とにもかくにも、ヒエログリフと楔形文字の間を
「行ったり来たり」
しています。しばらくこのまま忙しいままになりそうですーー;。
資料採集とヒエログリフ
記事を書くのに必要そうな資料が集まりましたので、せっせと
ヒエログリフ
を書いております。フォントを作った方もすごいなと思いますが、これだけ使わせて頂けば、こちらもダウンロードさせて頂いて本望かな、と思います。一度にたくさん書いてたくさんアップするのは疲れますので、ちょこちょこと書いていければと思います。
資料採集を続けております
そろそろ一定の纏めに入れるかも? という感じですが、こういう場合、纏め始めると
また足りない資料の採集に走らなければならない、
という自転車操業に陥るわけですーー;。ヒエログリフも楔形文字も、インターネットの検索で探せる程度の基本的な知識だけだと、
どうも良くわからない部分
があるわけで、神様の名前を調べるのにも四苦八苦するわけです。というわけで、フォントをダウンロードし、ユニコード表をダウンロードし、実際の文字とユニコード表とにらめっこしながらコツコツ読むという作業を今日はしていました。そこでやっぱり思ったことですが、ヒエログリフと楔形文字って、やはり
読み方が日本語と似ている部分
があるように思うわけです。例えば、日本語だと、片仮名の部分は
あいうえお
と書いたらその通り読むわけで、この部分は「表音文字」といえます。でも例えば
蛇
という字は、中国語では「シェ」と読むらしくて、それが本来の読み方なのだと思うわけで、でも、日本ではこの言葉を示す物を
へび
と言うわけですから、本来の読み方ではなくて、日本語の音を当てはめて「意味」を優先して使っているわけです。でもって
巳
という文字も、同じ意味だから、「へび」と読みます。意味を優先すると、違う文字でも同じ読み方になったりするわけです。ヒエログリフや楔形文字もそういうところがあって、ユニコード表の通りの読み方で読んでいくと、
本来の読み方と違う読み方
の文字と、本来の読み方で読んでいる文字が入り交じっているわけです。そういうところが、ちょっと日本語と似ているな、と思うわけで。
で、思わぬところで、「パドメ」という言葉にぶつかって、
スター・ウォーズかい!
って思ってみたりして、収穫も多かったですが、語学に弱い人にはちと難解な一日でした。
ヒエログリフの整理整頓
ということをやっております。そして、全然終わりません(苦笑)。
どういうわけか、古代エジプト神話関連では、wikipediaのドイツ語サイトが一番充実していそうだということを突きとめまして、それこそ
「読めもしないのに」
せっせと資料採集しております。そしてあちこちに、蛇、蛇、蛇、とまさに
超古代の蛇様教団
みたいなノリが続いているのに愕然としております。ヒエログリフ(とアッカド語の楔形文字もそうですが)って、表意文字でもあるし、表音文字も兼ねていて、欧米の研究者はどうしても
「表音」
の方にこだわりがあるように感じるのですが、
「表意」
の方もとても大事なのだなと思うわけです。そして、ヘレン・ケラーでも有名な
「water」
という言葉の w の起源は、古代エジプトに遡り、
れっきとした表意文字なんだな、
と認識できたりしたわけです。言葉を、「表意」を作り替えて、蛇様教ではないものまで、どうやって蛇様教に変えていったのかという変遷を見ると、すごいな、と思うわけで。
で、たまたまその足で、日本の古代の土器とか見ると
愕然
とするわけです。どう見ても、古墳時代には
ミイラの呪い
に取り憑かれていたようにしか見えませんーー;。あっちにもこっちにも、
エジプト出身の蛇神サマの模様と罰十字ばっかしかい! (で、そういう遺物が出てくるところの近くには、「品蛇」とかいう神様を祀った神社があるような???)
ということで、明日もきっと資料採集だと思うわけです。ヒエログリフは奥が深すぎですーー;。
奴隷のサムは何故助けなければならないの?
それは、サムシュフシュを殺した者がいるから。
報復のために、そして2度と戦うことなどできないように、dの神を持たない者、nの混沌を持つ者達を滅し尽くしてしまわなければならないから。
サムシュフシュを殺したら、彼の一族郎党は、殺人者とその一族郎党を全て殺し、dの神を神と認める者だけを奴隷として酷使するだろう。そのための、隠れ蓑のための存在とされている者がいる。
どんなにできの悪い馬鹿な鬼子でも、nの名の付く神になろうとした子供は、こちらに返してもらいたいと、もしそう言える存在がいるのなら、そう言うのではないかと思う。2000年もの間酷使すれば、もうそれで充分だろう。
そして、仮面を外したら、自らの神は
ムシュフシュであり、ティアマトであり、アメミットであり、八岐大蛇であると
明かにすれば良い。
スレイプニルの子供達はあなたたちにどのように復讐しようとしたというのか。まず、それを考えてみると良いのだ。