本日の日誌

とりあえず要点のみ。昨日は「THE MUSIC DAY」のさわりを見て寝る。渡辺美里ちゃんがゲストに出ていて、「我の名前はアメン・ラー。ローマ人を辞める気はないけれども、できる配慮があればしてあげよう。」と言われて、彼女がローマ人の中で得ている名前を教えてくれた。で、なんで今更そういう気になったのか、といえば、たとえローマ人でも、受けることが可能な医療は受けて然るべき、と述べたかららしくて。

で、出かけている時に、親と揉めるわけですが、親が出鱈目なことを並べ立てる上に、「親の義務」がどうのとか言い出すので、どうも頭が混乱するわけで。どうやって、自分の気持ちをうまく纏めるべきなのだろうか? と思っていたら、北山君が降臨してきて、「そもそも、お姉さんが荷物を運んでいるのは、お母さんや妹をサポートするためにやっているのだから、サポートする側が、妹に『自分をサポートして荷物を運べ』と言うのは本末転倒している話。しかも、通路が狭くて二人で荷物を運べないから、妹が遠慮して荷物を運ばないのは、事実なので、通路の広さを客観的に確認せずに妹を中傷するのは100%お母さんが悪い。しかも、お姉さんがトイレに行っている隙なんかに、荷物を運べ、ということは、お姉さんの行動をいちいち観察していて、気を配って荷物を運べ、って言っているのと同じことなんだから、そんなことに気を使うくらいなら、それこそ『荷物を全部自分で運べ』って言われた方が、余計な気を使わなく済んで、自分のペースで気楽に荷物を運べるわけで。そもそも、妹が要求していることは、『荷物を運んで欲しい』ということではなくて、『所定の場所に自分の物を置いておいて欲しい』ということなんだなら、それをやらないでおいて、荷物を運んでいることだけ恩着せがましくすることもおかしい。だいたい、家族の中だから、『所定の場所に~』という話で済むけれども、世間に出れば、他人の物を、当人の断りもなく、持ち主が見つけられない場所に置くことは立派な「窃盗」であり「犯罪」なので。犯罪者が、自分の気の向いたことを気の向いた時だけ助けてやっているから感謝しろ、と言うなんてなんて、それは隣のローマ人や工務店の主人が言ってきていることと全く同じ。妹は神であり、それこそ頑固で融通の利かない「夫」を20人以上も抱えている身だし、常時「目の力」を使って味方と情報の交換をしている状態なのだから、集中力や気力の全てはそれに注がれており、「身の周りの掃除をしない」の例の通り、そもそも20代の頃から、身の周りのことに気を配るような余裕が全くない状態におかれて、ただなりふり構わず生きてくることしかできない状態であったわけで。「目の力」は使いすぎると精神的に破綻を来す。ASKAさんの例の如く、hide兄さんの例の如く、そして父方の一番上の叔父さんの如く、使いすぎたら廃人になるしかないもの。だから、お母さんにとっては、歴史的に有力な「王族」とか「神官」というものは、人々を搾取して贅沢をしているもの、という認識しかないかもしれないけれども、何故彼らがそれを許されているかと言えば、その代わりに強力な「目の力」で情報を集めたり、判断したりして、人々を守っているし、その結果自分のことに構う余裕がないし、自分の身の周りのことにまで気を使えば、精神的に破綻する確率が高くなる、ってみんな知っているからなので。サポートをする気があるのならあるで、妹に余計な負担をかけないようにきっちりサポートするのが当然だし、中途半端に都合の良いことだけサポートして、「サポートしてやってるんだから、逆に感謝して自分をサポートしろ」なんて、言うならするな、とそう言ってやるのは当たり前のこと。しかも妹が要求していることは「窃盗をするな」ということなんだから、それを無理難題なことみたいに大騒ぎする方が間違っているに決まってる。」と、そう言われるわけで。だいたい、母親の抱えている「問題」というのは、「子供を育てる時に、自分の親のやったことを参考にするしか無い」とか、何かにつけて「親」のことを持ち出すことであって。だいたい、親なんていようがいまいが、20歳過ぎたら、自分のやったことは自分で責任をとる、というのが当たり前の世の中であるので、20歳過ぎて子供を産んだら、子供は自分の親のやったことを参考にして育てるのでは無くて、自分自身が自分の責任で育てるものなので。表向きの子育てのやり方も、方法論も時代によって違うものだから、そもそも親のやったことを引き合いに出すこと自体が、親から自立できていない証拠。「子供が親から自立する」とは、どういうことなのか。それは経済的に自立する、とか離れて暮らす、とか、「親を見放した」と言えば自立したことになるわけではないので。子供が、いつまでたっても「親が」「親が」と繰り返して、自分の頭で物事を考えたり、判断したりしようとしないこと、それが「自立ができていない」ということだから。結局母親は、80歳を過ぎても、自分の親から精神的に自立できていない人、であって「親」というものに捕まったままなのである。

普通の正常な「親子関係」であれば、子供が小さい内は、親は躾をする存在でもあるけれども、何かあったときに子供を全面的に守ってくれる存在でもある。幼少期の「正常な親子関係」は、子供が「親に全面的に守って貰えている」という信頼関係と自信の上に築かれる。親は子供にとってそういう存在だからこそ、時に厳しい躾を行っても、信頼関係は維持される。でも、子供が成長すれば、今度は親の価値観ではなく、自分の価値観で物事を判断しようとするようになる。親の行ってきたことには批判的になる。それが「反抗期」の始まりである。その結果、外に出て自分でいろんなことを行うようになるし、親の保護下にあったときよりも失敗は増えるかもしれない。でも、そうして自分で経験を積んだ結果、親にとっても子供にとっても、「親子は互いに異なる人格を持った存在だし、大人になったからにはそれぞれの人格を尊重して、今度は大人として対等に付き合うべき存在」となる。それが「自立」ということだから。そこで、親子関係が破綻して、以後は離れて暮らして口もきかない、というのは正常な「自立」ではない。お互いを尊重しあいつつ、必要な時には家族として支え合い、助け合う。そうやって、今度は大人同士の新たな信頼関係が築かれる。それが正常な「自立」であって、それはその人の人間関係の全てに影響を与える。兄さん達だって、お互いに好き嫌いは激しいし、言いたいことを言い合うわけだけれども、でも「目的を同じにしている」ことに関しては互いに協力しあうし、助け合うし、その点に関する信頼関係だけが強固に結ばれていて、それが兄さん達を一つにまとめているし、「家族」という単位から始まって、「仲間」とか「友達」の安定した信頼関係とは、互いに「いざという時に助け合える、支え合える」という信頼の上に築かれるものである。だけど、母親は自分の親から正常に「自立」できていない。子供の頃の虐待から始まって、大人になって「実の親は頼れないけれども、婚家の親は(何故か)まだ頼れる」という判断の下に、「実の親を見放した」ことが「自立」だと考えている。でも、「婚家の親の方が頼れる」という言葉の通り、実態は、幼少期に実の親との正常な関係を築けていないから、その結果親との激しい「分離不安」を来しており、大人になってそれが「婚家の親を頼る」という方法に「代替」を求めているだけであって、子供が親に対して正常にとる反抗期もとってなければ、正常な自立の過程も経ず、いつまでも親から「自立」できていない。で、婚家の親も既に亡い今は、子供にその代替を求めている。要するにそうやって「代替」を求めている限り、親からは自立できない。で、今現在の母親の「親」とは姉娘のことに他ならず。姉が妹の物を「窃盗」すれば、非難されて当然だけれども、母親は幼児が自分の親のすることを全て正当化するのと同じ理論で、非難する妹の方を逆に非難したり、中傷したりして憚らない。あまりの出鱈目さに泣いて抗議すると、今度は「言い分に困ると泣き落としをする」とかって、また出鱈目なことを並べ立てるから、本気で娘と真面目に向き合って話をする気がないのは明白なのだけれども、言い分があまりにも出鱈目すぎて、話のとっかかりが見つからなくて私が困っているから、北山君が助っ人に来てくれたわけで-;。母親が実の親との深刻な分離不安を起こして、その結果姉娘に異常な形で共依存していても、普通の家庭であったら兄さん達は「お構いなし」とするであろうけれども、今はそういう家庭内の「歪み」に敵も蛙の王家も情け容赦なくつけ込んでくる状況なので。姉娘に対して異常な関係をやめられないにしても、妹娘に対しては親として「正常な自立」を目指すべきだ。妹娘が要求しているのは、「他人のものを窃盗するな」「できる範囲でサポートしてくれる気があるのなら、サポートする相手に負担をかけるようなやり方はやめてくれ」という、世間一般に出ても、ごく常識的なことだけなのだから、ということで。母親が実の親との深刻な分離不安を来している、という点が「神婚」に対して、どういう影響を与えるのか、ということを兄さん達、特に精神医学に詳しい7番目の兄さんは非常に心配しているわけで。

で、心配はともかく、そもそも「蛙の王家」とは何者なのです? 富の王家の人達よりも威張ってますよねえ? と思うわけで。で、結局西欧の「王家」というのは、長くても1000年くらいの歴史、ということで、実力主義が徹底している場所では、「古い家柄」はあっても、そのまま権力を維持できている家はほとんどないわけで。日本の天皇制は2000年近くの歴史を持っていて珍しがられる。その裏にいる富の王家はヒッタイト帝国の時代まで含めて3500年の歴史を誇る。でも、東アジアで「名門中の名門」と自負してる蛙の王家は、「長江文明」を作った古蜀の王家の末裔で20000年の歴史を誇る。だから、そもそも桁が違う。生き残るためのしたたかさなんて、とても富の王家なんか足下にも及ばない人達である。中国本土は共産化されてしまっているけれども、多くの「同族」は、政府が誰になろうがあんまり強力に支配できないような山間僻地に少数ずつ暮らしており、表向きはどんな政府に忠誠を誓っても、自分達の流儀を変えずに閉じこもって生きている。一方、政治や経済を動かし得る「力」を持っている人々は、共産化の国をとっとと抜け出して「華僑」として世界各地に散らばり、やはり自分達だけのコミュニティーを作って「中国人」で有り続けている。その一方で、住んでいる国の経済に大きな影響力を与えて、間接的に政治をも動かしている。だから、蛙の人たちは彼らの「太陽女神」の力が正常に働いて、多くの神々の上に君臨する存在となれば、「全世界をその掌中に握れる人達」であって、富の王家は彼らから見れば「使いっ走り」程度にしか過ぎないもの、って言われるわけで-;。

だから、太陽女神が「富の王家」の方に出そうになればなるほど、蛙の王家の方からは「「男娼」の妻で良いのか。もし、自分の存在が表の世界に漏れ出ることになれば、それは結局は多くの男娼を手玉に取る「娼婦の女王」という扱いしかされなくても、それでも良いのか?」と念押しが来るわけで。そして北さんからもわざわざ確認が来るわけで。例えば、筆頭は、表の世界では、長い付き合いの女優の彼女がいて、その一方でAV女優とも体だけの関係を続けていて、更に他の女の影も絶えない「だらしない男」とされている。しかも、そういうネタが漏れると、事務所の力で全部もみ消そうとして貰うようなゲスさ加減である。そういう男に対して「愛している」とか「信じている」と述べるのであれば、どういう観点からそう述べるのか。

1.マスコミとは嘘を平気で書くものだから、マスコミの嘘なんか信じないから「信じている」し「愛している」

のか、それとも

2.その人がそういう行動をしているのは、彼なりの事情があるからで、彼の本当の気持ちがどこにあるのか理解しているから「信じている」し「愛している」

のか、どちらなのか? と問われるわけで。それはもう、いやもう、笑うしかないでしょ。兄さん達は、自分達が「男娼」だって罵られても、誰も「そうでない」とは否定しないので。なんでしたっけね? 「多くの男娼を手玉に取る娼婦の女王」だっけ? 兄さん達のやっていることをどうのこうのと言いつのって、自分だけ小綺麗な世界で「お医者サマの奥様」とかやってたって意味ないでしょ。それが「事実」であれば、そう呼ばれることに何か不都合が出てくるのですかね? ということで。「文姜以来の傑物って言われるようになるよ。」って言われる気がするわけで-;。それは、2700年くらい前の羌族の王女で、太陽女神であった人のことでしょう? と思うわけですが。実の兄と男女の仲になって、自分の夫を殺した女性である。でも、政治家としては超一流であって、彼女が生きている間、その地域の政治は安定していて人々は安寧に暮らすことができた。(ちなみに、彼女が殺した旦那との間に生んだ息子は、しっかり父親の跡を継いで国王になったわけですがー;。)古代中国の歴史上で、「なんで実の兄と不倫して夫を殺した」のかが「最大の謎」とされる女性である。でも、私から言わせれば、同族婚を重要視する蛙の王家の人々から見れば、「実の兄」こそが彼女の「正式な夫」であって、表向きの夫は、父親の後を継いで婚家を乗っ取るための男の子を産む政略結婚の相手にしか過ぎなかったんだよ。だから、目的を果たしたら、夫は用なしになって殺されてしまった。でも、表沙汰になってもならなくても、蛙の王家はそうやって20000年もの間、東アジアに君臨し続けた人々の集合体でしょ? そのしたたかさに際限はなく、単なる世間知らずのひよっこに過ぎなくても、私もまたその血を引いていることはお忘れ無く、と思うわけで-;。でも、今のところ裏山に住んでいるお偉いさん達とは気が合わないわけで。だから、何を言われようが、富の王家のアナーヒットちゃんでけっこう、と思うだけなわけだからー;。それ以上でも、それ以下でもないわけです。でも、ここまで書いたら、たまたま目にした近藤さんに「自分は太陽女神をそんな目に合わせるために事務所に入ったわけではありません。」と言って泣かれてしまったわけで-;。こうやって、いろんな人が、「目の力」を使って言いたいことを言ってくるし、一人一人が重要人物で気を遣わなければいけない相手だから、自分の周りのことにあんまり気を遣う余裕がないのですけれども? と思うわけで-;。何と呼ばれても構わないから、まずは睡眠時間を下さい、とそう思うだけです(泣)。