22年1月9日

 本日は外出せず、家で作業をしました。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 お裁縫は、セーターのつくろい、ジャケットはポケットのフラップを縫い付けて、糸等の始末、ケープコートは裏地の端の始末です。

 で、朝、YouTubeの動画を見ていたら、たまたま上賀茂神社の動画があったので、それを見ながら、追加で行った方が良い神社の打合せをする。「千と千尋」の宮崎駿監督は、調べたところ富士見町に別荘があったそうで。縄文時代の井戸尻遺跡等に興味があられたらしい。井戸尻とは「縄文農耕論」といって、縄文時代から農耕があった、という説の発祥の地なわけです。祭祀用の土器には仰韶文化の思想を思わせる文様があるそうで。・・・首を狩って柱の上に据える「御柱」の思想の起源もそのあたりにあるのではないの? 半坡ではすでに首を狩って、家の守護とする風習があったはず。(ただし、首は床下に埋めていたそうですが。)そして、黄河文明の思想が入り込んでいるなら、すでに農業も始まっていたはず、と思うわけです。ちなみに「縄文のヴィーナス」で有名な尖石遺跡もけっこう近くにあって。考古学的にではなく「民俗学的」に、「縄文のヴィーナス」を見たら、「芋の女神を祀ってるんだから、農耕は始まっていたはず」と言えるくらいに、日本の民俗学も発展してくれたらいいのになあ、と思いました。宮崎監督にも、そのくらいのことはすぐに分かったはずと思います。民俗学についての造詣がとても深い方だから。

 神々の系譜を紐解くと

出雲では、 八束水臣津野命 と 布帝耳神(ふてみみ)(衣服に関する女神)
という夫婦神がいるわけです。で、その子神に
      赤衾伊努意保須美比古佐倭気命(あかぶすまいぬおおすみひこさわけのみこと) と 天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)
という夫婦神がいます。これは伊農郷の伝承です。おそらく、赤衾伊努意保須美比古佐倭気命というのは、伊農郷の神でもあるし、八束水臣津野命の別名でもあるのだと思います。布帝耳神(ふてみみ)と天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)は、織り姫も兼ねる太陽女神である天照大神の出雲的な原型で、職能によって二つに分けたものと思われます。で、出雲のレベルで楯縫郡にいくと

      阿遅須枳高日子根(賀茂別神と同じ神) と 、天御梶日女命(天甕津日女命の別名)
という夫婦神がいるわけです。要するに、出雲風土記の段階で、天甕津日女命という出雲の太陽女神には「二人の夫」がいるわけです。これは母系社会であれば、通う男が何人いても良いので、そういう文化の名残の神話とも思えますが、現代からみれば「いったいどちらが太陽女神の本当の夫なのか」というそういうやや奇怪な構造といえます。で、ここまでが「出雲風土記」の話。

 記紀神話では、
      阿遅須枳高日子根(賀茂別雷神と同じ神) と 、下照姫
という夫婦神がいます。ということは、下照姫というのは、天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)と同じ女神、といえます。織り姫であり、太陽女神です。下照姫が記紀神話の

      天照大神

になると、定まった夫がいなくなります。これを「処女神」とみるか、母系的に「不特定多数の彼氏がいる女神」とみるかは人それぞれだと思いますが、そんな感じになる。で、諏訪大社では、少なくとも中世では、重要な祭祀の元である「御神渡り」は

      興萩命 と 、下照姫

の夫婦による現象だと考えられていました。ということは、興萩命には2面性があって、出雲的には八束水臣津野命の別名、賀茂的には阿遅須枳高日子根の別名、ということになります。下社は賀茂系なので、当然

      興萩命 = 阿遅須枳高日子根 = 賀茂別雷神 = 火雷神 = 建御雷神

となると思います。上社は出雲系の建御名方富命が主祭神なので

      興萩命 = 建御名方富命 = 八束水臣津野命

となります。建御名方富命の妻神は八坂刀売なので、

      八坂刀売 = 下照姫 = 布帝耳神 = 天甕津日女命 = 天照大神

となります。小坂鎮守神社の辺りは、太陽女神を祀っていた形跡がありますので、上社の領地であれば

      建御名方富命(興萩命) と 天照大神(下照姫、八坂刀売)

を夫婦として扱っていたのだと思います。というか、中世に「下照姫」と述べている、ということは
出雲系か賀茂系の信仰というしかないのです。そもそも。

 で、下社の方では、
      雷神(興萩命) と 天照大神(下照姫、八坂刀売)

を夫婦として扱っていました。要は出雲の、伊農郡と楯縫郡の対立? というか違いがそのまま諏訪に持ち込まれて
上社と下社に分かれたのだと思います。でも、中世以降、「諏訪大社」として一つに纏めるときに、上社も下社も

建御名方富命 と 八坂刀売

に纏めて、出雲でも賀茂でもない独自の神にして、「建御名方富命」が出雲なのか賀茂なのか、ということを
ある意味ごまかすというか、隠してるのだと思いますー;。でも、上社の思想が出雲式、下社の思想が賀茂式である
ということは残されました。だから、下社の

建御名方富命

は、雷神(建御雷神)も同然なわけです。だから、興萩命の開拓地と思われる荻野の地には
近戸という「千鹿頭(上社方面の神)」に通じる名前の神社に建御雷神と天照大神が祀られている。
表面的には上社的に見えて、中身は下社なわけです。

 当然、かくの如き神社を作ったのは、金刺でしょ、長野県の神権は

金刺か、金刺以外がそれしかない

ってローランドみたいな言い草になってしまうくらい金刺まみれである。要は、下社系である。
というか、近戸では

建御雷神と天照大神

ってはっきり正体を現して、

建御名方富命 と 八坂刀売

とごまかしたりもしていないわけで。それは、楯縫郡の楯縫さんとか武居さんとか、そういう方々のご意向ですよねえ?
葛城に住んでいたときには、「終わり」とも名乗られていたようですけれども?
と思う。近戸の困ったところは、出入り口を義仲の怨霊が塞いでいるので、神々が外に出られない、
ということに尽きる。荻野池も同様に戸隠の廃墟等で塞がれている。
要は、神々は「岩戸の外」=「黄泉の国の外」に出られない。

 ということは、結局、下社とは、里宮で、「近戸」こそが「隠された奥宮」ということでよろしい?
と思うわけで。山の神であり、先祖でもある

建御雷神と天照大神

を利用するだけして、お焚き上げで火あぶりにしてませんか? 「ご先祖サマ」が許すと思うかな?
とそんな感じになるわけですが。ということで、下社には行かずとも、近戸に行けば用は足りる、と思う。

 あたくしは「黄泉の国」の廃墟と化した岡谷から賀茂別命をつれださなければならず。
八ヶ岳の封印も解かなければならない。どちらも今しばらくかかり、邪魔はけっこうすごいです。
昨日行っておいて、良かったと思います。

22年1月8日

 本日は行かねばならぬ、と思うので、行くべきところへ行ってきました。小坂観音堂(+神明社)、小坂鎮守神社、若宮神社、下照姫社、鉾持社、魔王天白飯綱神社、寿命稲荷を回ってきました。寿命さんはだるまさんでした。魔王社ってマガツヒか他化自在天(「穢れ」の神)だと思うわけですが。なんで岡谷って「魔王社」とか「天狗社」とか「浦浦島みたいなの」とか多いのですかね、と思う-;。

 旅を巡る「オカルト」は前回から始まる・・・。乗鞍の龍脈を松本から諏訪に流した、と思ってたわけです。で、諏訪に行ってみると、湖から龍神の「気」が立ち上ってる気がする。上社へ行くと、境内の中に龍神の気が溢れている、とそう感じたわけです。だけど、帰りに岡谷の町を通ると、なんだかものすごく乾いていて、龍神の気を感じない気がするわけです。空気が乾いているとか、そういうのではなくて、ミイラが乾いている感じ、というか、「黄泉の国は乾いて乾燥していて埃だらけ」と聖書かなんかにそういうイメージがありますが、そういう廃墟のような荒廃した「乾き」を感じるわけで。何か結界が働いていて、龍神の気が町に入ってきていない気がしたわけです。

 で、昨夜はテレビで「千と千尋」をやっていて。なんとなく流してはいたわけですが、一番最後のエンドロールで、監督の名前が出てくる絵が妙に心に留まって。それは「青い空に大きな雲が沸き立つ絵」であって。「八雲立つ」という言葉を思い出す。それは出雲を示す絵、ともいえる。で、今朝は朝ご飯を食べながら、年末のJカウントダウンの録画を見ていて。兄さん達に「八ヶ岳が八束水臣津野命のことであるなら、その名前を貰っているのは誰ですか?」と聞かれる気がするわけで。そしてついでに「千と千尋で、千尋のことを「孫」と呼ぶ蜘蛛爺の「蜘蛛」は「雲」とかけてるんじゃないの?」と言われる気がするわけで。八雲の八束水臣津野命かー、と思う。で、セクシー5の「One Love」を聴いていると、嵐の曲のはずなのに、なんだかひいじいさんの歌のように聞こえるわけで、だいたいそのあたりで負けてしまったわけでー;。千尋池のひいじいさんの八束水臣津野命、荻野池のひいじいさんの八束水臣津野命に会いに行かねばならない、それでゆずのお二人と光ちゃんの夢かい! と思うので、親に話して急遽岡谷に行ってくることにしたのでした。

 で、小坂観音院その他。神明社と下照姫社他があるわけなので、元は「太陽女神」を祀る場所だったのでは? と思うわけですが。観音院の神明社には、なんかこんな立派な修験道の石碑とか石仏とか見たことない、と思うくらい色々とある-;。刀利天狗とか、魔王とか、「穢れ」系ばっかりいる気がする。諏訪御寮人も「悲劇の人」で呪い属性が高いし、金山彦は覆屋が潰れていて片付けもされておらず、まさに「黄泉の属性まっしぐら」という感じである-;。

 魔王天白飯綱神社は、社殿はたいしたことなくて、祠レベルですが、名前が「どんだけー」という感じ。

 寿命さんは、釜口水門の近くにあるので、行ってみたくて。兄さん達には「寿命さんは自分では動けないから、取りに行かないといけない」と言われる気がするわけで。行ってみたらだるまさんの姿であって、「自分は自分では動けないけれども、鎮める力は強いよ」と言われる気がするわけで。帰ってきてどういうお稲荷さんなんだろう? と気になって調べてみて。花岡の辺りには、ナマズが湖に住んでいて、花岡に住む龍神がナマズを捕まえるように部下に言ったけれども、逃げられてしまった、という民話があるらしくて。ナマズというのは、要は縄文の女神であり、ハイヌウェレのことで、台湾とか南太平洋に同類項の神話や民話がかなりあるもので。龍神は弥生の神である。で、寿命さんは「とび石」という石の上に社殿があって。これはおそらく、鹿島神宮の「要石」と同じで、水門付近に住む「川の神」を鎮めるための石であり、寿命さんが石の神なんだと思う。石だから、「自分絵は動けない」のね、と思う。

 というわけで湖南の神社をせっせと回る。そうしたら、帰りには湖北の方にも「竜神の気」が押し寄せてくるようになった気がするわけで。諏訪・岡谷もあと1歩だと思うのですが、今日は寿命さんで力が尽きました。