本日は買い物に出かけて所用を足してきました。とても寒い日で、外作業はお休みしました。市役所に情報公開の資料を取りに行って。微妙に突っ込みどころはあるので、やるべきことをやりつつ、突っ込みの作業もやりたいと思います。おいおいと。
お裁縫は、セーターの繕い、ジャケットはフラップを前身頃に縫い付け、ケープコートは裏地の端の始末です。
テレビは、昼は昨夜の「夜会」の録画を見ました。
昨夜はなんだか夢を見て。自分がどこかの学校(高校?)の文化祭を見に行く、か、あるいはお手伝いのボランティアに行く、みたいな感じの夢で。ゲストに「ゆず」が来るとかで、「会えるかも?(見れるかも?)」と期待して行ったけれども、行ったのが夜で「もう遅いので彼らは部屋で休んでいます。」と言われて会えず。で、生徒会の役員と一緒に校内の見回りをして。で、いったん家に帰って、「後で迎えに行きます」と言われたのですが、時間になっても迎えが来ないので、こちらからまた出かけようとして。そうしたら、女の人が自転車でやってきて、「迎えに来ました」と言われて、二人乗りでふらふらとしながら出発して。そうしたら、ゆずの兄さん達が出てきて、更に別の場所に案内されて。ちょっとした駐車場みたいなところに連れて行かれて、そこに光ちゃんがいて。で「自転車で迎えに行ったのは俺の姉ちゃんや。」って言われて、「ええー?」となるという夢で。
・・・たぶん、ゆずのお二人が出てくる、ということは諏訪・岡谷。八ヶ岳に関連することなんだろうなー、と思う。わざわざ紅白であれこれ打合せしたわけですし。
それにしても、諏訪・岡谷は、特に「雷神信仰」と「女神信仰」に対して色々と特徴的だと思うわけです。諏訪大社だから、建御名方富命と八坂刀売、と単純に思ったら大間違いだー、と調べれば調べるほど思う。「女神信仰」に関しては、上社の領域を中心に、蓼科の女神・草奈井姫とか、八ヶ岳の女神・多満留姫とか「地元の女神」を諏訪神の系図に取り込んで残した女神が目立つ気がします。彼らは、本当に「縄文の女神」であって良いと思いますし、いわゆる「縄文のヴィーナス」と呼ばれる土偶の女神であると思います。要は「里芋の女神」で、「月の女神」で、「ハイヌウェレ」で、かつ「熊の女神」なのだと思う。本来は人身御供を求める神ですが、縄文の人々は土偶を身代わりにしました。「ひな人形」の起源ともいえると思うのです。・・・たぶん、大陸からやってきた「弥生」の人々は「これは丸っきりギリシャのアルテミス」と思ったと思います。だいたい「エフェソスのアルテミス」くらい知ってたと思う。でなければ「シカト」の図像とかどっから出てきたの、ってそのくらい個人的には思うわけで-;。アルテミスは熊の女神ですが、聖獣は鹿であり、鹿は熊の餌です。それだけでなくて、「ネミの森」にある通り、アルテミスといえば人身御供、と言うくらい血に飢えた神でもあった。熊にとっては、人間も餌の一種だからです。(というか、冬眠、という人間から見て不思議(神秘的)な行動をする熊に対する信仰の起源はものすごく古くて、それはホモ・サピエンス独自のものではないよね? ネアンデルタール人からの借用なんじゃん? と思うわけですが。)で、上社の方は、縄文系の女神を諏訪神の系譜に取り込むことで、縄文系の人々との共存を図っているわけです。
で、これが下社の領域(岡谷)に入ると、早速、小坂鎮守神社に「下照姫」が祭神として出てきます。下照姫はアヂスキタカヒコネの妹と言われ、共に大国主の子神と言われていますが、アヂスキタカヒコネは賀茂系の神社の主祭神で賀茂別雷と「同じ神」とされていますので、出雲と関係あるように見えて、どちらも賀茂系の神なのではないか、と思います。・・・下社の領域に入ると、早速「賀茂」の神々がいるんだなーーー、と思う。で、ひいじいさんが今でも忘れていないと話題の小坂円忠が残した『諏方大明神画詞』には、御神渡りの一つを「佐久新開神社と小坂鎮守神社の祭神が会った跡」と書いてあるそうで。それは、「興萩命と下照姫が夫婦(昔で言うところの妹背)」ということだよねえ? 御神渡りって建御名方富命と八坂刀売ではなかったんだ? と早速そうなる。興萩命は佐久の開拓神ですが、佐久の手前の群馬側では「咲前(さきさき)神社」があり、経津主を祀っています。でも、貫前神社(咲前神社に関連する神社)では、三個の雷斧石に神が降臨したから抜鉾大神(経津主神)を祀ったと言われており、本来は火雷神かタケミカヅチが祭神だったのではないか、と思います。群馬側の荒船神社にはアヂスキタカヒコネが祀られていますし、賀茂別雷の父親は火雷神ですから、群馬側の信仰と併せて、アヂスキタカヒコネ(賀茂別雷(火雷神の分身))=興萩命=下照姫の夫、でよろしいのではないか、と思います。要は下社の領域に入ると、早速、鴨まみれ、とー;。で、火雷神が建御雷神であるとすれば、興萩命=建御雷神でもある、となる。おそらく、古くは、特に下社では「御神渡り」とは、興萩命(建御雷神)と下照姫のことで、建御名方富命は関係していなかったのかも、と思います。でも、上社と下社を一体化して「諏訪大社」とする過程で、下照姫を八坂刀売と改めたのではないか、と思います。一方、上社の方は、出早雄命(出雲の早雄)を建御名方富命に改めたのだと思います。そうすることで、一見すると上社は出雲から切り離され、下社は賀茂から切り離されて、「諏訪」というものができあがったのではないか、と思う。でも、茅野には「四賀」という地名が残っていますので、一番最初に開拓したのは、出雲系の氏族のうちでも、安曇族だったのだと思います。安曇野や荒船山、川中島と同様です。だから、下社の勢力が後からやってきて、あれこれ書き換えたのではないか、と思います。出早雄命は更に遡れば八束水臣津野命で良いと思います。・・・というか、八束水臣津野命の「八ヶ岳」なんじゃないの? と思うわけで。
で、千鹿頭神も火雷神で建御雷神だとすると、諏訪では雷神は、上社系の「千鹿頭神」と、下社系の「興萩命」、全国的には「建御雷神(あるいは火雷神かカグツチ)」という「同じ」神がいることになります。下社系では御神渡りの主役であって、「主神扱い」である。上社系では単なる「犠牲獣(=タンムーズ)扱い」である。タンムーズは当然、神としては身分の低い神になる。一方、多満留姫は縄文の母神と「川と湖の女神」の習合体で、アナーヒターに相当する神とすると、上社で多満留姫、下社で下照姫(変じて八坂刀売)、全国的に天照大神となると思う。上社では八束水臣津野命(変じて建御名方富命)、すなわち天空神であり、水神であるヴァルナとアナーヒターの組み合わせを奉じてる。一方、下社では雷神と女神を組み合わせています。でも、印欧語族の主神である雷神(ときに火神)は大抵「親殺し」であって、親を追放したり、殺したりして頂点に立つ神である。しかも、特にインドでは火神アグニの妻スヴァーハーは神々に捧げられるために火にくべられる「供物」の神格化したものだし、インドにはサティーといって、女神を焼き殺す神話と、未亡人を焼き殺す習慣があったわけで、「女神」が「犠牲(=タンムーズ)扱い」で身分の低い地位に置かれる。言い換えれば、上社は父系の人々(男神)と母系の人々(女神)の共存を目指し、親を殺すような者は身分の低い地位しか与えられない、か神格化されない。下社は父系の人々(男神)が威張って、母系の人々(女神)を身分の低い地位に抑え、身分による差別、女性差別を公然化している。「女性差別」とは、家庭の中で女性が威張っているか否かではなくて、端的には社会的に、女性に財産の所有が認められるか、女性に相続権があるか、ということが主たることとなります。女性には財産権も相続権も認められないから、未亡人は死ぬべき、というのがサティーの思想です。妻の父親の財産は夫が横取りするのが当然とされる。
・・・というわけで、諏訪・岡谷・茅野というのは、特に湖の南側では、茅野と岡谷の境を境として、古代のイラン高原とインドを分けたのと「同じ境界」があるようにしか見えない-;。元は同じ言葉を話して、同じ神を信仰していたはずなのに、持てる思想によって、二つは真っ二つに分かれたまま、どんなに婚姻を繰り返しても決して一つにはならない、と言っているように思えます。でも、上社の方が癖が強くて、八ヶ岳の八束水臣津野命を前面に出しているように見えながら、実際に「ご神体」にしているのは「守屋山(洩矢の神、本来は女神)」であって、本来はこれは「八ヶ岳の里宮」と言ってもいいはずだと思うわけですが、八ヶ岳の「や」の字も言わず。「洩矢の神」を男神のようにして祀らせているけれども、祀らせてきたもの「洩矢の神」の神官(すなわち女神に使える神官)だし、結局やっていることは、「女神信仰」であると思う。下社・金刺氏の系統が、木曽の山の中で祖神である高照姫(下照姫と同じ太陽女神)を、崖下に突き落とす祭祀をやってるのと、ごくごく対照的じゃんーーー、と思うわけで。不思議なことだけれども、ゾロアスターは火を「聖なるもの」とはみなすけれども、神格化はしていない。火の神アグニを神格化しているのはインドの方だけれども、火の神は親を焼き殺す神でもある。まるで、お焚き上げでじいさん・ばあさんを焼き殺す下社の祭祀の如く、であると思う。
というわけで、諏訪へ行ったら、上社か下社のどちらかしか取らないように、と言われる気がするわけで。上社を取れば、事実上の「主祭神」として大切にして貰える、下社を取れば崖下へ突き落とされる、と。「女神」としてはそういうことになるらしいです。「親」に対して失礼なのは、諏訪でも、木曽でも、そして水内郡でも全部、金刺・金刺・金刺なんじゃないの? と思って金刺ノイローゼになりそうな金刺氏がここにいるわけですが-;。下社も摂社・末社に行くのはおkらしいので。少しはそういうこともやらないといけないようです。兄さん達には、「一度にあれもこれもやると負担が大きいので、優先順位をつけて片付けていきましょう。」と言われる気がします。