本日の日誌

今朝方は夢は見ず。「はじまりの風」で目が覚めたわけで。

で、「ユダヤの民」というのが、過去に存在した小さな国の民に過ぎないのに、何故世界的に、そんなに重要なのかというと、彼らは元々ヒクソスという集団であって、そのヒクソスは、地中海の北岸や黒海周辺から南下してきた東欧系の人々と、メソポタミア方面から移動してきた中東系の人々の混合集団ということで、地中海東岸地域を拠点にして活動していたわけですが、その地域が干魃に陥ったときに、生存のために肥沃な土地であった古代エジプトに攻め込んで100年くらいはそこに住んでいたわけです。でも、その一部は「出エジプト記」の如く、エジプトを出て、再び地中海東岸地域に戻り、古代イスラエルを形成したということで。で、最初はそれぞれの部族の連合国家の様相を示していたものが、やがて王制に移行して、ダビデ、ソロモンの2王が続いた後に、国家は十支族の北イスラエルと、二支族の南ユダに分裂してしまい、やがてどちらも大国に滅ぼされて歴史の上から消えてしまうわけで。で、そもそもなんで2つに国家が分裂してしまったかといえば、北イスラエルの人々は、連合性を支持する人々であって、古代エジプトやメソポタミア的に、豊穣と死滅、始まりと終わり、というような季節の循環の思想を重んじていて、バランスをとっていろんな人達が協力して、協調して外敵にも対抗していこう、という思想を持っていたわけです。で、「外敵」というのは略奪主義、搾取主義の思想を持つ人々であって、具体的にはそういう人々は何かあると次々に北方のヨーロッパ方面から侵入してくる「デーヴァ信仰」の人々であったわけです。だから、十二支族に中にも、古い時代にヨーロッパ方面から南下してきた人々は、「デーヴァ信仰」の人達と近い文化を持っていて、ほぼ共通の先祖、思想、文化を持っていたわけですが、北イスラエルの人々は、そういう思想とは袂を分かって、古代エジプトやメソポタミア的な、「豊穣の循環神話」を採用して、それが最終的に「ゾロアスター教」というものに結実していくわけで。で、一方南ユダの人々は、ローマのサートゥルヌス、ギリシャのハーデースと共通の名前を持つ「セツ」を先祖に採用して、独自の神話を形成したわけで、それはヨーロッパ方面の略奪主義、搾取主義と共通の思想なわけで。で、その思想が「デーヴァ信仰」ということになりますので、今世界を席巻している思想には、北イスラエル由来の「協調主義」の思想と、南ユダ由来の「搾取主義」の思想にほぼ2分される。だから、その2つを統べる「神」がどちらの思想を選ぶのかは世界中に影響を及ぼす重要な事項、って言われる気がするわけで。

で、ここにきて、改めて「神聖四字(HWHT)」の意味を問われたわけですが。この通称では「ヤハウェ」として有名な神の名前は、子音からいけば「HW」と「HT」に分かれることはすぐに分かるわけです。で、「HW」というのは「KB」と共通した子音ですので、ヘバトとかの太陽女神と共通した名前であって。で「HT」というのは、古代エジプトの蛙の女神ヘケトと共通の子音ですので、どちらの名前も「蛙の太陽女神」から派生した名前ではあるわけです。でも、西方の蛙の神サマは、性質が割と多様化しているわけで、東洋と同じく「豊穣の太陽女神」である神サマもいれば、むしろ「冥界神」というか「死神」として扱われている神サマもいる、ということで、悪名高いセト系の死に神も「ST」とか「HT」という子音を持っているから、子音からでは豊穣神なのか、冥界神なのかはっきりしないわけで。で、神聖四字というのは、結局イヴ(HW)とアダム(HT)でしょ? って言われるわけで@@。要するに南の人達は、その男女の1対を、祖神としても先祖としても採用しているわけですが、「神が直接人間に先祖になっている」というあまり合理的でない神話は採用せずに、その名前を「神」と「人間の先祖のアダムとイブ」に分けた、って言われるわけで。だから、北イスラエル的な循環の思想家からいえば、「生み出すイブ」が「始まりの女神」であって、夫のアダムが、敵を討ち果たす「終わりの男神」なわけです。で、その双神のバランスがとれている、というのが北イスラエルの思想なわけです。でも、南ユダ的にはどうなるかというと、「神聖四字(HWHT)」というのは、古代ギリシャのコレー(HW)とハーデース(HT)に相当する神々、って言われるわけで。それは、れっきとした「冥界神の夫婦」であって、搾取と略奪しかしらない神々なわけです。で、その思想はローマに取り込まれて、現在に至るまであちこちで利用されているわけだから。そして、「世界」は北イスラエルの王族と、南ユダのダビデ王家の両方の血を引く「後継者」がどちらの思想を選ぶのかを注視しているわけですが、如何せん、その「後継者」の後見を務めている人達は、東洋の蛙の人たちと、日本の古来からの東国の縄文系の人々ということで。後見人達は、世界的には希に見る「第3者」ということで、彼らの目から見れば、北と南の思想の対立は、地中海周辺の諸民族の間での「内ゲバ」くらいにしか見えていない、ということのようで。自分とこの神サマをそんなヘンなことには係わらせたくない、っていうのが本音らしいのですが-;。だから、お外の人達は、かつて十二支族が一つであった頃の、彼らを一つに纏める「目の力」を持っている「青い目の蛙」に期待することが大きくても、ごくごく身内がそんなこた全く期待していない、ということで-;。みんな、一蓮托生も同然なのに、何を言うか、と思うわけですが-;。で、結局北の王国には後継者たる蛇の兄さんがいて、南からは私の目と結縁して、ユダ族の血を引く女神が誕生した、ということで。彼女が、南の人々の力をとりまとめて、こちら側に合流すると宣言すれば、再び十二支族が一つであった時代の同盟関係を取り戻せるのではないのか、と言われる気がするのですが。(というか、そういう流れができつつあるので、「神聖四字」の秘密が明かされることになったんですねえ? と思うわけで。)

ヒクソスの「青い目の蛙の太母」は、元々は略奪主義と搾取主義の冥界神であったわけで。平和主義に転んでも、元々の性質を持っていることは求められるわけで。私は、7番目の子のことを「気性の激しい人だと思う」と言ったけれども、自分だって、本当に追い詰められればただ一人であっても、敵に刃を向けて牙をむくような激しい気性を持っているでしょうが? って言われる気がするわけで-;。何も分かっていないのに、そんなことして裁判を起こしたりすることは、蛇の兄さんから見れば怒り狂ったカーリーの所業も同然で「正気の沙汰ではない」わけですが。でも、トラキアや印欧語族といった好戦的な性質の強い人達は「そのくらいでないと軍神とはいえない」ってのたまう気がするわけで。

最近では、蛇の人達であったら、蛙の人たちのことを憚って私に直接言ってこないようなことでも、「同盟関係」にあるいろんなお味方がご注進に及んでくれるようになった気がするのですが。ともかく、仲間内で度の過ぎた意地悪をされるのも困るし、私の動向をいちいち蛙さん達に束縛されて指図されるのも困るの、ということで-;。話し合いの結果、というか、私の分身の蛙の子は、「自分のお婿さんに意地悪をするなら本当に縁を切ってやろうか?」って蛙さんたちを脅したらしくて。(というか、そもそもうちの親自体がそっちとは「付き合っていない」って公言してるわけだから、表向きだけでなくて、実際にそうしても親不孝とか言われる筋合いはないぞ? という気もどこかでするわけで-;。)蛙さん達も、一応は「意地悪はしない」ということになったらしいのですが。いろんな人達は、「今から防衛の準備をすれば、外の人達もこの冬を乗り切っていくのに充分間に合う。」とか、「そうやって統領として全体の方針を決めていくことも大事。」って言ってくれる気がするわけで;。蛙の人たちからは、「そうやって人の言うことを全然聞かないところは、本当にあんたのじいさんにそっくり。」って言われるわけですが-;。しかも、「好きになる異性の趣味もじいさんと同じで悪い。」って言われるわけで;。なんでもいいや、ともかく全体の意見を一つに纏めることができれば、って思うわけですが><。蛇の兄さんは、今日は朝から、どこにどれだけの力を分配するのか計算してた気がするわけで。私の方は、あいもかわらず「暇がある限り結縁」ということで。工事の再開が迫っているので、ヘリがけっこう出る気がするのですが、でも、とても遠かったり、音だけで見えなかったりするので、特に危機的な状況というのではなくて、「気をつけるように」ということだとは思うのですが。まあ、相手方が唐突に何を言ってくるのかも分からないから、気をつけます、ということで。

本日の日誌

ええと、昨夜は「愛に生きる」って書いたら、蛙の一族郎党の人達のウケは大いに悪くなったわけですが。印欧語族の人達には、「かけおち婚」だって言われて割とウケが良くなったわけで。何故かというと、ヨーロッパの古来からの結婚形態というのは、血縁を基盤とした小共同体が各地にあって、でも、近親婚は血が弱まる原因になるので、余所の共同体の人と結婚しなければならないわけで。それで、余所の共同体から、お嫁さんを「略奪してこれる」というくらいの実力がないと、一人前の「夫」として認められなかったらしくて。略奪された側の親族は、当然娘を取り戻そうとして追いかけてくるので、そういう追撃もかわせるだけの実力がないとダメだ、とされていたらしいのですが。でも、現実にはそういう「理想的?」な結婚は少なくて、大抵は両方の親族が同意しての円満結婚に落ち着くので、略奪婚と言っても形式的なものが大部分だったそうで。そもそも、新婚旅行というのは、「駆け落ち」する二人が、結婚のお祝いに貰うご祝儀とかで、あちこちちょこちょこと観光旅行をしたりしてから、新居に落ち着くという「略奪婚」の習慣から始まったもの、ということで。でも、東洋的な母系社会では、妻の側が自分の一族の意向を無視して駆け落ちするなんて「不良娘」そのもの、ということで。相変わらず、「東洋的」な結論を滅多に出さない目だねえ、って言われるわけですがー;。でもまあ、「八坂刀売は富の王家の女神なんだから、同族とあまりにもソリが合わなければ、お外に出たときの後見は、富の王家が引き受けて上げてもいいよ。」って言ってくれる人達もいるらしくて。蛙さん達が、「そちらの管轄は西国で、東国は自分達の管轄なのに。」ってブツブツ言ってた気がするわけですがー;。(富の王家の人達は、杵築の大社を乗っ取った蛙の子の本体に会ってみたくて、けっこう興味津々だって言われる気がするわけで-;。)ともかく、略奪婚を採ったら、またちょっと人気が上がって、デーヴァの人の味方が増えたらしくて。蛇の兄さんからは、「相変わらずヘンなモノに懐かれるね。」って言われた気がするわけですが-;。なんというか、西方の思想が強い人の方が考えが合う気がするのですよねえ? と思うわけで-;。で、いろんな動画の整理もそろそろ一段落、ということで、昨夜は昨年の「SONGS」の福山君が出演の回を見て寝たわけで。香港のライブなんかは、客席の気に押されている、ということで、「もう少し力の使い方を効率良くしないと。」って7番目の子が呟いていた気がするわけで。

で、昨夜はなんというか、アニメっぽい夢を見て。なんだかヘンなモノに追いかけられている女の子が赤ん坊を抱えていて。で、いろんな人がリレーするようにして、彼女を運んで逃げているわけで。で、途中でその子が何かに取り憑かれたようになって、一人で敵に立ち向かおうとするわけですが、それを何とか正気に戻して、最後に彼女と赤ん坊を待っている人の所まで、無事に届けて、そこで目が覚めて。たぶん、「待っている人」というのは蛇の兄さんのことで、運ばれている女の子は私のことだと思うのですが。抱えている赤ん坊は? って思ったら、それは一番目の子のことでしょ? って言われる気がするわけで。蛇の兄さんから見れば、彼の「力」はその程度のものにしか見えないし、だからこそ1番目の子と、2番目の子は蛙さん達の手厚い保護の元で生きているし、そうするしかない所があるんだな、と思うわけで。蛇の兄さんも一応、一番目の子の事も纏めて守ってくれる気はあるわけです。ただ、最低減必要なことしかする気が無いだけなわけで-;。でも、いろいろと総合すると、兄さんはこういう夢を割と整然と送ってくるのが得意な人なんだな、と思うわけで。

で、ゾロアスター教を奉じる蛇の人達には、可能であれば、敵と対抗して戦っていけるだけの力を取り戻したいし、そうやって世界を安定させたい、という理想があるわけです。でも、要するに蛙の人たちとか、東国の縄文系の人達には、そういう「世界的」な理想が非常の乏しいので-;。彼らは彼らで、蛇の人達に賛成できるところは賛成しているし、同盟も結んでいるわけですが、自分とこの神サマはひっそりと守っていければそれで良い、と思っているわけで、できれば危険が待ち構えていそうな「お外」なんかには出したくないということで。そして、実際1番目の子とか、2番目の子には、そもそもライブとかコンサートとか、その必要もない場合には「怖くて見にいけない」でしょ? と思うわけで。蛇の兄さんに「唐変木」とかって言われてしまっても、彼らはそうやってできるだけ敵の気が多いところに近寄らないようにして、真面目に生きていくしかない、という気もするわけで。でも、印欧語族の人達とかが、「自分達の神サマの名前も貰って欲しい」って私に対して要望してくるのは、私だったら経歴からいって、そういうところに潜り込んでもある程度耐えられる、って分かっているから、ということで-;。でも、蛙の人たちは、そういうことにはできるだけ係わらずに、「太母は大人しく家の中に居るもの」だと思っているし、蛇の人達の理想とかも根本的にはどうでも良くて、蛇の兄さんとかは、文字通り「番犬」として使えれば、それ以外の点では、余計なことをやったり考えたりしないように、兄さんの力をできるだけ削いでおく方が良い、と考えているということで。まあ、私と同様、思い切りのいいど田舎の山の中に隠れ住んで、私みたいな人材を輩出する一族郎党なので、そういう底意地の悪いことを考えている、って言われても、さも有りなん、という気がするわけで、自分の親戚一同なんだから、そんなに性格が良いはずが無い、という気がどうにもするわけですがー;。(でも、神官長家は、富の王家に自分達の「大姥サマ」を総取りされちゃうのがイヤなので、下の方には「できる協力はするように」って言っているらしいのですがー;。)

で、今日はさっそく、追加して買った嵐のDVDが来たので、「まずは、それを見ることが今日は最優先」って言われるわけで。で、以前に買ったものが2013年のライブビデオ、今回買ったものが2014年のライブビデオで、12月23日に収録されたもの、ということで。それは丁度福山君の「野郎夜」と同じ日のことですねえ? と思ったわけで。最近では、芸能関連の世界からはけっこう遠ざかっていた私ですが、どうやら年末から年始というのは、いわゆる「年越しライブ」というものを含めて、コンサートが多いものらしくて。で、2013年のものに比べて、2014年のライブは、客席の敵意と禍々しさがパワーアップしている気がするわけで。見始めるととっとと7番目の子も降臨して、敵意を適切に処理しようとしてくれるわけで。7番目の子は「成功と転落は紙一重」って言うわけで、人気者になって大きな箱でコンサートができるようになれば、経済的には儲かるかもしれないけれども、結局それは精神的には「代償行為」であって、客席からぶつけられてくる敵意をまともに直接受けなければならなくなるわけで、それを「適切に処理」できずに、逆に相手の目に巻き込まれたら、ステージの上にいる人が悪夢を見るようになって、眠れなくなって、精神的に崩壊していくような羽目に追い込まれるわけで。「だいたい、コンサートの1回や2回に失敗したからって、それで精神的に追い詰められて麻薬に手を出した、なんて話は全く信用してないでしょ?」って言われる気がするわけで。あの人は、頑張って応援してくれ過ぎて、敵の集中砲火を浴びて潰されたのだし、そのことを我が家だけは忘れてはならない、と思うわけで。だから、ウォークマンからもカーステレオからも彼らの曲は外してないでしょ? そうすることでしか、彼らの苦労と苦難に報いることが我が家にはできないから、ということになるのですが。それはともかく、2013年と2014年のライブで何故、こんなに差が出るの? と思うわけで。で、そうすると、7番目の子からは、こうやって客席からの敵意を完全に押さえ込むだけの力を持たない彼らの「人気」の理由は何か? と聞かれるわけで。結局2008年前後から、嵐と福山君の人気は顕著になっていくわけですが、嵐の人達は元々2番目の子を応援している人達だから、彼らの後見には蛙の人たちがいるのであり、蛇の兄さんには当然富の王家が付いているということで。そういう人達が、状況に併せて総力を送ってくれるから、そういうことになっていくらしいのですが。でも、2013年に比べると、2014年には4番目の子が正式な「夫」に決まったから、彼らに対する風当たりは倍増しになっている、ということで。でも、現在のところ、6番目の子は蛇の兄さんと協調して蛙さんたちとは対立する政策を採っているので、蛙さんたちは同族の4番目の子は守っても、6番目の子のことは守ってくれないだろうし、彼は新興の神サマであるので、強力に後見してくれる一族郎党もないも同然、ということで。それで、結縁する機会があれば、なるべく6番目の子を最優先にして、彼に私が直接「目を掛けて」欲しい、と言われる気がするわけで。そうすれば、そうするだけで、いろんなところから集められた「応援してくれる気」は、彼を守るために優先して分配されることになるだろう、って特に印欧語族の人達から言われるわけで。守護の力が足りなければ、力の組み替えを行ってでも、余剰分があればそちらに優先して回すようにするから、と蛇の兄さんからも言われる気がするわけで。結局、敵の引き延ばし作戦の結果、新しい家はどうみても年末までには間に合いそうもないわけですし、急ぎすぎてゴミが多量に残るようでもイヤなわけですし。そうすると、年末のコンサートラッシュで、弱い所が狙い撃ちされる、って警告が来るわけで。結局、それが敵の狙いでもあるんですねえ? と思うわけで。稲垣君と二宮君と、「守る力」が強い二人が「関係者」の列に加わったのも、その対策のためなんですよねえ? 「夫」に決まれば太陽女神の元に集められた気を優先的に分配して貰えるから? と思うわけで。蛇の兄さんと、7番目の子は自前でも自分の身を守れるだけの力を持っているけれども、弱い部分の補強、特に強力な後ろ盾を持たない人達については、クシナダヒメの如く、私が全体に対して、「彼らの守護を優先にすべき」と号令して自ら守護に努めないといけないらしいのですが。それで、みんな蛙の子を頭の上に載せて「クシナダヒメ」っていうのをやりたがるんだ? と思うわけで。もちろん、必要があれば6番目の子の守護を最優先にして下さいな、と思うわけで。こうやって周囲の敵意が相当強い時にまで、蛇の兄さんの力を削ごうと画策しかねない蛙さんたちもどうなの? とも思うわけで。もうちょっとこちらに協力的でも然るべきだと思うのですがーー;。

今日もヘリとか消防車が出たわけで。設備屋さんとかにも、まだまだ言わなければいけないことがあるので、そういうことを忘れないように、とか、ゴミ拾いも大切ですけれども、敵の動向にも注意しなきゃとか、そういうことなのだと思うわけで。なにせ、今日もお手紙を出すだけで、かなりの邪魔がありましたし、家人の中にもちょっと妙なことを言い出す人がいたし、この3週間というもの、敵が引き延ばし工作をしている間、敵の精神的ないやがらせもものすごくて。良く考えてみたら、蛇の兄さん、4番目の子、5番目の子、6番目の子と、ほぼ全員がネットニュース等で、女性関係に関するネタを多かれ少なかれ、この短期間に集中して書かれていた気がするわけで。そうやって、関係者と私との仲を露骨に裂こうとする動きが激しいので、女性陣が大活躍、ということになったのですが。我が家の家人は私以上に「目」が見えていなくて、「客席からの禍々しい敵意」とかって全く理解できそうもないので、ライブでお客が何人、っていうと、お金の勘定しかできなくなってしまうわけで-;。あのものすごい敵意が見えたならば、外の人達がどんなにきつい状況に置かれているのかも分かって貰えると思うのですが、現状ではライブビデオを見せれば、「敵意」に巻き込まれてヘンなことを言い出す確率の方が高そうで、それもできず、というジレンマは私の方にもあるわけで-;。私の方は、経験からいっても、そういうモノの怖さは分かるわけです。働いていた時には、私だって収入的には、それは蛇の兄さんの足下にも及ばなかったとしても、自分一人が生きていく分くらいは稼いでいたわけで-;。でも、職場ではほぼ全員が敵で、常に敵意に満ちた「気」を浴び続けていたし、唐突にこちらを振り回すようなことをさんざん言われて、いつ、誰に何を言われるか、という不安を常に抱え込まざるを得ないような、精神的に緊張するような状況を強いられていたし、しまいには敵意というよりは殺意的なモノを感じるし、実際、住んでいた家に侵入者の形跡とかもあって、公私にわたって不安な思いを抱え続けていたわけで。それでも精神的に潰れなかったのは、いろんな人達が評価して期待をかけてくれる通りに、私の本質が「そういうもの」だったということと、必死に気を送り続けて、あの小さな諏訪神社に私を毎週呼び出し続けてくれていた蛇の兄さんとお味方達のおかげだ、と思うわけですが。でも、総勢100人程度の職場で、私があれだけのことをやられたのであれば、5万人の観客が入る職場では、お客からのプレッシャーだけでも、500倍、ということで。その、恐ろしさは、はっきり言って、分かる人にしか分からないし、どちらかといえば、他に目的が無ければ、好きこのんでお金と引き替えにしてやる仕事でも無いという気がするのですが。私もこれ以上、お味方が潰される姿は見たくないわけです。同祖同族は、敵に人生を半分潰された叔父や、文字通り潰されてしまった感の強い大叔父さん達のように、私をしたくない、と思うかもしれませんが、それは蛇の人達を過分に排除する理由にはならない、と思うわけで。お外に出て、易々と潰されてしまう人は、家の中に居ても、味方の力が弱まれば結局は狩り出されてしまうものなのでは? という気もするのですがー;。