執筆活動継続中です

いろいろと書いて書いて書きまくって、一段落ついたところですが、これから内容を整理して纏めなければなりませんので、アップするまでにはもう2、3日かかりそうです。Wikipedia本文には2行くらいしか記載が無い神サマのことで、なんでこんなに解説で書くことが多いのだろう? と自分でも思うくらい書いています。
本日、とある雑誌を読んでいたら、スマホ向けのアプリに「グノシー」という名前のものがあるという記事を読んだわけです。アプリそのものには興味が無いのですが、「グノシー」ってどういう意味なんだろう? なんで、そんな名前をつけたんだろう? と思ったわけです。
で、これに近い言葉でキリスト教関連の「グノーシス」という言葉があったな、と思い出したわけです。グノーシス(Gnosis)とは古代ギリシア語で「認識・知識」を意味する言葉だそうです。でも、これって子音で分解すると
G-no-si-s
となりますよね。前半のG-noというのは、お決まりのコロン(Choron)のことと思われます。ということグノーシスというのは
ジュピター・ゼウス・サバジオス・コロン主義
ということで、ここで述べられている「認識・知識」とは、オデュッセウス的
「悪知恵と奸計主義」
ということでしょうか? それ? と思うわけです。とっくに消え失せたと思っている「神」を示す言葉がこうやっていかにも「他のものの名前」みたいなふりをして復活する。それを「神のようだ」と思って人がはまれば、それはコロン神に「はまった」ことになるのではないですか? とも思う。こうして古き神々を全く別のもののような顔をさせて復活させているということが現実にあるからこそ、グノシーという名前のアプリは存在するのです。不思議なことです。