23年4月14日

 本日はゴミ出しと買い物。長野市内に引っ越してきてだいぶ経ちますが、家の近くの買い物コースがようやくこなれてきた気がします。今月、スマホの100均よりも少しましなレンズを買ったので、空いた時間に少し試し撮りなどをしてみました。

 昨日は工具の整理と土堀りでした。「工具の整理」とは、要は部屋の整理なわけですが、片付けが苦手なので、ほぼ親にやって貰って-;。工具は無事に見つかりました。でも、昨日はWindowsのアップデートがあってパソコンがあまり動きませんでした。

 一昨日は埼玉加茂神社、氷川神社、中山神社、氷川女體神社、女體神社、調神社、足立神社を参拝してきました。大宮の氷川神社は本来氷川神社、中山神社、氷川女體神社の三社で一体のものと言われているそうな。日進町あたりの加茂神社は古社らしくて。富山の下村加茂神社は三つ葉の葵の中に梅花の紋でしたが、こちらは双葉のような葵紋でした。で、元々氷川神社というのは見沼の神(竜神?)を祀るものだったのが、見沼を徳川幕府が干拓したので、現在では元の沼の名残は氷川女體神社の祭祀場の跡の池のみ、ということらしくて。地図の上では、氷川女體神社の近くに大天白神社という神社がみられますので、大宮の「竜神伝説」とは元をただせば、カモカモの人達が持ち込んだ「天白信仰」なのだと思いますし、それが武州的な竜蛇女神信仰だったと思います。その形式は北部の利根川中流域付近の方が色濃く残っているように感じます。氷川系列ではその古い「竜蛇女神信仰」が「奇稲田姫」に置き換わっており、それが更に旦那の須佐之男の方が上位に来るように作り替えられているのだと思います。で、女神信仰から男神信仰優位に移し替える際に、神社の名前も「日川」という縁起の良い暖かい名前から「氷川」に変えてしまったのではないか、と思います。富士山の北麓にも似た感じで「寒川」という寒い名前がありますし、長野市の川中島にも「氷飽」という冷たい名前があって、これらはかつては太陽女神信仰の地だったのだと思います。富士山の「寒川」という地名は聖徳太子が書き換えた、とあるので、たぶん全部縁起の悪い名前に書き換えたのは聖徳太子ではないのか、と今では思う。たぶん、うちのカモカモカモ強盗団のトップがそうしろってゆったんじゃないのかねえ、誰も逆らえなかったところを見るとねぇぇぇぇ? と思うわけですが-;。というわけで、聖徳太子は須佐之男信仰の人であったし、父兄の信奉者でもあったのかと思うわけです。推古天皇とは仲が悪かったんじゃないの? と思うくらいである。

 というわけで、大宮の本来の信仰の主神は、氷川女體神社の竜蛇女神であり、その流れは尾張真清田の母女神信仰、東海の浜松辺りで盛んな「加茂系氏族の母神としての竜蛇女神信仰」の流れに通じる女神であったもの(玉依姫かその母女神に相当する女神)だったのが、奇稲田姫に置き換えられてしまったもの、と思われます。須佐之男は五十猛類の神から信濃金刺氏に系譜が通じるように操作されているから、そもそも須佐之男は出雲系ではなく、加茂系とみるべき神かと思う。足立神社の主神も本来は五十猛だと思われるわけですが、現在では冨士信仰系の神々に置き換えられています。

 でもってウサギで有名な調神社。本来は伊勢神宮の倉庫みたいな神社だった、ということで。伊勢の倉庫の神と言えば稲荷神ですので、本来主神としては稲荷神(倉庫の神)で正しいと思われますし、実際にかつての本殿が稲荷神の宮に宛てられているわけで。色々なことを思わせますが、ともかくウサギといえば「月」のトーテムなのは日本も中国と同じなので。「兎=稲荷神=大宜都比売」と主張したい神社に見える。大宜都比売は須佐之男に殺される女神ですので。「月の女神=稲荷神=殺されて利用される女神」としたいし、それを正当化したいがための神社のようにも思える。富山の放生津八幡宮でもなんかこーゆー構図を見たなー、と思うわけで。加茂系でも上位の思想と思われます。

 というわけで、大宮の氷川関連は、加茂系の上位の女神殺しの思想と、何とか母女神に対する信仰を残そうとする加茂系の第二機能以下との思想の対立とせめぎ合いが強く感じられます。徳川は東海の浜松出身であり、竜蛇女神を信仰する加茂系の氏族の一つ思われますので、なんだかんだいって、見沼の竜神に対する祭祀を頑張って優遇したのは、それが自分たちの母神である太陽女神であるところの嫦娥娘娘への敬意であると知っていたからではないか、と思います。

 で、一方氷川神社の方は明治天皇が優遇してたりしたらしので、明治天皇は須佐之男信仰の人だったのかなあ、と思う。

 ・・・・思う、というかなんというかー;。ぶっちゃけ、富士山の周辺には色々な怨霊がいて、鈍いあたくしでも3人ほどは認識できてた気がするわけです。一人は女性で二人は男性である。で最後にどっかの山で拾ってきたフグちゃんは、完全に正気ではなくなっていて、もう自分が人間であったことも忘れて、フグの姿しかとってないわけ-;。言葉もしゃべらないし-;。で、もう一方、利根川のほとりで出会った長良の大臣は、まあ変なんだけれども、自分が人間であったことも覚えているし、なんとなく人間の姿もとっているし、人の言葉もしゃべるわけで。怒って膨れているだけのフグちゃんに比べればまだよっぽどましなわけで。長良の大臣にはフグちゃんを押さえる力が強い、ということで、要は怨霊を持って怨霊を制する、というかフグちゃんを長良の大臣に預けて、某交通の要所に配置したわけです。というわけで、そこに近づくと頭痛がしますー;。だいたいフグちゃんって生きていた時はどこの誰? ということで。それはなんだか書けない気がするわけですが。富士山の近くには新倉山という山があって、でっかい忠魂の慰霊塔があるわけですが、その裏というか後ろに何故か明治天皇のでっかい銅像があってですねえ? なんで、こーゆーところに明治天皇? と思う。別にフグちゃんを新倉山から拾ってきたなんてことは一切ございません。元はめ・・・・とかなんてめっそうもありませんともさー;。

 で、埼玉からの帰りに千曲川さかきのSAに寄ったら、何故か駐車場に大型のトラックが一杯停まっていて。我が家は普通自動車ですので、小型車のエリアに停めたのですが、気がついたら大型トラックに周囲を囲まれていて。家に帰って親に話したら「威嚇だねえ」と言われました。最近、若い人の中では、女の人が彼氏と別れた後に殺されて、元彼も自殺してしまう、という無理心中みたいな事件が多いと思います。これも威嚇かよ、いい年こいて何してやがる、とか、そういう気は私の中にあるのでしょうかねえ? と思うわけですが。「天岩戸神話」は須佐之男が天照大御神に仕掛けた無理心中なのでしょうか? ふられ男は死にたければ自分だけ死ねば? ってそういう感想しか出て参りませんが-;。

23年4月11日

 本日は買い物のみ。昼間は暑いくらいなのですが、朝晩は冷え込むので温度の調節が大変です。父親の体調はいまいち良くつかみきれません。土曜日(8日)はかなり悪くて、動きも鈍くなって、特に夜は傾眠傾向が出ちゃって、夕飯も食べずに寝まくり、声をかけると眼は覚ますわけですが、すぐに眠ってしまうわけで、JSCの意識レベルII-1(普通の呼びかけで開眼する)くらいである。母親が「これはもう駄目かも」とか言うわけで、誰が見ても普通ではないが?? という感じ。でも、介助すればなんだか食べるので、食べるだけ食べさせて、紙おむつをはかせて、明日の朝にまだこんな状態だったら救急車かなー、と思って寝る。で、起きて「まだ息をしてるかなー?」と思ったら、なんとトイレにも自力で行ってるし、ご飯も普通に食べてる、ということで-;。突発性水頭症というよりは、髄液が発作的に足りなくなる感じなわけですが、これも「自律神経失調症のうち?」と思う。でも症状のない時に医者に行っても確定つかないしさあ?? ということで。機会と経過を伺いたいと思います。

 昨日は富山射水今井神社、殿村神社、放生津八幡宮、草岡神社、下村加茂神社、姉倉比売神社、速星神社x2、白鳥神社、八幡社、富山稲荷神社、熊野神社、鵜坂神社を参拝してきました。射水市から富山市への旅です。放生津八幡宮の曳山・築山って八幡神(応神天皇)と何か関係あるの? な旅-;。

 というか、八幡神に絡めるならば、「越中加茂族で神宮皇后をブリにして、正月にそれを飛騨加茂族で食べる祭り」というのが、むしろぴったりなのではあるまいか、と個人的には思うわけですが、境内には瀬織津姫の像がわざわざあって、「天照大御神の荒魂」ってただし書きがあるくらいだから、「大祖神」の標的は加茂の祖神である太陽女神だと思うわけですが、まあ日本では「天照大御神」って言うよね、と思う。でも、「海の向こうから来る神」であるので、どちらかといえば日本風天照大御神というよりは道教の媽祖(でなきゃカモカモの先祖と思しき塗山氏女か嫦娥娘娘)という風情である。で、海の向こうから神を呼ぶのは良いけれども、飾って片付けて終わりらしい。だいたい、こういう場合は冨士周囲のかぐや姫信仰と同じで、「神を下ろして適当に片付けてしまう」のであって、丹後半島の「役に立った天女を虐めて追い出した」という伝承と同系統にあり、女神は使うだけ使って片付けてしまうのですよう。これは下社のお船祭りに通じる問題であって、「カモはしょうもなーーー」となってしまう一族郎党に共通した5000年来の伝統文化なわけですが、普通は冨士のかぐや姫のように「利用される女神」は「月」になぞらえられることが多く、記紀神話で殺される大宜都比売とかも決して「太陽女神」とは表向きは言われないわけで、一応そうやって天照大御神は表向きは尊重されているように見せかけているわけですが、境内内に露骨に瀬織津姫がいるあたり、かなり「太陽女神」に対する敵意が露骨では??@@ と思う信濃尾張氏、カモカモ団の上の方だよー、と勝手に思ってるあたくしである。で、下ろした神を「手なし」「足なし」「口なし」と呼ぶらしくて。手も足もないのは魚でしょ、魚には口はあってもしゃべれないから、これは「ミザル、イワザル」の猿信仰にも通じる話、とおばちゃんは思う。要は、嫦娥娘娘を里芋ではなくて魚にして片付ける(おそらく食べる)祭りなんだろーなーーー、と勝手に思う-;。

 で、その後に下村加茂神社を参拝する。なんだか自然動物系肥料を大量にお使いになっているのか、う○こくさいんだけど??@@ と思う。で、こちらではブリをさばくお祭りをやられているとか。富山湾といえば、氷見のブリが有名であって、昔はブリは運ばれて飛騨地方の年取りのごちそうだったわけです。女神をブリに替えたあげくに、年神に食わせて豊穣を願うや? 「年取りのブリ」のことはよくよく覚えておいてくれるように、と飛騨のカモカモ団からご注進があった気がするし、松本あたりまでそういう習慣があったはず、と思う。というわけで、丹後半島の「女神いじめ」の伝承が、北陸に蔓延し、それが冨士信仰の「かぐや姫」にまで通じている、ということを発見する。だいたい、カモカモ系の氏族の伝承と思われるし、上の方には阿蘇とか金刺氏とか、もっと上の「信濃の終わり」とかしかいません。加茂の玉依姫の母神は誰かな? ブリかな? それとも馬か牛? と思う、そんな射水文化圏である。

 でもって、富山市呉羽山周辺。呉羽山は古くからの信仰の山でもあるし、出雲式の古墳もあって、古くからの出雲との交流が感じられる。北陸、越後の気比系神社、諏訪神社はその証ともいえる。で、出雲系の影響が強いのではないか、と思われる姉倉比売神社では、「女神がよそからやってきて織物とかを教えてくれた」というような伝承があって、「みんな仲良く暮らしました。」みたいな伝承であって。山陰地方の乙子狭姫の伝承に近い伝承がある。もう、このカオスさというか、加茂系の「女神は殺して食え」という思想と、出雲系の「みんなで仲良く」という思想が混沌としてるし、と思う。この2つは、現代では北陸富山では当たり前のように混在しているけれども、古代から中世にかけての長い間、諏訪では上社と下社としてのあからさまな対立として顕在し、結局下社金刺氏は武力で滅ぼされてしまうわけだから、互いに仲良く相容れてる思想ではないのですよ、昔からー、と思う。というわけで、常に「山の向こう」に松本盆地を感じる富山である。そこで一句

富山とは 木曽と謙信 家持路

ということで。季語がないから川柳かな? と思うわけですが。富山の神社は、木曽義仲が立ち寄った(たまに焼き討ち)、上杉謙信が焼き討ちした、大伴家持が崇敬した、とそのいずれかが備わっている神社が多いです。虎ちゃんこと上杉謙信は新潟では英雄だけれども、富山では「焼き討ち大王」であるー;。

 で、あとはスマホ関連。ともかく、「スマホとはハムサである。」と言われる気がするわけで@@。「ハムサ」とは中東の邪眼よけのお守りであって、「手のひらに目」のお守りである。スマホは、本当は電話機能だけでいいのだけれども、わざわざカメラ(目)がついているのは、ハムサだからでしょ、と言われる気がするわけで@@。ともかく使いこなせるようにならないといけないらしいです。そして、インスタ入れろ、Twitter入れろ、YouTubeを見れるようにしろ、いつでも見たいときに「誰かの顔」が見れるようにしとけ、と言われる気がするわけで@@。家にいるときはスマホでジャニーズの兄さん達の動画をせっせと見ることにしました-;。そして、9日はP様、10日は剛君のお誕生日でした。どうもおめでとうございます<(_ _)>。

 というわけで、老人のQOLの維持と、スマホの取扱と修行の旅で忙しいあたくしでした-;。

23年4月8日

 本日は外作業のみ。朝から曇ってはいたのですが、お昼頃にかなり寒くなって、雨も少しパラつきました。

 昨夜はMステスペシャル、今日の昼は「夜会」の録画を見ました。「夜会」はところどころで美少年の那須君が出ていたような。

23年4月7日

 本日は買い物に出かけて。

 で、どうも父親の体調が良くないようなので、良く見てみたら電気毛布が切ってありましたー;。家族の誰もそんなことしていないのに。かつ昨夜チェックしたときにはちゃんと弱いけど入っていたのに?? と思う。今日は曇りっぽくて昨日ほど暑くないのにこんなことなわけで-;。季節の変わり目は大変です。

 昨夜と今日の昼は「VS魂」の録画を見ました。

23年4月6日

 昨日は山梨新屋山神社、天狗社、天神宮、うさぎ神社、今諏訪神社、八王子神社、冨士御室浅間神社、筒口神社、三魂交通神社、水天宮、白山神社、河口浅間神社他を参拝してきました。富士山周辺の大きな浅間神社はほとんど回りましたし、山梨もこれで締めとなるのではないか、と思います。すっかりお昼を買うのに定番となったスーパーオギノとか大変お世話になったと思います。冨士御室浅間神社は、本来は富士山二合目の神社なのだけれども、今では里宮と本宮が同じ場所にあるそうな。富士山には聖徳太子が甲斐の黒駒に乗って登った、との伝説があるそうですが、聖徳太子と甲斐の黒駒の伝承は善光寺にもありますから、善光寺と冨士信仰につながりがあることが分かります。冨士御室浅間神社でも写真を撮るように言われた気がするし、有意義な旅でした。でもロープウェーは混んでいてすごかったです-;。暇つぶしにスマホのアプリで写真を撮りまくっていました。一眼レフを持っているのに-;。

 本日は姉を小谷医院へ連れて行って。普段使わない車も動かして。姉にスマホの使い方を教えたり、自分でも勉強したり。そんな一日でした。

 昨夜は「ブンブブーン」の録画を見て。今日の昼は「いただきハイジャンプ」、「大病院占拠」の録画を見ました。