で、後は、だいたい親からは「よく分からない」とか言われるわけで。親の認識としては、「頭のいい人を殺そうとしてる」とか「神に仕立て上げた者を殺そうとしてる」とか、そんな感じの認識なわけで。なんか、ちょっとずれてるわけで。別に頭のいい、悪いなんて、それほど重要視はされていないと思う。1番目の子も、2番目の子も、頭はそれほど悪いわけではない。でも、向こうの「思うとおり」にさえ育てばいいわけだから。消されちゃった人達は、ただ単に「邪魔だと思った」から片付けられただけだと思う。どういう基準で、そう思われたのかなんて、こっちに分かるわけがない。だいたい、うちのじいさんが、家族の誰をどういう基準で「消したいと思うほど邪魔だと思う」のか、理解できないでしょうが。客観的・合理的な基準があるとは到底思えない。そういうことじゃん、と思う。
そして、生まれながらに「神」であるのか否か、ということは別に「仕立て上げられている」わけではないので。要するに「頭の良い子」と「悪い子」がいるように、「神である子」と「普通の子」がいるってそういうことである。「神である子」は、生まれながらに、人類に対して役割分担がある、ってそう思われてる、というかそういう感じである。まあ、大抵、どの子も自分の役割をふられて、役割分担を生きてるだけだから、それも不公平かというと、特に不公平なことじゃないんだと思う。そして、子供を見た時に、「頭の良い子」と「悪い子」って、そういうことを見抜く目のある人には、見抜くことができる。でも、できない人には、「どっちも同じような子供」にしか見えない。それと同じで、「神である子」と「普通の子」を見抜くことができる人はできるけど、できない人には区別が分からない、ってそういうことである。でも「神である子」と「頭の良い子」は必ずしも結びつかないよね? それはどちらかというと「目の力」の強さに関係するので,元々持っている「目の力」が特に強い人は頭があんまりよろしくなくても「神である」ということはある。だいたい、「自分でなりたい仕事をやっている」という認識がそもそも間違っているので。みんな、役目を背負ってやってるだけである。もちろん、やりたいことがあれば希望を出すことはできる。でも、上の許可がなければ、やることはできない、ってそういうことなんだと思うわけです。