21年6月18日 その1

一昨日は再び軽井沢へ出かけて、

県諏訪神社 → 碓氷峠熊野神社 → 熊野皇大神社 → 碓氷峠熊野神社

と行って来て。県諏訪神社の祭神の案内がなかったので、「祭神は建 御名方刀美命。創立年月詳ならず」ということらしくて。「一に須留須宮の稱あり、盖久留須宮の訛言なるべしといふ。」「、『平成祭データ』『明治神社誌料』『小縣郡史』などには、健御名方刀美命一柱となっているが、『全国神社名鑑』には、八坂刀自神と久留須命の名も記されている。」「当社は「するすの宮」とも呼ばれており、この「するす」は「くるす」が訛ったものらしい。」(以上、「」内は「玄松子の記憶」より引用(https://genbu.net/data/sinano/agatasuwa_title.htm)北信の「諏訪神、八坂刀売、彦別神」と同じ構造ですよねえ? と思う。・・・ラテン語で「十字」を「クルス」と言う-;。だから案内板なし? と思うわけですが。

ともかく、こういう信濃の国に特徴的な「三位一体」が、時代が下ると「日本武尊と八幡神」に置き換わっていくのかなあ、と思います。記紀とかの系図的には、

日本武尊 → 仲哀天皇 → 八幡神

なので。「日本武尊・八幡神」と「神功皇后・八幡神」のように、「父と子」あるいは「母と子」の組みあわせにして、信仰の対象にしたのだと思う。

だから「父なる神」は

景行天皇 → 健御名方刀美命 → 日本武尊 → 仲哀天皇

と、ご都合的に作り上げ、その一方で「母なる神」は

八坂入媛命 → 八坂刀売 → 両道入姫命 → 神功皇后

とし、子神は

日本武尊 → 彦別神・久留須 → 仲哀天皇 → 八幡神

としたのだと思う。ここに言う「子神」とは、結局「須佐之男」のことであり「牛頭天皇」であり、「牡牛の神」のことなのだと思う。「牡牛の神」に捧げられるのは「淡島神」という、生贄を神格化したものである。

要は

仲哀天皇 = サートゥルヌス

神宮皇后 = レアー

八幡神 = ユーピテル

淡島神 = イエス・キリスト

というのを、模倣して、これらの神々を合成したのだと思う。八幡神と淡島神は「同じ物」ということにして、適当に使い分けているのだと思う。「父と子」は同じものだって公会議で決まったしねえ? と思う-;。代々、我が子をガツガツと食べる和製のローマ的神々である。だからといって、古代の日本人がローマ教会の信徒だったのか、というとそうではないわけで。これにはもうちょっとからくりがあるわけである。

一方、ちょっと外れるけど、出雲神話には大国主とスクナビコナの国作りの神話があるわけで。この場合、大国主=ヴァルナ(アフラ・マズダ)、スクナビコナ=ミトラ、なので。大国主(ヴァルナ)の仕事を助ける御託の神様が「ミトラ」の名前を欲しがってるのでやってもいいか? と聞かれる気がするわけです。当人が欲しがってるのなら上げても良いです。「信濃の国」という地獄に島流しにされて、居残って仕切るミトラになってもいいのならご自由にどうぞ、と思います。