本日の日誌

ともかく甲13までたどり着いた。もう20頁になっちゃったので、あとは木が腐ることを書いて、地中障害物の量とか、分布を書いたら30軽く超えそうである。まあ、そこまで行かないように努力はしてみる(棒読み)。細かいことは2頁くらいで片付く。地盤の状況も書かないとならんし。木くず2頁、状況2頁、量に2頁、分布に3頁くらいでいくかね?(笑)みたいな感じ。まあ、そんなにかからないでしょ。

で、お外組はいつもの通りであって。

で、昼は「仰天ニュース」を見て、夜は「VS嵐」を見て。

親と「唐古・纏向」の話をするわけですが、よくよく考えてみるに、私は普通の考古学とかにあんまり興味がなくて、「宗教史学」とか「民俗史学」というようなものにしか興味がないらしい-;。唐古で西王母信仰があって、纏向で祭祀に使われた桃の実が出てくるのに、何故古事記の中で桃がイザナギのアイテムに変貌して、西王母信仰がそのまま後世に受け継がれなかったのか、ということに興味があるのである。そして、高句麗には「太陽の中に烏(八咫烏)」の図像があるし、紀州には八咫烏の伝承があって、高句麗と日本の古代文化には連続性があるのに、唐古にそのような「北東アジア的」な要素がない点も興味深いと感じる。唐古の方がずっと「中国的」なのである。しかも「首だけの龍神」なんて噴飯モノである。古代中国では「先祖の死霊に願いを叶えてもらうために生け贄を捧げた」から、「生首」信仰は生け贄を肯定する信仰である。しかも、「豚の死霊の太陽神」は、本来の「虎の太陽神を殺して食い尽くした太陽神」であるので。それは殺すだけの神である。人々は殺されないために、彼に生け贄を捧げる。「殺されたくなかったら金を払え」じゃなきゃ「言うことを聞け」ってそういう神サマだからー;。恐喝でしょー;。

で、色々と調べていたときに、高句麗の初期の壁画とか見て、「太陽を掲げて支えて飛ぶ神人」の図像を見つけた。太陽自身が鳥であっては駄目なわけです。太陽女神を支えて飛ぶ男性神の図像こそが、ヒッタイト以来の「連合と融和」の象徴の図像だから。それを見て、KinKi-Kidsの「ボクの背中には羽根がある」という歌を思い出して。富の王家は私と7番目の兄さんに、そのようにあれと望むだろう、と思う。彼らのヘバトとテシュブのように。そういうことは図像に残っているものなので。それで、私は学者の「書いたこと」はあんまりまじめに読まないわけです。昔の人の考えていたことは、彼らの残した図像から直接読むのが一番だからです。