23年9月6日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘り、土の清掃でした。

 昨日は群馬方面の締め、ということで当初予定していたのは式内社の甲波宿禰神社(渋川市)、赤城神社(横室甲)の2社だけだったのですが、「これで当分群馬へは行かないから、のんびり行って挨拶をしておいで。」と言われる気がするわけで。ということで結果的には群馬四阿山鳥居峠駐車場、甲波宿禰神社(渋川市)、赤城神社(横室甲)、渋川八幡宮、川戸神社、国定忠治処刑場跡忠治地蔵、鎌原観音堂と参拝してきました。川戸神社は、上田から山を越えて渋川方面へ行くときに、いつもその前を通るのでなんだか気になっていて。この機会に寄ってみました。そうしたら、元は「首宮大明神」といって、吾妻太郎行盛というお殿様が戦死したときの首を祀っているそうで。「典型的な御霊神社だー、さすが群馬」と思う。そうしたら、後は、国定忠治処刑場跡の寄っていけ、鎌原観音堂にも寄っていけ、と言われる気がするわけで、最後の方はもう修行者というよりは、文字通り「拝み屋」な気分である。で、車を運転していると、道路脇の人に「(国定忠治の怨霊が)憑いてるね、乗ってるね」と言われる気がするわけで@@。「こんなところでミポリンかい!」というか、「そういう主旨の歌ではない気がする。」とか思う-;。

 親分さんは、言動がちょっと不安定でしたが、あちこち移動してかなり正気に戻って。ともかく「連れて帰ってこい」と言われる気がするのでホームグラウンドにつれて帰る。天保の大飢饉で人々を助けた、ということで博徒だけど良い人らしい。親分さんは、鎌原で私が看板を読んでいると「可哀想だなあ。」と言って泣いていたような。鎌原では、そこにいた人達はおおむね正気で「自分たちはこれからもこの村を見守っていくよ。」と言って、親分さんに「迷惑をかけないようにして真面目に働くんだよ。」と言って見送ってくれたような。で、ホームグラウンドに戻ったら、なんだか自分の頭に鶏がとまっているような気がするわけで。「なんで?」と思うと、「それは川戸のお殿様が、死んで正気を失って怨霊になって、『自分は鶏だ。』と思っているから。」と言われる気がするわけで@@。お殿様は南北朝時代の人で、北朝(尊氏の側)に味方していたのだけれど、南朝側の武将に攻められて負けてしまったらしい。北朝側の人なので、ひいじいさんと、まあ知らない仲ではないらしい@@。・・・締めに幽霊のトリプルパンチって・・・、さすがに怨霊大国の群馬だーー、と思ったのですが;。

 テレビは昨夜は「CDTV」のスペシャルの録画、本日の昼は「ブンブブーン」と「いただきハイジャンプ」の録画を見ました。