明確に「饕餮紋」とみられるものがあることを見つけ出したらそれで「目利き」認定らしくて。でも「目」の意匠は良渚よりも古くからあるものだから、ちゃんと勉強しておくように、と言われる気がするわけで。

 考古館の方は、「ここでは縄文時代のものしか扱わないから」みたいな但し書きが書いてあって、「ん?」と思う。なんで、それにこだわるの? みたいな。で、尖石の目玉が「縄文のヴィーナス」であるなら、井戸尻の目玉は「半人半蛙」である。井戸尻では「二つの目」は「神の目」扱いで、ちゃんと説明板に書いてある。・・・尖石ではそんなこと一言も書いてなかったじゃんーー、と思う。で、この「二つの目」が何かというと、一番普遍的な考え方では「男の目」なのである。でも、これを「男神の目」とするか、単に「男(巨人)の目」とするか、ということになると、もうそこから世間の評価は2つに分かれる、ということになる。大雑把にいえば、母系の文化の人は「男の目」とするであろうが、父系の文化の人は「男神の目」とするであろう、と思う。この「目」が何かと言うこと、河姆渡文化に「猪紋黒陶鉢」というものがありますので、猪なんだと思います。人々が狩猟民であった時代は、太陽女神は虎ですので、餌である猪が女神の命を支える、文字通りの「餌」あったわけです。母系の「男」の価値はそんなものー、ということで。

 結論から述べれば、この「二つの目」の起源は、古代中国の長江中流域の新石器時代の城背渓文化(BC7000-6000)の太陽神石刻にまで遡ると思う。これはなにがしかの神人の像が頭の上に太陽を頂いて、腰の辺りに月か星を置いている図像のことである。頭の上に太陽があるから「太陽神の像だろう」と中国の人は言っているらしい。私は違うと思います。何故なら、城背渓文化の時代は母系社会で、かつ稲作が始まっているので、稲の生育に重要な太陽は「女神」でないといけないからです。しかも、この神人の像は腰の辺りに月か星があるので、一種の「宇宙図」であり、むしろ世界と宇宙の土台となった「盤古」の原型であると私は思う。

 だから、太陽女神が一番高い位置にいて、その下に「大黒柱」である「男」がいる、という尖石の人面把手付土器は、太陽神石刻の思想を引き継ぐ土器なのである。図像の構造が同じだから。で、尖石の人面把手付土器には胴体に「蛙の手」のような文様がついているので、太陽女神のトーテムが蛙であったことが示唆されます。ともかく、「女神=蛙」という構図は、仰韶の影響かもしれませんが、長江流域の大渓文化(時代は仰韶とほぼ同じ)にも「蛙の足」を模したと思われる土器の文様があって、仰韶・馬家窯との関連をうかがわせるので、元は「太陽女神=蛙=母系の象徴」だったのだと思います。ただし、縄文文化では月=蛇、であり石棒サマ=男=蛇という思想が入ってきていますので、「月の男神=蛇」という扱いの文様が多いのかなあ、と思います。

 で、おそらく井戸尻の方が、尖石よりも数百年遅いモノなのではないか、と思うわけですが。「目を抱く蛙」が登場します。「蛙」というのは、特に水稲耕作で「死と再生の象徴」になります。なぜなら、冬の間姿を消して、春になるとよみがえる蛙は「生き返り」の象徴だからです。で、蛙は女神の象徴でもあります。北杜の出産土器も、尖石より時代は遅れると思います。要は、「出産土器」が出現し、「目を抱く蛙」が出現すると、蛙は「月の女神=蛙=子供を産む道具」となります。太陽神の地位を「男神」がとってしまうことになる。で、以後、中国でも「蛙の女神=月の女神」扱いとなって、文化は母系から父系へと移ります。

 というわけで、尖石の人面把手付土器が「蛙の太陽女神」を表していたので、数百年後には「蛙の月の女神」が井戸尻に登場して、食料であった猪(豚)が男の太陽神として君臨するようになりました、というか、その「構図」にドン引きする-;。豚はなんでもガツガツ食べますので、まさに「饕餮」では、と思う。祟り神の「乙事主」、そのまんまでは、と思う。

 ということは、「もののけ姫」でいうと、あるがままの狩りの女神の姿で定まった夫を持たず、子供だけがいる狼の母モロが「狩猟民の太陽女神」であり、片腕を失った烏帽子が「3本足の蛙の月の女神」の象徴なんだなあ、と思う。烏帽子は、人の村の長であって、賢く、知恵があって、世間のお偉いさん達とも渡り合うことができる。だけど、男装の女性で、名前からいっても、賢く強く優しくなる前には、売春をやったり、人をだましたり、生きていくために、そういうことをせねばならなかった女性であっただろう、とも想像される。そういう経験があったからこそ、賢く強く優しくなれた、ともいう。だから烏帽子は、彼女が悪いわけではないけれども「陰」の存在である。つまり、「もののけ姫」というのは、人の文明の発展と共に、狩猟民の太陽女神から、女神が蛙の月の女神に変わってしまうことの「象徴」としての物語だし、烏帽子の悲しさは、彼女が自ら賢く強く優しくなろうと努力しなければ、彼女は単なる娼婦、単なる窃盗女で終わってしまうくらい、結局その社会的立場が弱い、ということなのだと思う。モロの方はあるがままの姿で強く賢いのであって、別に彼女がそうなろうと努力してなったわけではない。でも、モロと烏帽子には共通項もある。自らの生活と子供達を守るために、祟り神と化した乙事主とその一族を排除せねばならない。それは結局モロとシシ神の死をも招いて、世界は2度と元には戻らない。モロの娘のサンと呪いの解けたアシタカは、どんな新しい「人間の世界」を作っていくのか、というところで物語は終わる。どんなもこんなも? と思う-;。さっきも「坐王」という名前の乙事主とか弥勒とかを見てきたばっかだし、ってそんな感じがする-;。

 で、歴史民俗資料館。富士見町の民俗資料館かと思ったら、古代中国の鏡とか銅戈とかが、何の説明もなく置いてあって、「どこの地域の資料館?」と思う-;。で、しっかり「良渚の玉」があって、饕餮の目が5連で縦に並んでるものとかがなにげに置いてあって、「これはどうみても意図的でしょ?」と思うー;。尖石の「月の目」が、井戸尻で「太陽の目」に成り上がって、良渚を経て「一神教の絶対的な神の目」にまで上り詰めていく「歴史」がそこにある。だから、尖石では、女神が蛙で太陽だったのに、現代では男神が八ヶ嶽坐王として高いところに君臨し、女神は橋の下に人柱、ということで。資料館には八ヶ岳の修験道の図面もあって、乙事神社に保管してあったものだとあって。木曽の御嶽(おんたけ)ほど有名であからさまではないけれども、八ヶ岳にも坐王と修験道が取り憑いていて、その中心となるのが乙事諏訪神社だったのだ、と資料館を見て悟る。これを理解するための「もののけ姫」だったのですかね、悟るまでに25年もかかって申し訳ない、とむしろそんな感じである。というか、尖石にも饕餮、井戸尻にも本場の饕餮、って絶対に確信犯でしょ? と思う-;。

 で、最後。ともかく、豚(弥勒)ではなく鶏(雷神)を取れ、ってそういうことね、と思う。それ以外は何をか言わんや、である。ともかく大祝・有員の御霊を持って来いと言われたから持っていった、お前の御霊も持って来い、と言われたから持っていった、ってそういうことである。世界には「太陽女神ただ一柱があればそれで良い」と言われても、上山文化ですか? いつの時代の話だ、よくよく原理主義では、ってそんな気しかしない-;。サンとアシタカがどんな世界を作っていくのか、ではなくて、アシタカを神から排除せよ、ってそういう思想では? というわけで、そこから先に思考を進める気になれない-;。世界はもっと「中庸の徳」という言葉を学ぶべき。特にどっかのマザコンの原理主義者は、と正直そう思います-;。そりゃ、私にだって餌は必要だけれどもさあ-;;。

 で、本日の外作業は寒かったので、石片付けのみでした。