23年4月11日

 本日は買い物のみ。昼間は暑いくらいなのですが、朝晩は冷え込むので温度の調節が大変です。父親の体調はいまいち良くつかみきれません。土曜日(8日)はかなり悪くて、動きも鈍くなって、特に夜は傾眠傾向が出ちゃって、夕飯も食べずに寝まくり、声をかけると眼は覚ますわけですが、すぐに眠ってしまうわけで、JSCの意識レベルII-1(普通の呼びかけで開眼する)くらいである。母親が「これはもう駄目かも」とか言うわけで、誰が見ても普通ではないが?? という感じ。でも、介助すればなんだか食べるので、食べるだけ食べさせて、紙おむつをはかせて、明日の朝にまだこんな状態だったら救急車かなー、と思って寝る。で、起きて「まだ息をしてるかなー?」と思ったら、なんとトイレにも自力で行ってるし、ご飯も普通に食べてる、ということで-;。突発性水頭症というよりは、髄液が発作的に足りなくなる感じなわけですが、これも「自律神経失調症のうち?」と思う。でも症状のない時に医者に行っても確定つかないしさあ?? ということで。機会と経過を伺いたいと思います。

 昨日は富山射水今井神社、殿村神社、放生津八幡宮、草岡神社、下村加茂神社、姉倉比売神社、速星神社x2、白鳥神社、八幡社、富山稲荷神社、熊野神社、鵜坂神社を参拝してきました。射水市から富山市への旅です。放生津八幡宮の曳山・築山って八幡神(応神天皇)と何か関係あるの? な旅-;。

 というか、八幡神に絡めるならば、「越中加茂族で神宮皇后をブリにして、正月にそれを飛騨加茂族で食べる祭り」というのが、むしろぴったりなのではあるまいか、と個人的には思うわけですが、境内には瀬織津姫の像がわざわざあって、「天照大御神の荒魂」ってただし書きがあるくらいだから、「大祖神」の標的は加茂の祖神である太陽女神だと思うわけですが、まあ日本では「天照大御神」って言うよね、と思う。でも、「海の向こうから来る神」であるので、どちらかといえば日本風天照大御神というよりは道教の媽祖(でなきゃカモカモの先祖と思しき塗山氏女か嫦娥娘娘)という風情である。で、海の向こうから神を呼ぶのは良いけれども、飾って片付けて終わりらしい。だいたい、こういう場合は冨士周囲のかぐや姫信仰と同じで、「神を下ろして適当に片付けてしまう」のであって、丹後半島の「役に立った天女を虐めて追い出した」という伝承と同系統にあり、女神は使うだけ使って片付けてしまうのですよう。これは下社のお船祭りに通じる問題であって、「カモはしょうもなーーー」となってしまう一族郎党に共通した5000年来の伝統文化なわけですが、普通は冨士のかぐや姫のように「利用される女神」は「月」になぞらえられることが多く、記紀神話で殺される大宜都比売とかも決して「太陽女神」とは表向きは言われないわけで、一応そうやって天照大御神は表向きは尊重されているように見せかけているわけですが、境内内に露骨に瀬織津姫がいるあたり、かなり「太陽女神」に対する敵意が露骨では??@@ と思う信濃尾張氏、カモカモ団の上の方だよー、と勝手に思ってるあたくしである。で、下ろした神を「手なし」「足なし」「口なし」と呼ぶらしくて。手も足もないのは魚でしょ、魚には口はあってもしゃべれないから、これは「ミザル、イワザル」の猿信仰にも通じる話、とおばちゃんは思う。要は、嫦娥娘娘を里芋ではなくて魚にして片付ける(おそらく食べる)祭りなんだろーなーーー、と勝手に思う-;。

 で、その後に下村加茂神社を参拝する。なんだか自然動物系肥料を大量にお使いになっているのか、う○こくさいんだけど??@@ と思う。で、こちらではブリをさばくお祭りをやられているとか。富山湾といえば、氷見のブリが有名であって、昔はブリは運ばれて飛騨地方の年取りのごちそうだったわけです。女神をブリに替えたあげくに、年神に食わせて豊穣を願うや? 「年取りのブリ」のことはよくよく覚えておいてくれるように、と飛騨のカモカモ団からご注進があった気がするし、松本あたりまでそういう習慣があったはず、と思う。というわけで、丹後半島の「女神いじめ」の伝承が、北陸に蔓延し、それが冨士信仰の「かぐや姫」にまで通じている、ということを発見する。だいたい、カモカモ系の氏族の伝承と思われるし、上の方には阿蘇とか金刺氏とか、もっと上の「信濃の終わり」とかしかいません。加茂の玉依姫の母神は誰かな? ブリかな? それとも馬か牛? と思う、そんな射水文化圏である。

 でもって、富山市呉羽山周辺。呉羽山は古くからの信仰の山でもあるし、出雲式の古墳もあって、古くからの出雲との交流が感じられる。北陸、越後の気比系神社、諏訪神社はその証ともいえる。で、出雲系の影響が強いのではないか、と思われる姉倉比売神社では、「女神がよそからやってきて織物とかを教えてくれた」というような伝承があって、「みんな仲良く暮らしました。」みたいな伝承であって。山陰地方の乙子狭姫の伝承に近い伝承がある。もう、このカオスさというか、加茂系の「女神は殺して食え」という思想と、出雲系の「みんなで仲良く」という思想が混沌としてるし、と思う。この2つは、現代では北陸富山では当たり前のように混在しているけれども、古代から中世にかけての長い間、諏訪では上社と下社としてのあからさまな対立として顕在し、結局下社金刺氏は武力で滅ぼされてしまうわけだから、互いに仲良く相容れてる思想ではないのですよ、昔からー、と思う。というわけで、常に「山の向こう」に松本盆地を感じる富山である。そこで一句

富山とは 木曽と謙信 家持路

ということで。季語がないから川柳かな? と思うわけですが。富山の神社は、木曽義仲が立ち寄った(たまに焼き討ち)、上杉謙信が焼き討ちした、大伴家持が崇敬した、とそのいずれかが備わっている神社が多いです。虎ちゃんこと上杉謙信は新潟では英雄だけれども、富山では「焼き討ち大王」であるー;。

 で、あとはスマホ関連。ともかく、「スマホとはハムサである。」と言われる気がするわけで@@。「ハムサ」とは中東の邪眼よけのお守りであって、「手のひらに目」のお守りである。スマホは、本当は電話機能だけでいいのだけれども、わざわざカメラ(目)がついているのは、ハムサだからでしょ、と言われる気がするわけで@@。ともかく使いこなせるようにならないといけないらしいです。そして、インスタ入れろ、Twitter入れろ、YouTubeを見れるようにしろ、いつでも見たいときに「誰かの顔」が見れるようにしとけ、と言われる気がするわけで@@。家にいるときはスマホでジャニーズの兄さん達の動画をせっせと見ることにしました-;。そして、9日はP様、10日は剛君のお誕生日でした。どうもおめでとうございます<(_ _)>。

 というわけで、老人のQOLの維持と、スマホの取扱と修行の旅で忙しいあたくしでした-;。