本日は行かねばならぬ、と思うので、行くべきところへ行ってきました。小坂観音堂(+神明社)、小坂鎮守神社、若宮神社、下照姫社、鉾持社、魔王天白飯綱神社、寿命稲荷を回ってきました。寿命さんはだるまさんでした。魔王社ってマガツヒか他化自在天(「穢れ」の神)だと思うわけですが。なんで岡谷って「魔王社」とか「天狗社」とか「浦浦島みたいなの」とか多いのですかね、と思う-;。
旅を巡る「オカルト」は前回から始まる・・・。乗鞍の龍脈を松本から諏訪に流した、と思ってたわけです。で、諏訪に行ってみると、湖から龍神の「気」が立ち上ってる気がする。上社へ行くと、境内の中に龍神の気が溢れている、とそう感じたわけです。だけど、帰りに岡谷の町を通ると、なんだかものすごく乾いていて、龍神の気を感じない気がするわけです。空気が乾いているとか、そういうのではなくて、ミイラが乾いている感じ、というか、「黄泉の国は乾いて乾燥していて埃だらけ」と聖書かなんかにそういうイメージがありますが、そういう廃墟のような荒廃した「乾き」を感じるわけで。何か結界が働いていて、龍神の気が町に入ってきていない気がしたわけです。
で、昨夜はテレビで「千と千尋」をやっていて。なんとなく流してはいたわけですが、一番最後のエンドロールで、監督の名前が出てくる絵が妙に心に留まって。それは「青い空に大きな雲が沸き立つ絵」であって。「八雲立つ」という言葉を思い出す。それは出雲を示す絵、ともいえる。で、今朝は朝ご飯を食べながら、年末のJカウントダウンの録画を見ていて。兄さん達に「八ヶ岳が八束水臣津野命のことであるなら、その名前を貰っているのは誰ですか?」と聞かれる気がするわけで。そしてついでに「千と千尋で、千尋のことを「孫」と呼ぶ蜘蛛爺の「蜘蛛」は「雲」とかけてるんじゃないの?」と言われる気がするわけで。八雲の八束水臣津野命かー、と思う。で、セクシー5の「One Love」を聴いていると、嵐の曲のはずなのに、なんだかひいじいさんの歌のように聞こえるわけで、だいたいそのあたりで負けてしまったわけでー;。千尋池のひいじいさんの八束水臣津野命、荻野池のひいじいさんの八束水臣津野命に会いに行かねばならない、それでゆずのお二人と光ちゃんの夢かい! と思うので、親に話して急遽岡谷に行ってくることにしたのでした。
で、小坂観音院その他。神明社と下照姫社他があるわけなので、元は「太陽女神」を祀る場所だったのでは? と思うわけですが。観音院の神明社には、なんかこんな立派な修験道の石碑とか石仏とか見たことない、と思うくらい色々とある-;。刀利天狗とか、魔王とか、「穢れ」系ばっかりいる気がする。諏訪御寮人も「悲劇の人」で呪い属性が高いし、金山彦は覆屋が潰れていて片付けもされておらず、まさに「黄泉の属性まっしぐら」という感じである-;。
魔王天白飯綱神社は、社殿はたいしたことなくて、祠レベルですが、名前が「どんだけー」という感じ。
寿命さんは、釜口水門の近くにあるので、行ってみたくて。兄さん達には「寿命さんは自分では動けないから、取りに行かないといけない」と言われる気がするわけで。行ってみたらだるまさんの姿であって、「自分は自分では動けないけれども、鎮める力は強いよ」と言われる気がするわけで。帰ってきてどういうお稲荷さんなんだろう? と気になって調べてみて。花岡の辺りには、ナマズが湖に住んでいて、花岡に住む龍神がナマズを捕まえるように部下に言ったけれども、逃げられてしまった、という民話があるらしくて。ナマズというのは、要は縄文の女神であり、ハイヌウェレのことで、台湾とか南太平洋に同類項の神話や民話がかなりあるもので。龍神は弥生の神である。で、寿命さんは「とび石」という石の上に社殿があって。これはおそらく、鹿島神宮の「要石」と同じで、水門付近に住む「川の神」を鎮めるための石であり、寿命さんが石の神なんだと思う。石だから、「自分絵は動けない」のね、と思う。
というわけで湖南の神社をせっせと回る。そうしたら、帰りには湖北の方にも「竜神の気」が押し寄せてくるようになった気がするわけで。諏訪・岡谷もあと1歩だと思うのですが、今日は寿命さんで力が尽きました。