22年9月24日

 本日は岐阜・愛知にお出掛け、ということで、飛騨、美濃、尾張はこれにて一旦締めます。よほど重要な神社が見つからない限り、しばらくは行かないこととなります。尾張でも美濃でも南信でもあちこちで「さよなら」の挨拶をして帰ってきましたし。

 で、最近、神話・伝承における「親殺し」ということをずっと悩んでいたからです。それは、諏訪大社下社で、爺婆を焼き殺す「お船祭り」という祭祀をやってるからで、これは民間に下ると、長野県の特に北信ではポピュラーな「どんど焼き」というお正月にやる行事になります。昼間やるキャンプファイヤーみたいな? 燃やすものを組んで、書き初めとかお餅とか焼いて食べる行事なわけです。地域とか小学校とかでやっているはず。私の子供の頃は小学校でやっていました。母親の子供の頃は「爺の山」と「婆の山」の2つを組んでやってた、と聞いた気がします。なんでこんなやばい行事がまかり通るのか? と思う。親と一緒に餅を焼いて食べるのですかね? シュールが過ぎる;、と思う。

 で、あちこち回っていると「家に帰ったら禹(う)の息子の啓を調べてごらん」と言われる気がするわけで。鯀(こん)・禹(う)とは古代中国の治水の親子神であって黄帝の子孫と言われています。禹は塗山氏の女性と結婚して啓をもうけましたが、母親は神話では出産の時に死んだ、と言われている。そして、啓は父親の死後、異母兄を倒したり、益というライバルを倒したりしています。「異母兄を倒して帝位につく」って、それは「応神天皇のモデル」でしょ、とすぐ思う。応神天皇は母親は生きているけど、父親が生まれる前に死んでいます。・・・なんで啓と応神天皇で、早くに死んだ親の性別が入れ替わってるのか? と思う。

 で、益というのは動物の言葉が分かる人物だった、とかで、それはいわゆる「動物番」のことで、「黄帝」と同じ性質じゃん? と思う。ということは、益とは黄帝=禹=羿のことで、母親の方は塗山氏=嫦娥のことだよねえ? 「親殺し」とか「父親から帝位を簒奪した」とか言われたくないから益とは他人ということにしてるわけだ。どうせ入り婿だし、ということでー;。で、啓自身は黄帝の息子であるにもかかわらず、

「自分が両親を殺して継ぐ帝位は炎帝(啓にとっては母方の叔父)の後継者ということである。そのことを子々孫々まで忘れないように」

ということで、爺婆を焼き殺す祭祀とか神話を大量に生産したのだと思われます。でも、そういう世間体の悪いのが先祖って言いたくないので、祭祀は祭祀で始祖の教え通りに爺婆を焼き殺す祭祀を行っているけれども、「殺した母親」は祖母に移して失踪したことにし、「殺した父親」は「入り婿だから最初からあんまり家族扱いでない」ということにして作り上げたのが

賀茂の角(祖父)=失踪した祖母(あかるひめ)

入り婿(殺された黄帝である火雷神)=母である玉依姫

賀茂別雷命(啓)

という3代の系図なのだと思われます。これを天皇家の系図に応用するときに

仲哀天皇(殺された黄帝)=神宮皇后(賀茂の血を引く皇后)

応神天皇(啓)

と略してるのだと思います。だから岡谷の小井川賀茂神社には賀茂別雷命(啓)と応神天皇(啓)が祀られてるのでは。どっちも「簒奪をこそ誇るありがたいご先祖サマだから?」と思う(こっちは焼き殺さないのね、なるほどねー;)。

というわけで、魚の神である鯀はメソポタミアでいうところのエンキであって「鯉」だと思うわけですが。本日は某所で鯉に餌をあげて慰撫してきたわけで。で、禹というのは日本でいうところの「八大龍王」とかそういうものだと思うわけですが、それも参拝して来て。鯉に親切にして啓を見つけた。だいたい7000年くらい前の人だと思うので、「夏の王」というのであれば、「夏」というのは大渓文化のことなんじゃないでしょうかね? と思うわけですが。

炎帝というのは日本の神話では、ものすごく簡単に纏めると須佐之男のことなので。火雷神(イザナギ)と天照大神(イザナミ)を焼き殺して須佐之男とその後継者(直系の子孫ではない、実は)が帝位に就きますよ、そんな感じ?? という気がしてならないわけです。