21年6月10日

 外作業は、母は土の埋め戻し、石片付け等、と姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃をしました。

 テレビは、昨夜は「いただきハイジャンプ」と「バズリズム」の録画を見て、昼は「バズリズム」の録画の続きを見ました。夜は「VS魂」を見ました。

 どうも、最近、色々と田舎のどさ回りをさせられる気がするので、夜はなにげに「大塔物語」のことを調べました。何故なら、大塔の古要害で命を失ったのは南信の豪族が多いからです。で、結局「大塔合戦」とは、単なる守護と国人の争いではなく、国人側の盟主は信濃村上氏であり、その同盟者として諏訪大社上社があり、対する守護の小笠原氏は甲斐武田氏の同族で有り、従軍した南信の豪族達にも同族が多く、その同盟者として諏訪大社下社金刺氏がいるわけで。鎌倉初期の頼朝対義経の構図と同様で、ここでも上社対下社の対立があるわけです。で、小笠原氏の同族である坂西氏の拠点にある「郊戸八幡宮」には鹿島社があり、鎌倉幕府北条氏の同族が拠点にしていたところにある鳩ヶ嶺八幡宮には鹿島社がない。諏訪大社にも上社には鹿島社がないけれども、下社秋宮にはある、とそういう解釈で良い?? と思うわけで-;。鹿島社は「金刺氏」の霊剣、武力の象徴である、とそういうことなのでしょうか。ちなみに近戸皇大神社にも鹿島の神は祀られています。まあ、それは当然といえるのかもしれませんがー;。

21年6月9日

 本日は定例のお出かけの日だったので、ゴミを出しに行って、郵便局に行って、買物をして帰って来ました。今日はとても暑くて、頭がぼーっとしてしまってけっこうきつかったです。まるで夏のようでした。

 外作業は、母と姉は家の北側の風呂配管周囲の埋め戻しと石片付け、私は石運びを少し手伝って、あとは土の清掃をしました。

 テレビは、昨夜は「News Zero」の録画の続きを見て、昼は昨夜の「ブンブブーン」の録画を見ました。
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 今までに基礎の下などから出土したゴミの数々。

21年6月8日おまけ

 そして、今日は行きがけに買った週刊誌の表紙が廉君であったので。旅のお供は廉君だったのでした。

 それから、メグとヘンリー君の所に女の子が生まれたそうです。リーちゃん、お誕生おめでとう。6月の薔薇、3の姫ですな。

21年6月8日

 本日は松本に出かけて、惣社と四柱神社とカエル大明神を回って帰って来て。町は昔と比べて変わっているところもあるし、変わっていないところもあって。そして、惣社も四柱神社も行ったことがなくて。縄手あたりは良く買物に出かけたけれども、昔からあんなにカエルカエルしい感じだったっけ? と思う。私が気が付かなかっただけだろうか?? と思う。

 家に帰ってから、午後は外作業を少しして。午前中姉が配水管の下のイザナミサマを取り出しておいてくれたので、午後、母親が埋め戻しを始めて、私も少しだけ手伝って。

 国府について。上田に国分寺・国分尼寺の跡があるので、元々国府は上田にあったものだと思っていたわけです。で、この間行った時にも総社である科野大宮社が上田にあるので、当然総社は国府の近くにあるものだと思っていて。で、科野大宮社には「平安時代初期に総社は松本に移された」とあったわけです。総社の神文は梶の葉でしたが、祭神は大国主でした。で、「ここはほとんど空っぽで、しかも現在の県庁は長野にあるのだから、松本の総社に参拝して、総社を長野に移さなければいけない。」と言われる気がするわけで@@。「どこに移すのですかね?」と思うと、「県庁の近くに大国主を祀る神社があるでしょ。あそこは行きつけだし、県政の中心に近い所だし、うってつけですよ。」と言われる気がするわけで。というわけで、上田に行ってから1週間以内に松本の総社に参って、その後大国主神社に参ることになって。それは急ぎなので、今日行ってきたわけです。

 松本の総社は伊和神社といって、主祭神はやはり大国主です。で、行ってみたら神社の看板が外されていて、鳥居の横に置かれていて@@。今年の2月に、危険なので外したらしいです。で、看板には「桓武天皇の時代に国府を上田から松本に移して、総社を創建した。」とあって。・・・桓武天皇って最近よく聞く名前だー、と思う。要するに国府を移したときに、総社も移したってことですよねえ? と思う。

 で、長野に戻ってきて、行きつけの大国主神社に行って看板を読んでみたら、「ここに近い後町は鎌倉時代に信濃国庁のあったところでこの大国神社は国庁関係の神社か。」と書いてあって@@。家に帰って調べてみたら、鎌倉時代初期に国府は長野に移されたらしい。後町とは、今の県庁の北東隣あたりの町です。後町の南の県町に行きつけの大国主神社はあるわけで。お守りも持っているわけですが。ここの神紋は亀甲紋に剣花菱で出雲大社と同じ紋である。で、ここが政庁に関係する神社だった、ということは、結局、ここが元は国府に伴って移された「総社」なんじゃないの? と思う。1つ諏訪梶と八坂刀売&建御名方富命が溢れる長野市界隈の神社達の中で、なんでここだけ亀甲紋に剣花菱? なんでここだけ大国主? とは以前から思ってたわけですが。

 文献上の記録では、信濃国国府は松本ということになっていて、上田は「状況からたぶんあったと思われる」けれども、どこに国府があったのか、とか全然記録がなくて分かっていないらしいです。でも、多分

奈良時代・上田 → 平安時代・松本 → 鎌倉時代・長野

と国府と総社は転々としていて、その後室町時代初期に戦火で焼かれて、再建されることなく、武士の時代へと移ってしまったらしいです。・・・ということは、県庁が総社の近くにあることは、決して偶然ではないですよねえ? と思う。そして、信濃国一宮の主祭神は建御名方富命であるにもかかわらず、総社の主祭神は本家筋の大国主であることが通例であるらしい。すなわち、国司、今で言う「県知事」は出雲系の王族が大国主の俗世での代理人として赴任することが正しい、ということ?? と思う-;。あたくしはシャーマンなので、俗世のことではなく、神サマのことに関わらないといけないらしいです。・・・業平さんは最初から、どこが本当の「総社」なのか知ってたんだ? と思う。相変わらず、すごいなー、と思ったのでした。
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 母なるイザナミと父なるイザナギの「ゴミ相」ですなー;。鉄筋は測ったら約65cmでした。風呂の配水管下より出土。

21年6月7日

 本日は両親を小谷医院に連れて行きました。検査もちゃんとやって貰って、まずまずだったと思います。これでやっと家族全員小谷医院の方に引き出すことができました。(でも、最新の「サンデー毎日」がなかったような・・・。)どうも、緊張したのかもしれませんが、じいさんの血圧が高かったので、家でもしっかり測ってみたいと思います。で、その後石捨てに行ったり、買物をしたりしたので、午前中は外作業はできませんでした。

 外作業は私と母親は午後のみで、風呂の配管の下に埋まっているゴミを掘りました。風呂の配管は家の中で最大に水が出入りするところですし、その「下」というのは、要は「井戸の下」ということで「黄泉の国」ということですよねえ? と思う。午後1時間ちょっとくらいの作業でしたが、母と姉と私と3人で掘って、八幡の鉄筋であるところのイザナギの死体は掘り出しました。正確にはまだ測っていませんが、80cmくらいあったかも-;。

 テレビの方は、昨夜は「ニノさん」「A studio+」の録画他、今日の昼は「食宝ゲットゥーン」の録画を見ました。

 で、先日「駒形嶽駒弓神社」のお守りを売っている店を見かけて、「買うように」と言われたので買って貰って。実は佐久に行くときに「持って行くように」と言われた気がするのですが、時間的に間に合わなかったので「代替として生島足島神社のお守りを買っていくように」と言われていて。どうやら「その2つは同じ物だから」と言われる気がするわけです。だいたい須々岐水神社祝神社に建五百建命が祀られていて、松代の祝神社に生魂神が祀られているのだから、建五百建命と生魂神は同じもの。大阪では生国魂と書いて「いくたま」と読むのだから生魂神と生国魂神も同じもの。生国魂神社に生島大神が祀られているのだから、生国魂神と生島大神とは同じもの。生島大神は「万物を生み育て生命力を与える神」で、これは伊邪那岐のことです。だから、

伊邪那岐、生島大神、生国魂神、生魂神、建五百建命

は同じものです。それに対応して

伊弉冉(イザナミ)、足島大神、咲国魂神、足魂神、会津比売

も同じものです。「生魂神が霊魂を活動せしめ、足魂神が霊魂を充足せしめる神」ということで、男(生魂神)が魂(生命力)を与え、女(足魂神)が肉体を生み出す、という思想です。それを拡大解釈して、国土を産み出したのがイザナミ、そこに魂を与えたのがイザナギということです。政治の形態や機能をこの国に持ち込んだ者こそが、イザナギということですよ、と言われる気がするわけで@@。政治の形態や機能(魂)がなければ、土地はあっても「国」はないのです、と言われる気がするわけで@@。昔は、足魂神は咲魂神と呼ばれたのです。「咲」は「開」と同じで、開ける、とか始める、と同じような意味です。「咲魂」の「佐久」ですよ? 信濃国が開けて始まった土地、という意味です。そこは国産みの女神の名前を貰った土地です。だからイザナミ、イザナギを祀る熊野神社が点在し、イザナミを祀る神社があるんじゃないのですかね? そういう「はじまりの地」が「黄泉の国」じゃ困るんですけど? と言われる気がするわけで@@。

 だけど、政庁が上田に移ると、政治の中心には生魂神、足魂神を隠すように建御名方富命と八坂刀売が前面に出て来ます。でも、境界系の神の名残で事代主がそこに加わっているのです。事代主の別名である事解男はイザナギとイザナミの子神で、境界神です。生島足島神社に境界神である祓戸の十三神が祀られているのは、彼らがイザナギとイザナミの子供(すなわち生島と足島の子神)であり、両神を結びつける神でもあるからです。だから境界神である事代主が生島足島の代わりに祀られるようになります。東信は国が始まった地であり、イザナミとイザナギの境界の地でもある、という意味です。佐久はイザナミの側の土地、上田は境界、屋代はイザナギ側の土地、といえます。でも「会津」という地名もあります。「会津」とは「2者が出会った地」という意味で、古くはイザナミとイザナギが出会った地、ということだったと思われます。でも時代が下ると、それが建五百建命と妻・会津比売の親である建御名方富命の2つに置き換えられて、須々岐水神社には、イザナギである建五百建命、舅の父である大国主、息子の事代主が祀られることになります。イザナミとか会津姫は、「イザナミが死んで離婚」ということで、須々岐水神社(現世)からは排除されています。

  で、川を渡って善光寺平に入ると、「独身となったイザナギ」は「八幡神」に名前を変えて、今では君臨しています。でも、八幡神が作り出される前の古い時代にはそれは「彦別神」という名前でした。「彦別神」とは、諏訪神に似ていて、「諏訪系」を前面に出して隠れ蓑にしているイザナギのことです。犀川水系の「水内の神」と習合し、乗っ取るために作られた神です。東信で生島足島が諏訪神を前面に出して隠れ蓑にしているのと同じ構造です。だから、生島神もイザナギだし、彦別神もイザナギです。なので、駒形嶽駒弓神社の神も、生島足島神社の神も、「諏訪系」を隠れ蓑にしたイザナギなのです。「同じもの」とはそういうことですよ、と言われる気がするわけで-;。

 我は、イザナギと一体となって、黄泉の国の底にイザナミを連れ出しに行ったらしいです。事解男は「事物を明らかにし事態を収拾させる神とも、魔を祓う神とも言われている」らしいです。仲良くしてると「魔を祓う」ことの役に立つらしいです。でも、老害なじいさん達には「スサノオの方が成績が良かったのに-」と言われる気がします-;。そして色んな関係者は、私と事解男の仲がよろしくない、ということに少々衝撃も受けているらしい-;。ご宣託を受けると「てめえは空調の効いた所で気楽に医者なんかやってるくせに」とののしるあたくしと、私のことを「よくよくどうしようもなく察しの悪いニブい女」と思ってる事解男である-;。相性は悪いと思います-;。でも、悪霊払いは大事ですので、ビジネス的に仲良くしてるのです。そして今日は、なんだかうれしそうだった小谷の姉さんと、すごくうれしそうだったお守り屋のおばさんと、後は黒い服(特にズボン)ばっかり着ている通行人の集団がとても印象的だったのでした。