本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。どうも天気図を見ると、梅雨前線が南下したので、ようやく晴れ間が出てくるようになってー;。でも、現場はまだ泥ぐちゃなので、水を汲み出したり、合羽を干して乾かしたりする以外は、一日中ほとんど寝て骨休めをしていて。

でもって、兄さん達には、要するに母親の抱えている問題は、幼少期の異常な親子関係によって、頻繁に解離性健忘が引き起こされる結果、現実の事実に対する客観的な認識が持てないこと、と、精神的に幼くて、「最終的な目的を持って行動すること」ができないこと、と言われるわけで。父親の方の問題はもっと精神的には成熟している時点での問題であって、要は「自分が欲するものを飲み食いできれば、それ以外のことはどうだっていい」ということで、医者に平気で嘘をつくのも、家族に対して不誠実なのも、全部原因はそこであるわけだから。でも、食事に関する問題は、結果として健康被害が出るから問題なわけで、逆に言えば健康被害さえ出なければ何を食べても構わないものであって、周囲に対する被害の程度も分かりやすい。でも、母親の方は、小児の精神的な防御反応が大人になってもそのまま続いて、異常をきたしているので、「最終的な明確な目的」というものがなくて、その場その場でのものだから。だから、お母さんの方は、大人が持つような「行動の最終的な目的」というものをあまり持たず、人生の目的としては、普通に収入があって、普通に安穏と暮らせれば良い、とかその程度のものしかない。そして「特定の目的」を果たすために、道筋をつけて行動していくということはとても苦手だし、そういう複雑な過程が必要なものはたいてい面倒くさがって投げ出してきてる。でも、頭の良い人だから、日常生活の中で何か問題が起きれば、常にその場その場のその場しのぎで対応してきて、そうすることで、ほぼ無目的で生きていることの代償行為としてきてた。だから、その場その場でのとっさの判断でうまく対応することは、お母さんは家族の中で誰よりも上手い。

要するに、そういうお母さんの性質は、「子供を医学部に入れれば、自動的に医者になって安穏と暮らせる」という具体性のない軽い目的で子供を医学部に入れて、でも現実には、それを実現するためには周到な準備と強い目的意識が必要と判明した時点で、そういう作業を面倒くさがって、「子供の好きにすればいい」で物事を放り出して、後は何もかも「子供が悪いせい」にして終わらせてしまっているところに現れているわけで。子供からみれば、「あんたが医者になれって言ったのに、面倒なことを何故子供に全て押しつけて放り出したあげくに、子供を悪者にするのか?」ということになる。それは、特別な家に生まれたから、とかそういうことではなくて、医者になるために勉強している子供には、全員多かれ少なかれ、必要とされる作業であるのに、親はそれを放棄している。まあ、だから子供の方は、そういう親だと思っているから、最後の病院で問題が起きたときには、最悪家の中で自分が悪者にされないために「労働組合でもどこでも一緒にいって、どれだけ異常なところなのか、自分の目で見て見ろ。それでもまた、「子供が100%悪いと言えるのか?」」って、そういう期待しかしてなかったわけで。そうしなければ、親自身が「再び医者をやれ」って言ったにも関わらず、また自分だけが100%悪者にされるだけ、って子供の方が分かってるからである。何度もおかしな世界に放り込んでくれた親自身の責任は、「そんなところだったとは思わなかった」とかそんな一言の程度で済まされて、時間がたてばまた懲りもせずに、都合の悪いことは全部忘れて「医者をやれ」って言う親だって、子供の方が分かってるのである。

でも、そういう母親の状態を甘く見ない方が良い。例えば、母親は父親の家族と比較して、自分の所は、母親は良くなかったけれども、父親は良い人であったし、兄弟姉妹は仲が良かった、とそう言う。娘の方は、そういう話をしょっちゅう聞かされてきてたから、子供の頃からそういうものなんだ、と思って来た。でも、大人になって、何かあれば自分だけが100%の悪者にされて、しかもその根拠が100%事実無根のもの、ということを何度でも経験してきて、そもそも母親の理論に根本にある「記憶」がしょっちゅう書き換えられていることに気が付くわけで。ということは、自分に関することだけで無く、母親と彼女の実家の家族との関係の記憶も「書き換えられている」可能性があるということに気が付かなければいけない。母親の述べている「兄弟姉妹は仲が良かった」という言葉がどこまで事実であるのか、「父親は良い人であった」という言葉もどこまで真実であるのか疑わなくてはいけない。彼女の記憶は、大筋では間違っていないかもしれないが、細かな部分は「自分の見たところでは6割、多ければ7割は書き換えられている」って、7番目の兄さんに言われるわけで@@。「大草原の小さな家」のローラ・インガルスの場合と同様で、ローラの主観での家族の記憶と、客観的な家族の事実の間には、細かい部分で食い違いがたくさん出てくる。でも、ローラもお母さんも、とても頭の良い女性であるので、一見すると「書き換えられた記憶」と「事実」の間には整合性があるように話が整えられていて、表面的な話からはその問題点が発見しにくいものである。娘である太陽女神がそれに気が付くのは、それだけ深く母親と付き合っていて矛盾を感じる点がいくつもあることと、女神自身が精神医学をきちんと学んだ医者だからであって、普通の人では簡単に太刀打ちできないくらいにお母さんは頭が良いのである。だから、お母さんが述べる実家での自身の家族関係については、「6,7割は事実に基づいていないこと」、そこまで悟ることができて、始めて医学部で潰した10年は無駄ではなかった、って言えるといって良いくらいだと思っておいた方がいい、って7番目の兄さんに言われるわけで@@。

だから、そういうお母さんが、分離不安からさまざまな中傷を仕掛けて振り回そうとしてくることについては、振り回されすぎないように注意するように。そして、「太陽女神自身に向けられた不当な中傷は、女神に直接指示を出している、自分自身に対する文言であることは承知しているから、女神が一人で不当な中傷を受けている、とも思い悩み過ぎないように。」と、7番目の兄さんに言われるわけで。7番目の兄さんは、表向き妻神と結婚する気がないので、お姑さんとかに余計な気を遣う気も全くないわけで。そういう、義理の親へのご機嫌織取りやごますりは、表向きの夫になる蛇の兄さんが思い切りやればいいこと、ってそういう人なわけだから。蛇の兄さんのほうは、すり鉢を用意してごまする気が満々の人なんだよね、まあ、世の中ってそういうところなわけですがー;。