23年9月17日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 昨日は岩槻久伊豆神社、三郷香取神社、流山三輪茂呂神社、諏訪神社、栄寿稲荷神社、赤城神社を参拝してきました。埼玉東南部を回っているわけですが、千葉の方にも大きな諏訪神社があるので行ってくるように、と言われる気がするわけで。

 三輪茂呂神社は式内社で、国府宮の「裸祭り」の人身御供役の男を餅に変えただけ、のような祭りをやっているらしいです。男が裸でやる祭りは要注意だーー、と思う。そして、名古屋、静岡見附ときて、流山に賀茂的、そして下社的? という祭祀が何故ある? とふと思うわけです。

 で、諏訪神社。神紋の「三枚梶の葉に5つ根」を見た瞬間に「あー、下社の紋だー。露骨に下社系だー。」と思う。で、どうも現代の全体の社の構成をみるに、本殿の諏訪神を賀茂の角の神、隣の八坂刀売を玉依比売、でその隣に別雷と、むしろ賀茂の三神を意識した構成になってないですか? と思うと同時に、それが下社の本質なんだろうなー、と思う。

 そして、賀茂の神話には問題がいくつかあるわけですが。朝鮮の神話には、細烏女(せおにょ)と延烏朗(よのおらん)という烏神の夫婦が日本に渡っていって、日本の王と王妃になった、という話があるわけです。烏神なので、延烏朗(よのおらん)の方が、賀茂の角の神(八咫烏)であることは間違いないと思う。だけど、妻の細烏女(せおにょ)はどこへ行った? と思うわけで。しかし、流山の賀茂三神に類似した社の構成を見て、玉依比売が細烏女(せおにょ)なんだろうな、と思うようになったわけです。妻神を娘神に変えて、子神を孫神に変えてしまったのだと思う。でも、表向き、父親が娘と子供を作るわけにはいかないので、孫の別雷には「父親がいない」ということになっていて、その地上に存在しない「父親」は「天の神」である、という風にして、ローマ式キリスト教的な「イエスは天の父神の子である」という思想にも対応可能なように神話を書き換えているし、別雷こそが、「イエスである」みたいに暗に纏めているのだと思う。おそらく下社系の水内大社系の祭神である彦神別神は別雷も同の神で、本来「水内の神」とは女神であったものを「息子神である」ということを口実にして男神に書き換えているのだと思う。北信濃で「芋(妹)の宮」の祭神ってゆったらさあ? 八坂刀売じゃん? と始めて思う。だけど古い形式の神話では、女神が人身御供を求めるものであったはずなのです。「雉も鳴かずば」の伝承がそれを示している。で、しかも流山では姫宮神社に八坂刀売が祀られているわけで。「姫宮」とは怨霊でもいいんだけど、「河伯の妻に捧げられた人身御供」のことでもある。「若宮」のことを書いて「姫宮」のことを書かない柳田もたいがいなんだけれども、北信濃の水内大社では主神級の扱いであった「八坂刀売」が流山では「姫宮」に「超格下げ」されているわけで、これは大問題といえる。しかも、流山は「小林一茶が第二の故郷だ」と言った地だそうで@@。一茶の叔父さんってゆったらさあ? うっとこのお偉いさんの先祖の「草(忍者)」だった人なんじゃないの? と思うわけで。流山の諏訪神社に大きな影響を与えているのは、諏訪の下社の思想ではなく、「北信濃の金刺氏の思想」が一茶を通して直接に大きな影響を与えてるんじゃん? と思う。

 で、おまけだけれども、遙か大昔、石井竜也という人がソロで活動を始めたときに、初のホールツアーで一番最初のライブの地が三郷だったわけです。で、ゲネプロ(直前にやるライブと同然の通しリハ)がファンクラブに公開されたので、見に行ったわけです。だから、三郷は微妙に「思い出の地」なわけですが、今になって、なんでてっぺいちゃんは「DRAG-ON」の最初の地に三郷を選んだんだろう? 私に橋を渡って流山まで行って欲しかったんだろうか? と思う。橋を渡って、下社の紋を持つ「水内大社」も同然の諏訪神社を見つけたような気がいたします。まさに「この世の終わり」という思いがするわけで-;。八坂刀売が「人身御供にする娘」の標識の名前に過ぎないのであれば、だいたい見附あたりと同様の思想といえます。そして、長野県には小さいけれども、八坂刀売や木花咲也比売を「姫宮」に祀る神社がいくつかあるわけで。お偉いさんたちにとってはその2神は「人身御供にする娘の標識」に過ぎないけれども、表向きは隠して偉い神様みたいに祀ってるんだなあ、それがみんなダミーの思想なんだーー、と思ったのでした。妻を娘に偽装したり、「やってくれるよ、くそ先祖!」とも思ったあたくしである-;。

 今日の昼は「二ノさん」の録画を見ました。