21年6月24日

 本日も出かける予定があったので、姉と出かけてきました。用向きは多くなかったので、早めに帰ってくることができました。

 外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け、私は土の清掃でした。最近は午後に夕立のような雨が降ることが多いです。

 平安時代中期以後に

武塔天神(ミトラス)=牛頭天王=素盞嗚(すさのお)=薬師如来(本地垂迹)(イエス)

という習合が進む以前、奈良時代に薬師信仰が流行しました。各地の国分寺、国分尼寺で薬師如来が本尊として祀られたそうですから、この場合の薬師如来は病気平癒という本来の役割を越えて、国家平癒(災害除け等)の役割も持っていたことと思われます。時代は聖武天皇から称徳・孝謙天皇にかけて、と思われます。この時代に「八幡神」というものも登場して、応神天皇と習合し、これもあっという間に普及して、「天皇家の祖神」と公式にみなされることになります。孝謙天皇が道鏡と結婚したくて宇佐八幡宮に神託を仰いだのは有名な話です。

 国分寺、国分尼寺の総元締めとも言うべきは、聖武天皇が建立した東大寺だと思います。ところが、東大寺の本尊は薬師如来ではありません。東大寺の本尊は、有名な大仏で、盧舎那仏(るしゃなぶつ)といいます。「宇宙の真理を全ての人に照らし、悟りに導く仏。」と言われているそうです。密教においては大日如来と同一視されるそうです。盧舎那仏(るしゃなぶつ)の起源をゾロアスター教のアフラ・マズダに求める学説もあるそうです。でも、ヒンドゥーの盧舎那仏(るしゃなぶつ)に相当する神は「ヴァイローチャナ」と言って、インドラと対立する神ですので、ゾロアスターに起源を求めるのであれば、「アシャ・ワヒシュタ」の方が相応しいのでは? と思います。ゾロアスターでは「火の守護神」とされ、聖火そのものとも見なされたそうですので、お水取りの行事等には、アシャ・ワヒシュタの方が相応しい気がします。アシャ・ワヒシュタは、アヴェスター語で「最善なる天則」を意味するそうですので、盧舎那仏(るしゃなぶつ)とは「天の法則」を司るような神とみなされていたのかもしれません。要は、この神が国分寺・国分尼寺で祀られていた薬師如来よりも「格上」に置かれていたのだと思うのです。

 インド・イランの神話、そして文化は「善悪の二元論」とか「光と闇の二元論」などと言われがちですが、大雑把に言うと、その大元は彼らの多神教の構成にあります。一方に、大女神アーデティーヤから生まれた、とされるヴァルナ・ミトラを頂点としたアスラ神群と、天の父神ディヤウスと地母神プリティヴィーから生まれたインドラ・アグニ等を要するデーヴァ神群という二つの神々の部族が存在し、アスラ神群とデーヴァ神群が対立しているのです。イランの側ではアスラ神群が「善」とか「光」とされ、デーヴァ神群は「悪」とか「闇」とされます。インドの側では、デーヴァ神群が善、アスラ神群が悪とされて、イラン側の神話と神々の立場が逆になっています。東大寺の盧舎那仏(るしゃなぶつ)の起源がゾロアスターの「善なる神」だとすれば、バラモン教を起源とするインドの側では、逆に「悪い神」となってしまいます。だいたい、仏教の神々はバラモン・ヒンドゥーと共通していることが多いのに、なんで盧舎那仏(るしゃなぶつ)だけゾロアスター? となります。しかも、これも大乗仏教固有の神ですので、意図的に合成された神である可能性もあります。表向きはアスラ神族の悪い神をわざわざ盧舎那仏(るしゃなぶつ)として「宇宙の真理を全ての人に照らし、悟りに導く仏。」と変えてしまうことは、神の意味するところを「逆向き」にしてしまっているのです。本当は、人々にとって「悪い神」であるものを、無理矢理「良い神」である、と言って人々に強引に押しつけているのではないでしょうか。まあ、あれだけの大仏を造って人々を強制的に働かせる事業そのものが、悪神に相応しい所業ともいえなくもありませんが。ゾロアスターの側からいえば、盧舎那仏(るしゃなぶつ)こそがインドラやアグニと対応する神として相応しいと言えるかもしれません。デーヴァの神々は基本的に、階級制と搾取を肯定する神々だからです。

 西欧社会は階級社会と言われますが、彼らの本来の異教の多神教の主神であるユーピテルとかゼウスはディヤウスと同語源ですので、西欧のキリスト教化前の多神教はデーヴァ神群の多神教といえます。別系統のヴァルナ・ミトラに対する信仰そのものは、非常に古い時代に印欧語族の大部分の中で廃れてしまっていたのでした。おそらく、その理由は、ヴァルナ・ミトラは「男と男」の組みあわせであって、自然の摂理からいえば「男と男」からでは子供は生まれないから、とか、そういう単純なものだったのではないか、と想像します。だから、ミトラをプリティヴィーに書き換えて、「男と男」の組みあわせを「男と女」に書き変えてしまったのが、デーヴァ神群の神話だと思うのです。でも、この「書き換え」が良く無かったわけです。おかげで「女」とは「男の一部から作った物」みたいな神話ができあがってしまって、女性はできそこないの男性、みたいになってしまい、女性差別の大きな原動力となりました。古いヴァルナ・ミトラの組みあわせの神々は、イラン高原の印欧語族の間に残り、ゾロアスター教の中で「契約と友愛の神々」として再生されました。スラブ系の人々の間には、ペルーンとヴォーロスという組みあわせで天空神ヴァルナが残されました。ヴォーロスは「大地の神」とされていますが、デーヴァ神群のプリティヴィーとは異なり男性です。これを見るに、印欧語族の古い神々は

天空神ヴァルナ・ミトラ → 天空神ペルーン・大地の男神ヴォーロス → 天空神ディヤウス・地母神プリティヴィー

と作り替えられていったことが分かります。で、その行き着く先に、和製の

天の神イザナギと大地(黄泉)の女神イザナミ

があるわけです。イザナギとイザナミの組みあわせは、元々印欧語族の「女性蔑視」の神話から生まれた神々だから、階級制と女性差別を肯定する神々、ということになるのです。もっと、本質的な「饕餮と蚩尤」のままにしておけば良かったのに、と思うけれども、それではお里がばれてしまうから嫌だったのかもしれません。でも、全部、大元は「饕餮と蚩尤」なのです。女が必要ない、と言うのであれば、それこそ男同士で子供を作れば? と思う。

 ま、それはともかく、「東大寺」です。聖武天皇の娘の孝謙天皇は東大寺に対応して「西大寺」というお寺を造りました。彼女は八幡神を祖神と考えていました。西大寺は創建当時、中心に薬師金堂と弥勒金堂がありました。要は、薬師如来と弥勒菩薩を主に祀る寺だったのではないでしょうか。で、当時の朝廷の家系としては

応神天皇 > 聖武天皇 > 孝謙天皇

という順でした。だから、神仏的には

イザナギ > 八幡神 > 盧舎那仏(東大寺) > 薬師・弥勒(西大寺)

という順列を、これは現していたのではないでしょうか。薬師信仰は、広く普及していたにもかかわらず、薬師の地位はお偉い神々よりも低く抑えられていました。薬師は、身分の低い人達を従わせるための神に過ぎなかったのではないでしょうか。南都七大寺(東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、西大寺、薬師寺、法隆寺)は、この構成を擁護する側だったと思います。こうやって神仏に序列をつけ、人々を搾取することを正当化する道具に使うことを非常に嫌っていた真面目な人物がいました。