一昨日は、あとは、毎年、年に1度の恒例の稲垣君の「本怖」を最近見て。夜中に海岸で机を燃やす話とかは、幽霊も怖いけど、幽霊よりも怖い人間の不良に襲われる可能性とかを考えてしまうわけで-;。そのリスクの方が大事なんじゃないの? 女の人が夜中にそんなとこ行っちゃ駄目、と思うわけで-;。だいたい、兄さん達には、「妻神はしつこい地縛霊とかも追い払ってしまう体質だから、幽霊とか見たくてもみれないでしょ。」と言われる気がするわけで@@。それもどうなの? と思う。どうも私は生きた「お祓いマシーン」であるらしくて-;。
それから、丁4について、「何を書くべき」って日記に書いたら、速攻で「マニュアルを一通り見てみるように」と言われる気がするので、見てみたら、「どのような考察をして、どの調査法で調査したら妥当であったのかを書くように。」と言われる気がするわけで@@。すげー、速攻だー、と思う。建築について、いろいろと言われるときには、「いたジャン」でわざわざ「明治大学建築科を出てます」って自己紹介してた伊野尾っちを思い出すわけで。建築科って建築関連の法律も習うのですよねえ、まあ医学部も関連法律はちょこっとはかじるわけですが、と思う。明日、適当に抜粋して書証に纏めたいと思います。
昨日は夜、あまりにも眠くて日記が書けなくて。作業もあまり進まなくて、「なんでだろう?」と思ったら、「雨が降って水くみをやって疲れたからでしょ」と言われる気がするわけで-;。体力ないなー、自分、と思う;。そこで早く寝てしまいました。
というわけで、昨日はあまり書類は書かず、書証の整理をしていて。今日もそれを続けていて。で、昨日ようやく、Amazonに注文した本が届いて。その中に「紅山文化と檀君史話」という本があって。要は古代遼東半島に栄えた紅山文化とは、朝鮮の文化の起源であって、朝鮮の起源的神話である檀君神話に結びつけよう、という本である。だからだと思うけど、中国では「猪竜」として有名な古い時代の竜の「豚」の部分を強引に「熊」と言い張ってるわけで。「どう見てもそのでかい鼻は豚」と思うわけですが、ともかくこれを「熊にしてしまおうキャンペーン」な本である。ちょっと内容に癖が強い気がするわけですが、ともかく、紅山文化について書いてある本が少ないので-;。少なくとも、遺跡から出土した物品の写真は本物、と思うわけで。で、いろいろと各地の遺物とも比較されていて。で、中に「凌家灘太陽文様」という良渚文明と同じ頃に、長江の北側にあった凌家灘遺跡から出土した玉製の「太陽鳥」の写真が載っていて。で、その太陽鳥の頭は「鷹」なんだけど、翼が「豚」になっているわけで@@。「豚の太陽」の文様って始めて見たよ、というか、「豚で男性形で太陽神」っていったら、パプア・ニューギニアとかの、生け贄を求める人食いの太陽神とか、「島のケルト」の「豚のキアン」しか思いつかないのだけれども、「豚が太陽」というのは、れっきとした「漁撈民の思想」だよねえ? と思う。それが図示化されたものが、良渚とほぼ同じ文化を持っていたと思われる遺跡から出てきてるなら、良渚でも同じ神を信仰していた、って思っていいよね? と思う。しかも、この変な太陽鳥の胸に描かれた「太陽」は「八芒星」である。要するに、「八芒星」とは「豚の太陽の象徴」だし「伏羲」の象徴だよね? と思う。で、いつ出版された本なんだろう? と思って見たら、今年の6月に出版されたばっかりの本だった・・・@@。でも、民話を知って、神話を知って、良渚文化とその周辺の歴史を知らなかったら、「豚の太陽」の文様を見ても、その意味は理解できなかったであろう、と思う。だから、この「豚鳥」にたどり着くまでに、本にいくらつぎ込んだと思う? と正直思ったわけですが。おかげで、「蛙の王家」は「怒り狂いまくり」ということらしくて-;。
なんだか、父親は人の持っている本を探りまくるし、どこに置いてあるのかかまをかけてくるし-;。本が多くなってきたので、母親には本棚を持ってくることを言われたのですが、7番目の兄さんには、服を整理するための段ボールも持ってくるように。そろそろ西側はちゃんとしてきたので、他の2人もそのくらい持ち込んでも大丈夫でしょ、と言われる気がするわけで。
で、昨日は雨が降ったので、お外組の仕事はお休みであって。今年は台風が、短い期間で次々ときたなー、と思います。でもまあ、我が家には大禍はなかったわけで。で、それ以外は嵐の20周年DVDが届いたので、昨日からずっと見ていて。
そして、今日は一応朝から作業をして。書証の整理がまだ続いて。そして、丁4号証まで書き終わって。これで、甲号証に書いて、経過を纏めれば、後は書面に整理するだけだー、と思う。
お外組は、まだ水くみがけっこう必要なようであって。
あとはたまたま見たテレビ番組に寺田心君が出ていて、もう小学校5年生だって言っていたので。子供が大きくなるのは早いなー、もう二桁の年になってるんだねえ、と思う。
だけど、良渚の「太陽鳥」って、なんであんな「翼が豚」とか変な鳥なんだろう? と思う。だいたい、そもそも「太陽」とは「虎」のことで、「鳥」は太陽神に食事を運ぶ召使いだったはず。良渚の前身であった河姆渡では、鳥が太陽であったわけではなくて、鳥が太陽を運ぶ役目を担っていたはず、と思う。そうすると、「それは神が殺されたからでしょ?」と言われる気がするわけで@@。
河姆渡も末期の方というか、「母系の稲作社会」は、「太陽(虎、女神)」であって、それに仕える「鳥」とか「豚」とかもっと後には「牛」とか、草食動物が女神の召使いでもあり、餌でもあったわけで。で、稲作民と一緒に暮らしていた漁撈民は、「魚の神」を信じていたけれども、その「魚」は「ウナギ」とか「蛇」とかも同じように見なされることがあって。要は水性の動物とか、そういう感じであって。で、漁撈民は、第1子を殺して神に捧げる、といえば聞こえはいい? かもしれないけれども、ともかく第1子にあたる嬰児を殺して食べてしまう習慣があって。そして、漁撈民の神々も、太陽女神に従うものとされていたのだと思う。
一方、虎の太陽女神を頂く人々も、虎が猛獣であるからして、他人を生け贄にする習慣があった、というか、首狩りの習慣があったわけで。おそらく、稲作による急激な人口の増加とか、天災等で人々の生活が成り立たなくなった時に、同族、異民族を含めて「人の生け贄」の習慣が顕著化したのではないのか、という気がするわけで。それは、周辺の他部族、特に「狩られる側」の反発を買うので、「狩られる側」の人々は「黄帝」を中心として長江流域に攻め込んだのだと思う。そして、遊牧民を中心に発展した「父系」の文化を持ち込むと共に、「虎の太陽女神」への信仰を禁止し、弾圧したのだと思う。そして女神に対する人身御供は禁止され、女神の夫であった「草食獣」の神も殺された。それが、蚩尤や饕餮であって、その体はバラバラにされて、各地に埋められた、とかいうわけで。そして、「女神」の後継であった女性には「黄帝」が新たな夫として入り込み、「父系」の統治を始めたのだと思う。そうやって政略結婚で政治的支配を確立しようとしたわけだ。
でも、その子孫達は、「人身御供は禁止」という教えを守る気はあんまりなかったわけで。でも、だからといって、「虎の太陽女神」への信仰を露骨に戻すこともなかった。というか、そもそも女神の夫である「豚の王」としての蚩尤は、女神の代理人として人々を統治する役目を負っていたし、「女神の声を聴くシャーマン」としても君臨していたのだと思う。だから、「女神の子孫」として「男系の王」として立った人は、同族が代々引き継いできた「神の声を聞くシャーマン」としての役割も引き継いだ。一方、「生け贄を求める悪しき神」を倒して「父親」の「黄帝」のことも無視できないから、「黄帝の跡取り」としての「王権」も引き継いだ。そして、表向き「虎の太陽女神」を信仰することができないので、最初はカモフラージュとして「召使いである鳥神と豚神(蛇神)」を習合させて、「彼らが太陽を保護する神々」とでもして、その代理人が「王である」とでもしていたのだと思う。でも「王」は「太陽女神の息子」でもあるので、しまいに「自らが鳥と豚の太陽神(すなわち竜神)」と名乗るようになったのだと思う。確か古代エジプトのファラオも、最初は「自分が太陽神の代理人」だと言っていたけど、しまいには「自分が太陽神の化身」と言うようになったわけで。そして、「虎の太陽女神」に捧げていた「生け贄」を「鳥と豚の太陽神」に捧げるようになった。それで、「豚の神に豚を捧げる」ような奇妙な祭祀が始まるわけで。「豚の太陽神」は、元々「虎の太陽神」を乗っ取って置き換えただけのものだから、神も、生け贄も、どちらも「豚」というような奇妙なことになってる、と言われる気がするわけで@@。「鳥の太陽神」は、この豚神と最初から習合していたものだから、今、世界中の古代遺跡とかで、「太陽鳥」としてシンボル化されているものは、みんな本来は「太陽の召使い」であったものが、「太陽神」の地位を乗っ取った「偽物の神」だから、と言われる気がするわけで@@。
だから、「太陽鳥」とされているものは、全部ただの鳥ではなくて、その本質は「豚」と言われる気がするわけで@@。でも、蚩尤は殺されてしまっているし、「黄帝」を子孫に持つ人々は、あくまでも蚩尤は、先祖の英雄に殺されたままでいてくれなければならない。だから、竜の原型である「猪竜
」というのは、「猪」の頭は「首を切り落とした猪」で「死んだ太陽」のこと。「竜」の「尾」は「下半身だけの竜」で「死んだ水神」のこと、と言われる気がするわけで@@。そして、王たちは、先祖の神に生け贄を捧げると、先祖の霊を下ろすことができて、その言葉を聞くことができる、と考えられていた。だから、祭祀では一番大きくて立派な雄豚が生け贄に捧げられた。しかも、そういう「死霊の神」に「黄帝」も習合させてしまって、「黄帝」とは「豚神」を殺すものであるので、そこに豚を生け贄に捧げることを正当化した。だから、豚とは、黄泉の国から死んだ先祖の霊を呼びもどす「重要な媒介」と考えられるようにもなった。王族は豚神の子孫でもあるので、豚は人であり、人は豚でもあるわけです。そして、豚神の子孫である王が、神を黄泉の国から呼び戻す力があるとされた。
でも、こういう考え方が、周囲に拡がるにつれて、「豚神」の存在は隠されるようになりました。なぜなら、部族によって豚よりも羊を重要視するところもあるし、牛の方を重要視するところもあるので。豚がどうでもいいと思っている人達には、豚は神になり得ないからです。だから、「牛」の方が重要視されるところでは、「豚神」は「牛神」に置き換えられました。古代エジプトとかメソポタミアとかです。彼らは本来的には、妻であり猛獣である太陽女神を守る存在でしたが、しまいには自分自身が「太陽神に相当する主神」として君臨するようになった。だから、太陽鳥(豚+蛇神)信仰の人達の「神」は全て「死霊」だから、と言われる気がするわけで@@。なぜなら、黄帝が神を殺して黄泉の国に追放したから、人々は神を呼び出してその声を聞くのに、特別なシャーマンが必要となった。それだけでなくて、「死者を生き返らせる研究」が盛んになって、人々は「死んだ神」を生き返らせよう、とかそういうことも考えるようになりました。そして、シャーマン達にとっては、「一部の人は転生を繰り返して生まれ変わるけれども、他の人達の人生は一度きり」ということも我慢なりませんでした。神は、自分が黄泉の国から呼び出す存在なんだから、死んでてくれないと困るのです。一方シャーマンである自分たちは永遠に生きていたいわけ。そうして、「神の代理人」としてうまい汁を吸い続けたいわけで。だから、「神」に相当する子供が生まれると、「代理人」の言いなりになるように育てるわけで。一方は「頭」しかなくて、口で意味不明なことをガミガミ言うけれども、自分では何もできない子、もう一方は「尻尾」しかなくて頭がないので自分で何も考えられない子、ということで。そして、父系の「代理人」は、「頭」の子が本当は「蚩尤」であるのに、そこに無理矢理「黄帝」もこじつけて習合させているので、「黄帝」がかつてやったように「太陽女神」を「頭」の子に殺させようとしてる。何故なら、太陽女神を殺すのは黄帝の役目であるので。
でも、「黄帝」というのは、そもそも自分勝手に人を生け贄にするようなことを止めるために戦ったんじゃないの? ということで。しかも、当然「黄帝」の方が「ご先祖様」なのであって、子孫にこき使われるための召使いであるわけではない。だから、富の王家は「生きている黄帝」を擁して、人々が共存共栄できる世の中を模索し続けてきたわけで。
でも、「死んでいる神」の代理人って何か変じゃないの? と思う。そうすると、「そもそもローマ的キリスト教が「死んだイエス・キリスト」の代理人」が統治するというものでしょ?」と言われる気がするわけで@@。イエス・キリストがあー言った、こう言ったと言っても、実際に「本人がこう書いた確実な書物がある」とかってならない限り、実際にそう言ったのか、言ったとしても巷で言われているのと同じ意味で言ったのかは誰にも分からないわけで-;。現行の「キリスト教」とは多かれ少なかれ、そういうものである。でも、大名家は違う。代々の大名家が「神」として信奉しているものは「生きているイエス・キリスト」であって、彼らが興味を持つのも「生きているイエス・キリスト」が何を言ってるのか、言うのか、ってそういうことだから、と言われる気がするわけで@@。そもそも大名家は「黄帝」のことはそれほど高く評価していないわけで、「当人がいくら優れた人物でも、変な子孫を大量に残したいい例」くらいにしか思ってなさそうなわけで-;。大名家の偏愛と忠誠は「女王卑弥呼であったところのイエス・キリスト」にしかない、と言われる気がするわけで。
で、親も気づき始めたことだけれども、「裁判」というのは、「2番目の子との戦いである」という気がするわけで。でも、そうすると兄さん達から、「それだけじゃないでしょ。もう一人、何も言わず、何を考えてるのか分からないのがいるでしょ。」と言われる気がするわけで@@。要するに、片方が「何を言っているのか分からないけど文句ばっかり言ってる」2番目の子の代理人、であるなら、「何を考えてるのか分からない」方は1番目の子の代理人でしょ? と言われる気がするわけで-;。だいたい、いつも私にぶつけられるのはその二人、ということで-;。なんだろう、「蛇の尻尾」というよりも「なんかのヒモ」なんじゃないの? というか、どうも影が薄すぎて、1番目の子のことがますます良く分からない、と思うわけで-;。ともかく、変な裁判、気味の悪い裁判であるー;。でも、頑張って細かいことをつついているわけですー;。