22年2月21日

 昨日は外作業をしました。母親は土の埋め戻し、土の清掃、姉は土の清掃、私は土の清掃、石掘りでした。本日は買い物に出かけて、市役所、法務局巡りをしてきました。外作業は雪のためお休みでした。

 お裁縫は、セーターのつくろい、ジャケットは脇の縫い合わせ、ケープコートは脇と袖の星止め、コースターの作成です。

 テレビは、昨日の昼は「食宝」の録画を見ました。夜も「食宝」の録画だったかと。今日の昼は先週の「夜会」の録画を見ました。

 市役所からは、例によって(私からは)脅迫してるとしか思えないメールが来てましたので、「市長が内容を把握しているものかまず確認して下さい。」とメールしておきました。市長が指示してやらせている違法行為は、どう見ても長野市の責任以外の何者でもありませんのでね-;。

 で、最近は神話と民話の勉強も少しずつ再開しているわけですが。「ルーツ」という小説があります。アメリカ人のアレックス・ヘイリーという人の先祖は、アフリカから奴隷としてアメリカに連れて来られた人で、「自分の本当の名前はアメリカ人がつけた名前ではなくて、クンタ・キンテという。」ということと、「故郷の言葉で川のことをガンビ・ボロンゴと言った。」と子孫に言い残しました。子孫のヘイリー氏は、この言い伝えから、ご先祖様の故郷、言い換えれば「自分の本当の故郷」でもあり「ルーツ」でもあるものを探そうと思い立ちました。色々な資料を調べ、アフリカの言葉を調べた結果、「ガンビ・ボロンゴ」というのはガンビア川のことで、その地域にはキンテという一族が住んでいることも突き止めました。アフリカのキンテ一族を訪問したヘイリー氏は一族の歴史を口伝で語る語り部から、「かつてクンタ・キンテという若者が狩りに出かけたまま帰って来なかった。」という語りを聞き出します。クンタ・キンテの激動の人生の出発点のアフリカには「彼が失踪した」という口伝が残り、終末点のアメリカには「彼が捕まって奴隷として連れて来られた」という口伝が残り、その2つから、かつて一人のアフリカ人の若者が、奴隷商人に捕まって拉致され、奴隷としてアメリカで生涯を終えた、という客観的な歴史的事実が浮かび上がってきて、証明されるわけです。

 ところで、古代イランの英雄伝説の中にロスタムという人が登場します。彼は古代ペルシアの最大の英雄であり、霊鳥シムルグの養子と言われ、イラン王に仕え、様々な功績を立てましたが、イランの王子イスファンディヤールと戦って、これを殺したために(ある意味罰を受けて)不幸な最期を遂げました。世界各地に様々な英雄伝説は存在しますが、では、それは実際には歴史上の「どこの誰」のことなのかと問われると、はっきりしないことも多いのが普通です。日本にも日本武尊という英雄がいて、「天皇の子」とか言われていますが、では、正確な歴史の上でどこの誰なのか、と問われればそれははっきりしません。戸籍もないし、出生証明だってないし、系図だって後世に作ったもの、と言われてしまえばそれまでです。ロスタムもそういう伝説的な英雄の一人といえます。こういう英雄はどこでもだいたい「怪物退治」をすることが普通です。中国のゲイも、ギリシアのペルセウスもテーセウスも怪物を退治します。

 しかし、ロスタムとイスファンディヤールの戦いの最大の特徴は、その「動機」にあります。イスファンディヤール王子は優れた人でしたが、父王に疎まれていました。父王が、息子が「誰に殺されるのか」と占ったところ、「ロスタムに殺される」と出たので、「ではそうしよう」となって、王は王子に「ロスタムを征伐するように」と命令したのです。結果、王子とロスタムは互いに、個人的には何の恨みもないのに戦わなければならなくなり、予言の通りに王子はロスタムに殺されてしまったのです。この物語がこの「王家」のイラン側の「出発点」になります。ロスタムは王族ではなく、庶民側の英雄ですので、時代が下り、どこの誰なのか分からなくなって、霊鳥の養子であるとか、神話的な要素もその生涯に加えられて、現在に至るまでイランの人々に愛され、語り継がれる「英雄」になりました。王家の人々がペルシアを去ってしまった後までも、です。ともかく、この特徴的な「地方領主と王子の争い譚」は他の地域の英雄譚にはないものですので、ペルシア特有のものであり、おそらく似たようなご当地の現実の歴史的事実を投影しているのだと思います。

 アフリカを去ったクンタ・キンテと同様、ロスタムと戦ったとされる王家の人々はどこへ行ってしまったのでしょうか? そもそも彼らはなぜ、イランの地を去ったのでしょう。私が思うに、おそらく彼らはアレクサンダー大王に追い立てられて去ったのではないか、と思います。ではどこへ行ったのでしょう?

 日本の神話の中には、王に疎まれた王子が、あちこちを「征伐せよ」と言われて、地方遠征に出かけてそのまま土地神に殺されて死んでしまった、という、やはり他の地域に例を見ない話があります。アレクサンダー大王に追い立てられたら東に逃げるしかないし、イランに庶民の側のロスタム中心の物語があるのだとすれば、日本にあるのは王家の側の「王子」中心の物語なんじゃん? 日本ってイランよりも東にあるし、この物語があることが、クンタ・キンテと同様、「ロスタムと対決した王家」が最終的に行き着いた場所が日本だっていう証拠なんじゃん? と思う。

 というわけで、ロスタムと日本武尊の物語は、庶民の側と、王家の側から「同じ歴史的事実」を口伝で残して、それぞれの側に伝わったものだと思います。だいたい、「東征」なんて、歴史的事実としては痕跡もないのに、なんで伝承だけあるんだろう? と常々思ってたわけですが-;。アケメネス朝の歴史を詳細に分析すれば、元になった「歴史的事実」が見つかるかもしれない、と思ったあたくしだったのでした。日本における「日本武尊」の実態は、地方に左遷された実在の一大王の生涯に、無理矢理その人の遠い先祖の伝承をかぶせたものだと、今ではそう思うわけです。日本では少なくとも「地方遠征」みたいな東征はなかったと思われます。