本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。朝方に雨が降ったけれども、晴れの天気予報であったので、晴れたら穴掘りに専念することにして。

午前中、土の始末をしていたら、ふっと7番目の兄さんが降臨してきて。「テレビを見ていて、日記に書かれた言葉なんかを言われると、「現実感を感じる」のなら、『テレビで人がおいしい、と言っているのを見ると、嘘でしょ、と思っちゃうタイプ』という発言は?」と聞くわけで。「テレビを見ると、『あれは嘘』、『これはやらせ』ってすぐ言う人がいるでしょ?」と言われて。どうりで、ちょっと意味ありげな発言だと思った、というか、それはうちの母親のこと、と思うわけで。そういうことも気がつけば、「現実感」を感じる物事のうちに入ります。昔、宮崎監督が「子供にはテレビを1日に30分しか見せない」と言っていたけど、それもうちの親のことなので。その発言も「あなたたちのことを知っている」ということだったんだな、と思います。で、兄さんから「(あなたの)判断力はまだまだちゃんとしてるから、カウンセリングをもう少し頑張って」と言われて。兄さんも、剛君がお休み中で大変だと思うのに、健康に気をつけて、と思うわけで。

でも、おとといの「しやがれ」は、「目の力」の強い光一君がいるので、どちらかといえば、みんな調子が狂って変調を来していたと思うわけで。だいたいそういうときは、松本君は極力、逃げられない時以外は、光一君の隣にいない気がするわけで。二宮君も、できるだけ目を合わせないようにしている気がするのですがー;。でも、普段やりたい放題の二人に直接「目の力」をふるえるので、光一君は楽しいだろうな、と思う(苦笑)。別に止めるつもりはないですし。そして、4番目の子からは「どこへ行っても蹴飛ばされる気がする」と嘆かれるわけで-;。

おととい、親に「学生時代に精神科で何を習ったのか。」を尋ねた時に、授業の内容ではなくて、先生のことをいろいろと言われて、目的のものを聞き出すのに、たいへん苦労したわけで。当時の精神科の3大疾患は、「うつ病」「躁うつ病」「分裂病(現在の統合失調症)」で、症状はこの順で重くなる、とされていました。お母さんは、2つまでは覚えていましたが、病気の内容に混乱がみられました。そして、「仕事ができなくなると、それが原因で精神科に来る人が多い。」「同じ仕事をしていても、うつ病になる人とならない人がいるのだから、ストレスがかかると誰でも精神病になるわけではない。」と述べて太陽女神を困惑させました。

人が「仕事をしなくなる」という現象は、精神疾患が基礎にあることもありますが、ただ単にさぼっているだけのことも多いし、そういう人も世の中にたくさんいます。ジブリの鈴木さんのエッセイにも、健康なのに働きもせず奥さんに頼りっきりの男の人が何人も出てきます。でも、そういう人達は、「健康」であって、「精神病」ではないので、「仕事をしない」ことと、「精神疾患を発症している」ということは必ずしも結びつけられるものではありません。ただ、お母さんの中では「肉体を使った労働をすべき」という価値観が強すぎて、そうしない人は「おかしい人(精神疾患の人)」と思い込みすぎているのです。そして、人には個性というものがあるから、同じ仕事をしていても、「好きな仕事」だと思ってやっている人は、ストレスを感じませんが、「嫌な仕事」だと思ってやっている人はストレスを感じまくりです。だから、「嫌な仕事」だと思っている人の方が、うつ病は発症しやすくなる。それに、まず最初に「仕事をしなくなる」という症状が出たとしても、原因は家庭にあって、家族の誰かが亡くなった、とか、離婚した、とかそういうことがきっかけで発症する人もいる。原因は人それぞれだから、仕事の環境だけで、「発症する人は特におかしい人」「発症しない人はおかしくない人」とは言えないのです。そこの認識が、お母さんはやはり偏っていました。

そして、後で土の始末をしている時に、お母さんと話していて、こちらが質問していることに相手がきちんと答えてくれない、ということに学生時代、とても困っていたことを思い出しました。お母さんは、自分の言いたいことは言う。お母さんの関心事の大部分は、お姉さんの仕事の状況が異様で、ちゃんと務まるかどうか、とても心配していました。後は、夫に対する不満、家に居候している夫の姉さん達への不満、何かにつけておかしな態度を取ってくる夫の親族達への不満等々でした。家に居候している夫の姉さんは、どう見ても赤ん坊の頃の太陽女神の顔に紙を乗せたりしていたようにしか見えないので、家族全体に対しては敵意しかない人でしたが、お父さんに対する影響力は大きくて、お父さんはかなりの割合でお姉さんの牛耳られていました。お母さんが面白いはずがありません。お父さんの親戚達は、そういう叔母さんを平気で、太陽女神の家に押しつけて面倒を見させていましたから、お母さんが親戚一同をひっくるめて、義理のお姉さんのことを面白く思うはずもないのです。で、そういうお姉さんとお母さんの対人関係の問題ごとは、「愚痴」という形で太陽女神の元に持ち込まれたので、太陽女神は一つ一つ、親身になってできるだけの相談に乗っていました。だいたい365日、そんな状態でした。肉体的には面倒を見て貰っていましたが、精神的には疲弊していた。でも、自分の問題、特に進路の問題に困って相談しようとすると、お母さんは「お前の好きにすればいい」とか、そんなことを言って親身に相談に乗ってくれません。そもそも「医者になれ」と言ったのはお母さんなので、お母さんの中には「こういう医者になればいい」というようなイメージがあるはずなのですが、そこに到達するためにどうしたら良いのか聞こうとしても教えてくれない。「好きにすればいい」と言われても、医者として「好きにやりたい」ことなど何も無いから困るのです。なんでも、好きにして良いのであれば、最初から医学部には行きませんでした。他にやりたいことはあったのだから。それなのに、相談すると、お母さんは「お前の好きなようにすればいい。」と言って、問題を放り出して、ほっておくとどんどん違う話を始める。そして、娘がまるで困っていないかのように振る舞うのです。太陽女神の方は、母親が目の前にいる自分とは、誰か違う人と話をしているようで、とても寂しく感じていました。母親が、自分の問題からだけ、逃げたくて話をそらしているのだと感じていました。でも、自分が母親の持ち込んでくる問題に、誠実に応じていれば、いつかは、自分の問題にも母親は向き合ってくれると考えていました。だって、お姉さんの問題にはきちんと取り組んでいるわけですから、自分だけ取り組んで貰えないとは思っていなかった。でも、結果的には、まともに取り組んでもらったことは一度もありませんでした。後にお母さんに、この時のことを言ったら、「お前が真面目に医者をやる気がないから、私もちゃんと相談に乗らなかった。」と言いました。だって、「医者をやりたい」と思うから相談するのでしょ、思わなかったらそもそもそんな相談しないでしょ、と太陽女神は思いましたが、もう返事をするのも嫌なので返事をしませんでした。お母さんは、自分が悪いのに、娘に謝ることもせず、そればかりか娘を悪者にしている、と感じていました。そして、それもこれも、わざとやっている、いつまで立っても自分のやったことを反省する気がない、と考えていました。でも、そうではなくて、それがお母さんの「病気」だったのです。

でも、ともかく学生時代はそんなだったので、こと自分自身に関しては、親は目の前にいるのに、いないような感じであって。寂しくて、寂しくてたまらなかった。丁度、その日、家に帰る車の中で、お母さんは「父親が亡くなった時には、寂しくて寂しくてたまらなかった」と言いました。それは抑うつ反応ですが、お母さんも同じように寂しかったんだ、と思った。お母さんはお父さんを失ったので寂しかったのですが、太陽女神はお母さんが目の前にいるのに、全く違う方向を見ていたので寂しかった。そして、お祖父さんが亡くなったのは、太陽女神が生まれて数ヶ月後です。その後3年くらい、母親が抑うつ状態であったのなら、赤ん坊の物理面はともかく、情動面の世話はどうなっていたんだろう? と思いました。母親がそんな状態であれば、行き届いていなさそうだった、と容易に想像できるからです

家に帰ってから、太陽女神は「人格障害」について、調べるように、7番目の兄さんから求められました。でも、どうもその辺りに良いイメージがない、というか、学生時代のうろ覚えの知識では、それは「統合失調症(分裂病)」の手前の手前くらいなイメージがあったからです。でも、お母さんがたびたびやるように、「尋ねたことに答えない」「その場にそぐわないことを言う」ということは、精神科的にどういう状態なのか知りたい、という思いもありました。そしてたどり着いたのが「自己愛性パーソナリティ障害」です。

パーソナリティ障害は、心身症と重度の精神病の中間の病態であって、トリイは「統合失調症っぽい性格の人のこと」と述べます。統合失調症(分裂病)は完全な病気ですので、病気が信仰すれば症状が悪化しますが、パーソナリティ障害は病気というよりも「個性」の問題であって、統合失調症っぽい性格を表出しますが、それ以上症状が悪化する、ということはありません。そして、大人になって社会に出ていろんな経験を積んで、知識や客観性が増えて、当人がいろいろと学習したりすると、障害はむしろ軽減したりします。でもたまには、そこから統合失調症に移行する例もあります。

その一形態である「自己愛性パーソナリティ障害」は、「自分は特別な才能がある」と思い込むことによる「誇大な言動」、「他者の反応を気にしない」かあるいはその逆に「他者からの評価を気にする」、「他者への共感性の薄さ」からその場にそぐわない言動をする、という特徴があります。求められている質問に適切に答えないのは、「その場にそぐわない言動をしていることになります。」そして、お母さんは割と若い頃には、「自分がエリートだから漫画なんか読まない」とか、割と頭の良いことを特別なことととらえて、誇りに思っていたように見えます。同じように進学校に進学した太陽女神は、自分は頭が良いから特別、だなんて思わずに、むしろせっせと漫画を良く読むような子供でした。実のところ、漫画は雑学の宝庫のような面があって、良いものか悪いものかは別として、読めばそれなりの知識が得られるものです。学校で教わらないようなことは、漫画を読んで吸収したこともずいぶんあったのでした。そして、お母さんは、「自分が子供にどう思われるのか」ということには無頓着だったように思います。でも、その一方で、外部の人の評価は気にしていました。例えば、太陽女神が中学生のときに、隣の家の悪ガキがドラムばかり叩いて勉強ができなくて困ってお母さんに訴えたときに、お母さんは「自分にはいいリズムに聞こえる」とか「隣近所の人に文句なんか言えない」と言って対応してくれませんでした。太陽女神は、お母さんにとってドラムがどんな風に聞こえるか知りたかったのではなく、「自分がどんなに困っているのか」を訴えたかったのです。そのことはお母さんは少しも考えてくれませんでした。その一方で、苦情を言ったら近所の人に「どう思われるか」ということは気にしていた。子供の評価は全く気にしませんが、近所の評価はものすごく気にしていたのです。トリイは、太陽女神に尋ねました。「今だったらどうしますか?」と。「今だったら自分で文句を言いに行きます」と太陽女神は答えました。全くその通りで、もう中学生だったんだから、親を気にせず、自分で文句を言いに行けば良かったのです。でも、そうしたらそこで、子供を無視して人の目ばっかり気にするお母さんと大衝突することになったでしょうが、女神自身はもう少し普通の子に育ったかもしれません。

でも、これで太陽女神が悟ったことがあります。お母さんは、おそらく幼少期との親との関わりで、解離性障害を持っており、解離性健忘で、現実のものだと思いたくないことはどんどん忘れてしまいます。その穴埋めは、自己愛性パーソナリティ障害の気質で行っている。自分は特別な人間だ、と思う気持ちが強いので、「子供が思い通りにならないのはお父さんからの遺伝のせい」でなければ「父方の叔父さんや叔母さんの遺伝のせい」と、どんどん自分の嫌いな人のせいにしてしまうのです。それが、客観的な事実であるかどうかは二の次なのです。だから、太陽女神が子供の頃、隣家に悩まされていたことについても、未だに「自分が悪かった」とは思っていないと思います。隣家から良く思われたい、というお母さんの気持ちを尊重できない太陽女神が悪者なのです。おそらく、「自分が迷惑を被っていないのだから、太陽女神が迷惑している、ということもあり得ない。子供が嘘をついて、自分を隣近所から悪く思わせようとしている。」とでも、心の奥底では考えていたのではないでしょうか。こうやって、他者の気持ちに共感できず、逆に相手に対して攻撃的になる性格、それを「自己愛性パーソナリティ障害」というのです。