昨夜は「夜会」を見て寝て。どうも「夜会」を見たら、家人の「ペットを飼いたい病」に火がついてしまって、「あれー?」という感じであって。で、しかも今朝は確実に裏玄関に置いておいた電気ストーブが車に積み込んでいなくて、これも「あれ-?」という感じであって。
ペットというものは、要するに「家畜」の変形版であるので。家畜というものは、食べるにしても働かせるにしても、「人間の役に立てるもの」なのだから、役にも立たない動物なんて飼っちゃ駄目だし、「役に立つもの」であれば入手手段に高いお金を出して買おうが、タダで手に入れようが、それは手に入れる人の考え方とかセンスの問題だから、それについては問題なし、って、某ノルウェーあたりの国王様から言われるわけで。例えば、たくさん乳を出す良い乳牛が欲しければ、高くても買うかもしれないし、普通の乳牛で良ければ安いので済ますかもしれないし、っていうことで。でも、テレビの中で何が一番良くなかったか、というと、それは「一人暮らしで寂しいからペットが飼いたい」って言ったこと、って言われるわけで。だいたい、親元から独立したての若い人が、「一人が寂しい」って思ったら、それは本能的な衝動でもあるので、それを元にして生涯の伴侶を見つけたり、良い伴侶を得るために自分自身を磨くために頑張るべきものであって、動物というものはみんなそうやって大人になって子孫を残していくものなんだから、ペットで寂しさを紛らしたりして、「一人が当たり前」なんてことになると、子供も生まれにくくなるし、結局敵の都合のいい人ばっかりが子孫を残す世の中になりかねないから駄目、って言われるわけで。しかも、誰かが「寂しい」って思ったら、それは社会のシステムとかに何か問題があるからかもしれないし、そういう問題を直視して、考え、よりよい方向に解決していくのが人間なのに、ペットに逃げたら問題は何も解決できないままになるし。ヒンドゥーの歪んだ例を見習ったらいけない。彼らは、牛を神サマとして大切にするけれども、人の命の方は「前世の因縁」とかそういうことを前面に出して、現実に同胞を助けることとか、そういうことにはあまり興味を持たない。でも、みんなが本当に幸せに暮らしていくために、変えていかなければいけないのは、いつの時代だって「今の問題ある現実でしょ」って言われるわけで。要するに、動物の存在に頼って、現実の問題を直視できなくなれば、家畜を飼う人ではなくて、猫に仕える猫様教の信者、犬に仕える犬様教の信者、ということになって、それこそ動物の神様に食い物にされるだけの人間になっちゃう、って言われる気がするわけで。そういうこともみんな敵の陰謀なんだー、と思って。いつでも、人が現実の問題から目をそらすように、ってそういう「娯楽」とか表面上だけの「癒し」みたいなものだけを与えることは、敵はとても長けているんだな、と思って。
どうも、いろいろと状況を検討した結果、ストーブの方はわざと隠されたことが分かって、犯人も分かって。だいたい、大きなもので、裏口に置いてあるわけだから、3人の人間がそこを通って、積み忘れに気が付かない、ということがそもそもおかしなことなわけです。それで結局気をつけることになって-;。なんだか大変な一日だったのでした。