21年6月13日

 ええと、昨日も外県、しかも下伊那の県境まで出かけたわけで。今回の行程は

麻績神社 → 安布知神社 → 阿智神社里宮・奥宮 → 神坂神社 → 広拯院 → 満蒙開拓記念館

である。で、気になることはいくつもある。

1.麻績神社の淡島神って、そもそもなじみが薄いのですが何者? と思う。しかも、神社の由来に「淡島神」と明確にない。スクナビコナが祭神なのに?? とも思う。
2.阿智神社は東山道の国境沿いに住む古代の阿智族の氏神社といえます。だから、彼らは国境を守る役目の人々でもあったのだと思う。で、諏訪神族を牽制するための天津神の子孫だ、と言われている。じゃ、なんで戸隠に分家するの? と思う。北信は諏訪からは遠いよ??
3.で、国境付近は阿智神社で固めているのに、なんで峠は神坂神社? なんで海神? なんで建御名方富命?? となる。社殿には安曇族の遺跡か? というようなことが書いてある。・・・峠に来たら阿智族はどこへ行った?? と思う@@。
4.阿智族は、一般的には渡来人である阿知使主(あちのおみ)が始祖であると言われている。なのに、なんで信濃の阿智族だけは、八意思兼神(やごころおもいのかねのかみ)という天岩戸伝説に関連のある神が祖神と言われていて、阿智族の本体からは繋がりが不明にされて、意図的に切り離されている感がある。それはなんで? と思う。
5.そして、まだ行ってないけど、駒ヶ根の大御食神社は、阿智神社の最下流(天竜川の)の里宮ともいえる神社なわけですが、延喜式から外され、社伝があるにもかかわらず「偽書」扱いされて明治後の社格も郷社に留まり、なんでここだけ冷遇されてるの?? と思う。しかも、大事な社伝をなんで「あひる文字」で残したの? と思う-;。

 淡島神については、要は「役に立たない者を島流し(処刑)にする神」と言われる気がするわけで@@。それはイザナギとイザナミが役に立たない子だった蛭子と淡島を葦舟に乗せて流した、という故事にちなむ。もちろん、その古層には「初子を殺して食べてしまう」という漁撈民の習慣がある。それは、単なる食料というだけでなく、初子を神々に捧げることで、その後の子達の繁栄や安泰を求める、という思想でもある。だから、「処刑する」ということは、そもそも「それ以外の人々の繁栄や安泰を求める」という呪術でもある。人柱とか生贄とかである。だから、「淡島神」とは犠牲者のことでもあるし、そうやって人を殺すことを正当化する神でもある、と言われる気がするわけで。よって、淡島神の呪術とは、「生かして置いたら人を殺すしか能のないような悪人を死刑にすること」は正法であり、普通の人をちょっとした罪で死刑にしたり、冤罪で死刑にしたり、「お前は役に立たない奴だ」と言いがかりをつけて殺してしまうことは邪法である、と言われる気がするわけで@@。人を殺すのに正法とか邪法とかあるの? と思うけれども、死刑も必要な場合はあるかもしれないわけで、そういうのは「正法」というらしいです。そして、「海神」というものは「境界の神」でもあるわけです。上筒は地上に近い所、中筒は海中、底筒は海の底(あるいは海の向こう)の常世の国、であるわけで。個人的には、国境に海神を祀るのは、海があるとか海洋民族であるとか、そういうことは関係なく、海神に国境を守らせよう、という思想であると思います。特に日本では、古来より海が国を守るのに大きな役割を果たしているわけだから。だから、淡島神と海神を組み合わせると、島流しをして、海神が生きるべきとした人はどこかに流れ着いて生きるし、死ぬべきとした人は死ぬ、と、そういう思想ですよ、と言われる気がするわけで@@。

 特に平安時代は政治の上層部が仏教徒で、表向き・公には死刑が禁止されていたので、空舟(うつほふね、帆のない舟)に乗せて罪人を流す、という習慣がありました。そういうことは今昔を読んでしっているでしょう? と言われる気がするわけで-;。

 今昔には淡島の呪法と関連すると思われる話が2つある。一つは、盗賊の恋人を持つ女の人の話である。ある時、ささいなことで恋人を怒らせてしまい、それ以来なんだか恋人をとても恐ろしく感じて、逃げ出すチャンスを覗っていて、ある時、「用を足す」と言って裸のまま逃げ出したら、たまたま狩りをしていた貴族に助けて貰って、恋人の方は捕まって殺されてしまった、という話である。

 もう一つは、東国の豪族が、ある時港に舟が流れ着いたので調べたら、中に両腕を切りおとされた女の人がいて、助け出して事情を聞いたところ、彼女は都で貴族の屋敷で働いていたが、ささいなことで主人を怒らせてしまい、怒った主人に腕を切りおとされて舟に乗せられ、流されてしまった、と話した、という話である。腕のある人の腕をわざわざ切りおとすのは、蛭子や淡島にちなんだ「邪法」なんじゃないの? と思う。

 そして、平安時代の貴族の中には、わざと身寄りのない女性を家で雇って働かせて、何らかの呪術の生贄に使ってしまうことがあった、ってどこかで読んだ気がする。後で問題にならないように、身寄りのない人を雇うのである。結局説話にいくつも関連する話が残っているくらいだから、平安頃には「淡島の呪法」、特に「邪法」の方がけっこうな頻度で行われていたのではないか、と思うわけですが。表向きは仏教徒だから、死刑制度は廃止だったそうで。なんだか、現代社会みたい、表向きは人権、人権って騒ぐけど、いじめやいやがらせで自殺する人は後を絶たない、と思う。

 というわけで、下伊那の衆へと思いは移る。大塔合戦の時は、下伊那から従軍した人々は、大塔の古城へ追い込まれて、守護に見捨てられ非業の死を遂げた。時代は下って、阿智村の開拓団は、終戦前3ヶ月の昭和20年5月に、満州東北部の国境地帯へ追いやられて、戦後戻ってきた人達は1/4だった。もう国は負けるって分かってただろうに、まさに「島流し」の所業である。なんで、下伊那の人々ばかりがそういう扱いを受けるのか? と思う。記念館を熱心に見ていたら、「どなたかお家の方が満州に行かれてるの?」と地元のご婦人に聞かれて。まさか、「終戦の1ヶ月前に開拓団を見捨てて一人だけのうのうと内地に逃げ帰ってきた伯母がいます。」とは言えないので、「うちは特にいません。」と上辺では答えておきましたが。帰る時に「あなたは先代のようにはなるな。」と言われた気がする。・・・どうだろう? 私も追い込まれれば、先代のようにはなるかもしれない、と思う。でも、自分のせいで何百万という人が死んでるのに、例え心の内だけに留めておくとしても、人々に対して憐憫の情や贖罪の気持ちが一欠片も持てないようでは、あんまり過ぎでしょ。せめて、心の内だけでも、詫びる気持ちは持って当然でしょ、と思う;。

 そして、結局「柳田」を思うわけだけれども、柳田は「生贄にするための鹿は、あらかじめ耳を切りおとして、他の鹿と聖別し、生きていても神とみなす習慣があった」と述べる。伊那地方は、「外県(そとあがた)」と呼ばれていたそうだけれども、「外県」の特に阿智族は、わざわざ境界神である「八意思兼神」の子孫として聖別され、「境界を守るための生贄」となる予定の存在なのか? そのための聖別で、他の阿智族の本隊とは分断されているのか? とふと思う。だから、あたくしの一族の本拠地に祀られてるのは、生贄の神サマである淡島神?? 住人は全部、家畜で、淡島神(生贄)で、操り人形っていうか、そういう呪術?? となんとなく、どうしても思ってしまう。というか、それが代々の信濃国造の国を造る方針だった? と思ってしまう-;。水内郡と善光寺平は「王族の王国」であって、電気屋さんの小僧さんですら王族なので。外県のような、ああいう世界は私は今まで知らなかった、と思う。まあ、あたくしの方針はそういうことではないので。神坂峠を始めとした、熱田や他の地域へ抜ける道は、神でも人でも生贄でも霊でも、そういうもので厳重に見張る必要はない、と思う。人々はもっと自由に交通できて然るべきです。境界神である「八意思兼神」とその子孫は、その役目を正式に解く、としか言えない。大変ではあっても、今後は能力に応じて、自由に仕官の道を選ぶなどして、人として生きていかれるように、と思います。そして、大塔合戦や満蒙開拓団のような悲劇が2度と繰り返されないように、と願います。

 でもって、あとはオプションとして、誰かさんから、「例えば、皇帝や王が即位する際に、凶悪犯の死刑等をむしろ勧めて、彼らを生贄にして統治の安寧を求めることは、是としますか? 否としますか?」と聞かれる気がするわけで-;。相手が誰であれ、誰かを生贄にする、ということが引っ掛かる気がしないでもないですが。でも、「心の内にひっかかるものがあっても、それはその他の人々の安寧のために「是」と答えて下さい。」と勧める人達が多い気がするので、「是」としておく、と思います。だいたい、表向きの一応正当な死刑制度だけ廃止しても、いじめや嫌がらせによる自殺とかがなくならない限り、淡島神の呪法は邪法ばかりがはびこって、正法が失われることにもなりかねないので。そのために、「何が正法なのか」ということをはっきりさせておくことは大切なことだと思います。

 だいたい、どうも昔、仕事を教えても貰えないで、「仕事ができない」って嫌がらせされて、うんざりして、まるで裸で逃げ出した今昔の女性の故事のように、身一つで逃げ出したことがある記憶があるので。「仕事を教えないでおいて、「お前は仕事ができない役立たずだ」と言う」というのは、標的を潰すための「淡島神の邪法」だよねえ? と思う。例えば、「○○年に地球は滅びる」とかって言いふらして、人々に「滅亡しないためには高貴な生贄を捧げる必要がある」と言い含めて、「淡島神の邪法」に協力させる。それで邪法がうまくいかなかったら、次はどうする? ってそれが問題である。どうするもこうするも、呪いをかける方は「絶対に諦めるもんか」ってそういう性格である-;。なんか、この間Mステを見てても、そんなこと言われた気がするわけですが-;。

 というわけで、天台の古刹のはずの広拯院・・・・・。ここでもオカルトな体験はしたわけで。行く前に園原社に寄ったわけです。そうしたら、「伝教大師の生まれ変わりが誰か忘れないように」って言って、私の知っている「か」のつく名前の人の顔の絵が送られてくる気がするわけで@@。「うへえ」と思って広拯院へ行ったら、でっかい最澄(伝教大師)の像がどーんとあって、更に「うへえ」と思う;。で、ご本尊は薬師様なんだけど、拝んで堂内へ入ったら妙見菩薩がいる。「拝んで」って言われたので拝んだから「学生時代に妙なことばっかり行ってた妙なのが妙見菩薩」と言われる気がするわけで@@。・・・・妙見菩薩は、北極星の化身と言われているから、これも一種の境界神というか、旅人の安寧を守る神様でもあると思う。元は戸隠にあって、廃仏毀釈で飯山に移って、そこから更に移したものってあったので、やっぱり境界(戸隠は山そのものがアマテラスが隠れた世界と現世との境界である)の神として使われているんだよねえ? と思う。逆に言えば、阿智から戸隠に境界神が移されたのも、神々の境界である戸隠に対するなにがしかの呪術だよねえ? と思う。で、とどめは納骨堂・・・。何故か善光寺如来がいる@@。「善光寺如来の写し」と言わず、「善光寺如来」って言ってるところがミソであると思う。阿弥陀仏で、極楽浄土の神様だから、納骨堂にいても変ではないと思うよ? でも、善光寺如来と言ったら、阿弥陀で八幡じゃん? 私の知ってる「ほ」のつく名前の人じゃん? 伝教大師と八幡って、私が知ってる気がするどっかの中検のカルチャーセンターなんすかね、ここは??;; ってそんな気がしてならない-;。というか、なんで地の果ての下伊那で、そんな連中と顔を突き合わせなければいけないのか? これこそが浮世の不条理だーーー、と思う;。

 ということで、1999年の呪いで呪殺がうまくいかなかったんで、今度は国境を閉じて、信濃国に封印して殺す呪法を新しく2000年から始めたんでしょ。でも、最澄のかける呪法は雑だから、普通にあちこちお参りしてれば返せるでしょ、と密教のエキスパートに言われる気がするわけで@@。いくら閉じ込める呪いをかけても、峠を治めてるのは仏ではなく神様だから、神様の方と話をつければ峠は開放せざるを得ないものですし。善光寺如来の魂は、年神堂にあってあなたが押さえ込んでいるから、魂のない「形」にその魂を吹き込めば如来は、魂を支配している者に従うしかないでしょ、と言われる気がするわけで@@。「今回は冥界行きはないって言ってたでしょ-」と思うわけですが。でも、「淡島神は冥界神としては中途半端な神様なんですよ。誰を殺して誰を生かすのか、を決めるのには結局生きている人間の意思が関わるので、淡島神そのものは「冥界の神」ではなくて、生きた人の意思を繁栄する生きた神なのです。だから、淡島神やその関連する呪術に会うのに、純粋な冥界まで行く必要はないのです。峠の封印に使う死霊も必ずしも「非業の死」を遂げたものではないので、効力はあまり強くないですし。そういうところが、最澄の呪法の雑なところ。」と言われる気がするわけで@@。

 ・・・・呪法が雑でもあきらめが悪いのは困る、と思う。というわけで、今回の旅は、基本的には天竜川を遡って諏訪に侵入した、と言われる諏訪神の足跡を辿りながら、信濃国を再平定する旅であるような気がするわけですが。でも、先代も含めて、先祖代々の所業に関して、鎮魂と贖罪の旅でもあるのだな、と思ったのでした<(_ _)>。