昨夜は特に夢も見ず。本日あたりから本格的な「夏」な気がして。午前中は、朝からできるだけ掘って、午後休むことにして。だいたい、バケツに1日6杯前後を目安に作業しているので、山盛りにして、平らだったら7杯ちょっとぐらいできたのではないか、と思う。地面の下に突きさっさいた水道管を抜くときに崩した土がまだ片付いていないで、その後の雨で流れ込んだか、湧いた水で土がべとべとしていて。片付けるのに、後2日くらいかかるのではないか、と思うのですが。
あとは、最近の6番目の子は、好きな人が他の男と結婚しそう、ということで泣いていることが多くて。何故、その人が繊細だ、と思うのかというと、だいたい一緒に暮らすようになったら、その人も、好きな人の世話をしたくてたまらないタイプらしいのですが、言ってくることが、「髪の手入れをしっかりしたい」とか、なんかそういう感じで、こだわってるところには、きっちりしっかりこだわりそうなことを言ってくるので。「生きた盆栽」扱いされそう、というか、彼が満足するまでしっかり面倒見て貰えそうなので。それで、繊細な人だ、と思うのですが。でも、最近は泣いていることが多いので、大野君と守達神は「マリッジ・ブルーでしょ。一緒に暮らして、あれもこれも世話しなきゃ、って、そっちに夢中になれば、屈託も忘れるはず。」と言う気がするわけで。「マリッジ・ブルー? それは女の人がなるものなんじゃないの?」と微妙に思うわけですが。7番目の兄さんは「自分はそういうの(男の人が思い通りにならないとメソメソ泣くこと)が一番嫌い」と言うわけですが-;。でも、6番目の子がやる気にならないと、周りが困るのも事実。「その人がスイッチだから。」って、守達神なんかは言うわけですが。
で、家の近所では、外壁の塗装が流行しそうで、隣の家がそろそろ予定では終わりそうなのですが、今度はそのまた隣家が工事をしそうです。そうやって、我が家の敷地内に石を埋め込む隙を狙っていそうです。
そして、帰りの車の中で、親と話していて、ジブリの話になり、「宮崎監督が引退を何度も繰り返し、また映画を作ると言っていたけれど、それは何でだろう。」と言って、親はちょっと笑っていたように思う。それで、またまたびっくりするわけで。それは、私が日記に書いたから知っているのだと思う。理由は、「カンヤダ」の連載を始めて、長い間目を掛けていた娘が、無事に嫁ぐために一肌も二肌も脱いで下さるつもりだからだし、だからこそ出来上がってくるものは、その代償のために製作される「呪いの映画」なのだろう、と思うのですが。でも、「アニメ映画は子供の見るもの」だし、我が家はもうそういうものには手を出さない方針なので、どんな「呪いの映画」を作っても、我が家にはもう影響がない、ということで、そういう配慮の元に全ては動いているわけで。そのようなことも日記に書いておいた、と思うわけですが。いつも驚かされる、というのは、これが例えば父親であったら、「自分が信じたくない」と思ったことは、宮崎監督のことまでそっくり忘れてしまいそうなのに、母親の方は「信じたくない」と思うこと以外のことは覚えていて、「なんで、映画を撮るんだろう。」と言い出すことなわけで。そういうときの母親は、いつも笑っている気がする。彼女の心は、そういう時に、何を見ているのだろう、と思う。どうも、都合の悪いことの「部分」だけを忘れてしまう人の気持ちが、私にはさっぱり分からないのです。全部忘れてしまう人は、「全部忘れてしまいたいんだろうな。」とは分かる気がするわけですがー;。
でも、ともかく、そういう反応を示す背景は、「他人が他人を純粋に思いやる気持ち」が、全く理解できない人なのだからだろうな、と思う。だいたい、それがちょっとでもできたなら、天智天皇は蘇我倉山田石川麻呂に「謀反の罪」を着せて、殺したりしなかっただろう、と思う。全くの遺伝だ、そりゃ、と思うわけで-;。天智天皇は舅を殺すときに、愛妻の舅にどんなに良くして貰ったか、ということは全く考えてもいなかった、ということで-;。それが、状況を客観的に見て、感謝すべき人に感謝できる、ということに全く繋がっていない気がするわけで。嵯峨天皇は、兄の平城天皇が、異母兄弟の伊予親王に、謀反の罪を着せて殺した時、なんて思って兄の所業を見ていたのだろう? と思う。それはまあ、昔のことだから良いのだけれども、今、この現代社会で、そうやって偏った物の見方しかできないと、誰が敵なのか、誰が味方なのかが客観的にさっぱり見れなくて、ただ上っ面で自分が「いいな」と思った人としか付き合ったり、関心を持たなくなるし、それが結局敵につけ込まれる原因になると思う。ただただ、それを気をつけないといけないな、と思うのです。
でも、こういうことを書くと、いろんな人から、「でもあなたは、他人の気遣い、というものが理解できる人でしょう?」と言われる。宮崎監督の映画の最初に、必ず登場するメイちゃんを見れば、監督がその子の健やかな成長を、どんなに願い、心を砕いてきたか、ということは、それを一目見ただけで、「誰にでもあからさまに分かる」ものなんじゃないの? とそう思うのだもの。きっと「誰にでも」と思ってしまうところが、私の独りよがりなのでしょうがー;。